居酒屋談義
湯飲みに入った麦茶を一気に煽り、叩きつけるように
「海部様、聞いてくださいよ。この前京に送り出した家臣がそのまま居座って戻って来ない上に、あろう事か『追加で食料を寄越せ』と書状を送ってきたんですよ。どう思いますか?」
「それで安芸殿はどうされるつもりですか?」
「理由が『飢えている人達への炊き出しを行なう』と書かれていたら、断る事もできないです。送るしかないと思ってます」
「それは良き行いかと。某も聞きましたが、都はひどい有様ですからな」
麦茶で酔っ払う男、安芸 国虎。実際は酔ってはいないが、何となく様式美だと思いくだを巻いた。
居酒屋国虎亭、本日も開店。お相手はいつも金属部品発注でお世話になっている海部家の
「やはり海部様もそう思いますか……」
発端は細川 益氏様の甥が生活に困窮しているからという事で行なった支援だ。支援なのだから好きに使ってくれて構わなかった。普通に考えれば支援内でそれを完結させるのではないだろうか? 何故炊き出し名目での追加支援の要請が入るのかが分からなかった。
足りないなら足りないと正直に書いて欲しかったと思う。俺が邪な性格だからだと思うが、この「炊き出し」が妙に引っかかっていた。困窮する者達への支援なら断れないだろうという考えが透けて見えたからだ。発端が発端だけに……。
けれども海部様の反応を見ていると、俺の考え過ぎのようにも思える。確かに歴史に残る飢饉が起こったのだ。そう簡単に皆の腹が満たされる訳はないか。変に勘ぐるのは筋違いとなるか。
そう思いながら、湯飲みに残っていた麦茶を最後まで飲み干した。
「それはそうと今回の発注の件、納入は急がれますか?」
俺が納得したのを見計らってか、友光様が話題を変えるように話を振ってくる。何か気になる事でもあるのだろうか?
空になった俺の湯飲みにシノさんが酒を注ごうとするが、断固拒否して麦茶をお願いする。シノさんは現在、ここ奈半利で俺への来客があった際の給仕役を担当してくれていた。海部様が鼻の下を伸ばしているが、それには触れず会話を続ける。
「海部様に海賊衆の手配をお願いするくらい人手が足りませんので、急いではおりませんよ」
「そう言って頂けると助かります」
本日海部様がやって来たのは仕事の打ち合わせだ。以前から計画を進めていた捕鯨船の建造がついに始まる。発注は船の金属部品は当然として、捕鯨用の銛や鯨包丁等々と相当な種類と量になった。こうした時間違いがあってはいけないという事で、態々こちらまで出向いてくれた。特に船の部品は大事なので、何度も親信と話し合っていたほどである。とても仕事熱心な人だ。
「……お恥ずかしい話ですが、仮に船が完成しても人員が全然足りませんからね。海部様に海賊衆の手配までお願いしているほどですから、まだまだ先の話ですよ」
そう、捕鯨は完全新規事業なので人員が全く足りない。
縦帆の帆船に魅せられた惟宗 国長を筆頭に、惟宗家の海賊衆の一部と地元漁師達をスカウトして何とか現在は五〇名の海賊衆を組織しているが、現状は近海哨戒をするのが精一杯である。元北川村の住人からも結構な人数をこちらに回したが、完全なド新人なので使い物になるまでは時間が掛かる。
海の仕事は陸と違い、一歩間違えば簡単に命を落とす危険な仕事だ。単に頭数を揃えれば良いという訳ではない。今の俺達には経験のある指揮官クラスが圧倒的に足りなかった。
「そちらの方は御心配無く。阿波水軍に声を掛けておりますので。海部家からも何人か派遣しましょう」
「助かります」
しかしこちらの事情を正直に話すと、海部様はあっさりと人を寄越すと快諾してくれた。何でも阿波水軍には、長きに渡る戦乱で戦いに嫌気が差し、海賊衆を辞めようかと考えている者が結構な数いるらしい。
これは永正四年 (一五〇七年)の細川 政元暗殺事件より続く、細川家の家督争い (両細川の乱)が阿波国の人々に大きな負担を与えているとの事だ。特に水軍衆は兵の輸送や軍需物資の輸送に大きく関わっている。阿波国と畿内が陸続きではないという理由から、まず最初に動員が掛かるのが彼らであった。拒否をしようにも、海での利権を持っているのが細川家だけに、普段の生活が立ち行かなくなる心配があってできないという話だ。平たく言えば、商売の邪魔をされたくないから従っているというニュアンスである。
