遠州細川と細川玄蕃頭
五年前は寂れた地方港だった奈半利港も今では多くの建物が立ち並び随分と賑やかになった。
放っておくと更なるカオスになると危惧した俺達はついに区画整理兼港の再開発を実行。津田 算長から借りた金の幾分かを使い、現在進行形で町へと発展を見せつつある。
それに関係するかどうかは分からないが、商人を中心として俺との面会を求めてやって来る人物も増えていた。時には商談、時にはご機嫌伺い、そして時には単純に遊びに来る。
こうして様々な人がやってくると、思いもかけない人物と顔を合わせる事もある。
「……細川様、『いつでも遊びにおいでください』とは言いましたが、面倒事から逃げるためにここを利用するのは控えて欲しいのですが……」
「そうは言うがな、儂は守護代でも何でもないというのに家臣共がそれを理解しておらん。京兆家 (細川本家)の争いにはもう関わらないと決めているというのが分かってくれんのだ」
愚痴を吐きながらも料理を口に運び、その後は酒を一口グビリ。どこかで見たような光景。こうした姿はいつの世であろうと変わらない。違っている点と言えば、ここが居酒屋でなく奈半利の来客用の部屋であるというくらいである。
「私では役に立たないと思いますが、話くらいはお聞きましますよ」
俺はまだ酒を飲めないが、これも付き合いの一つだと割り切って話を聞く事とした。
彼の名は
この遠州細川家自体を知ったのは食料買取が切っ掛けである。それまでは土佐に細川家自体があるとは知らなかった。それもその筈、現在の遠州細川家は、かつての守護代家としての力は無くしており、土佐中央部に位置する田村荘で地方領主としてひっそりと暮らしていたからだ。
これには理由がある。全ては永正四年 (一五〇七年)の永正の錯乱 (
結果、土佐の地では遠州細川家の力はほぼ死に体となる。益氏様だけは当時幼少だという事もあり土佐に残ったのだが、守護代の地位は引き継がず、ただ細川家という名前だけが残る形となった。
ご本人もそれで納得しているし、今は静かに暮らせればそれで良いそうだ。
──しかしこの戦国の世は、そうそう思う通りには進まない。
まず土佐国内では、これまで大人しくしていた
何故長宗我部 国親が「超危険人物」なのか? それは、彼の父親である
普通に考えれば、戦にまで発展したのはやり過ぎであったとしても、全ては自業自得とも言える結果である。
ただ、武士の世界ではそうは言ってられない。事の次第はさて置き、こういった場合は子が父の無念を晴らさんと復讐を誓うというのがままある。例え方は変かも知れないが、凶悪犯でも家庭では良い父親や母親であり、子供にとってはかけがえのない肉親というのと似ている。嘗められたら終わりのこの世界、子供が「親が大変失礼をしました。これに懲りて二度と悪さはしません」という殊勝な態度を取るというのはまず無い。
事実、長宗我部 国親が現在行っているのは「富国強兵」。これで周辺との融和を図るとはまず思えない。間違いなく喧嘩を売るつもりである。息子の元親もはた迷惑な人物だと思っていたら、三代に渡ってはた迷惑な存在だった。誰か何とかしてくれ。
そして、次の問題もなかなかにヘビーである。こちらは厄介な親戚の問題。
益氏様の甥 (兄の子供)に
つまり、遠州細川家が力を失う切っ掛けとなった「両細川の乱」に端を発する細川家の内ゲバが現在も続いており、まだ終わらないという話である。
こうした経緯で現在の遠州細川家は土佐国内事情を優先して軍備を増強するか、それとも細川玄蕃頭家の支援を優先するかで家中が真っ二つに割れているらしい。それが嫌になってここに逃げてきて、ウサ晴らしの酒を飲んでいる。名門細川の名前が足枷となっていた。
「要するに細川様の考えとしては、長宗我部家への警戒を優先したいけれども、それを許してくれない家臣がいるという事ですね」
「そうなるな」
そうしてまた、酒を胃の中へと流し込む。今日は酒を飲むペースが早い。この有様なら、田村荘での家臣同士のいがみ合いは相当なものだと推察される。
俺としては、どちらの言い分も分かる。国内派の意見は自身の生活が掛かっているから当然として、支援派の言い分も忠誠心の表れと言える。きっと、「両細川の乱」で遠州細川家は細川 晴元に敵対する勢力に属していたという事なのだろう。皆が皆、家督争いに負けたからと言って、「はいそうですか」と掌を返せるなら、戦いがここまで長引く事はない。
「そう言えば、支援するにしても御親戚の方は現在何処を拠点にしているのでしょうか? 拠点の場所が分からないと支援しようがないのでは?」
「うん? 場所は京だぞ。あそこは寺が多いから潜伏するには丁度良いらしい」
現代では考えられないが、この時代の寺はある種の治外法権が確立しており、犯罪者が逃げ込む場所としてはとても都合が良い。反主流派の武装勢力が根城とするのも頷ける。
それにしても「京」か……これはある意味チャンスかもな。
「……うーん。大きな支援は無理ですが、それでもよろしければ私の裁量で支援しましょうか? 今年は飢饉もありましたし、御親戚の方が飢えに苦しむのも寝覚めが悪いですしね」
きっとこの細川 国慶という人物が京で活動をしていなければ、こんな提案はしなかっただろう。どれ程の人物かは見当もつかないが、京で活動している以上は繋がりを持っておいて損はない筈。そんな打算があった。
今直ぐではないが、商売上いずれは京にも人脈が必要なのが分かっている。今回は良い切っ掛けとなるかもしれない。
「ほ、本当か!?」
「ですが軍を維持するような規模は無理ですよ。一〇〇石 (一〇〇人が一年間食べられる量)分の食料がせいぜいですね。支援を行なったという実績だけになりますが、これで面目が立つならこちらで用意しますよ」
俺が一〇〇万石レベルの力を持つ大名ならもっと支援は可能だが、所詮は田舎の一領主の身分である。身の丈にあった量で良い。まずは実績作りと考えればこの辺で様子見するのが妥当と言える。戦時でなければ消費もそれ程多くはない筈だ。
それにまだ彼がどんな人物か分からないというのもある。何をするにしても、まずは今後も付き合える人物か見定めてからだ。支援にかこつけてこちらから人を出すとしよう。悪い人物でない事を祈るばかりである。
「これで家臣も納得するだろう。悪