この辺の事情は水軍の組織編成も関わっている。「阿波水軍」と言えば聞こえは良いが、実情は幾つもの海賊衆の寄り合い所帯。小さい所ではたった数名の海賊衆もあったりする。軍として統括をする人物こそいるものの、生活の面倒までは見てはくれない (しかし嫌がらせだけはされる)。結果、同じ水軍の中にも格差が生じ、温度差があった。
そう言った意味で、捕鯨の話は弱小海賊衆にはとてもありがたいと言ってくれる。
ただ、事が事だけに一斉に皆で揃って移住する訳にはいかない。調整をしながら少しずつこちらに来てくれるらしい。
「こちらの方はまだ良いのですが……長い戦乱で当家の武器類の在庫が寂しくなりまして、増産をしようかと考えております」
「そういう事情ですか。大変ですね。こちらは気にしないでください」
「はあ、どうして三好家は本拠地を攝津に移したのか……まるで火中の栗を拾いに行っているとしか……海部家は三好家の家臣ではないと言うのに……」
これは現三好家当主である
海部様の発言は、そういうのは三好家だけで勝手にして欲しいと言いたげだ。同じく昨年には阿波国守護である
海部様のこうした姿を見ると、三好家との関係が妙に気になる。今の海部様ならもしかしてと思い、シノさんに酒を勧めてもらいながら話を聞くと、興味深い内容が多く聞けた。
特に印象に残ったのが、「あくまでも海部家は阿波細川家の家臣である」という点であった。三好家は守護代ではあるものの、それは阿波細川家あってこそだと。ここから察するに、三好家は思った以上に阿波国内での求心力は低いという事になる。
事実、三好家はこれまでに何度かピエロのような役割を演じた。
例えば、両細川の乱で阿波勢は畿内まで進出するものの、途中で戦に嫌気が差し、
また、これも両細川の乱の中の話だが、阿波から細川 晴元 (
俺の中での三好家のイメージが大きく崩れた。三好家と言えば日蓮宗 (法華宗)の力を背景としている家だけに、阿波国内でも大きな影響力を持っていると思っていたのだが、現実にはそれほど大きくない。もしかしたら嫌われているのではないかと思うほどである。
逆に俺の持っていた海部家のイメージと実際の海部家が大きく違っていた。
俺がこれまで想像していた海部家は、長宗我部家にあっさり負けた事から安芸家と同じく弱小勢力である。しかし、この戦いは結果論でしかなかった。
何故かと言うと、まず海部家は金持ちである。代名詞とも言える海部刀は明や朝鮮に大量に輸出され、多くの財を手にしていた。当然単独事業である。何処かに販売を委託して上前を刎ねられるという訳ではない。何故そんな事が言えるかというと、これは次にも繋がるが、海部家は元々は倭寇としても広く活躍 (?)していたからだ。結果多くの海賊衆を束ねている。現代風に言えばヤクザのフロント企業が海部家である。犯罪で得た資金を元手に堅気の仕事を始め、昔の顔があるから捌くルートにも事欠かない。何と理想的か。
もうここまで来れば納得だが、海部家は阿波国南部の盟主的な存在である。領地自体は広大ではないものの、阿波細川家の中では一、二を争う実力を持つ家だ。三好家が没落していた時期は海部家が阿波国の豪族を取り纏めていたという。そういう事情を知れば、海部 友光様が三好家に対して良くない感情を持つのが理解できてしまった。
「守護様の手前大人しく従っている家が殆んどですが、腹の中では皆考えている事は似ていると思いますよ……」
「海部様もつらいお立場ですね」
改めて三好家は変な家だと思う。この時気付いたのが、「何故阿波国内の豪族の家に養子を送り込んで地盤を強化しなかったのか?」というごく当たり前の疑問だ。三好家と言えば淡路の
……やはり嫌われているのかもしれないな。もしくは阿波細川家の力が強過ぎて影響力を行使できなかったか、海部家の力が強かったからか。全てが理由のような気もする。
ともあれ今日は面白い話が聞けた。俺がここ奈半利で色々とやらかしたお陰で三好家に睨まれるかもしれないという心配があったが、それは杞憂に終わりそうだ。海部家と仲良くしていれば阿波国との関係は悪くならない。それが分かっただけでも大きいと言える。
それにしても……海部家がこれ程凄い家だったとは……。長宗我部家が攻め込んだ時は領地が疲弊していたと見るのが妥当だろう。そう思うと同じ長宗我部に滅ぼされた家という意味で何だか親近感が湧いた気がする。
「鯨が取れるようになりましたら、海部家に鯨肉をお贈りしますよ」
「それは楽しみですね」
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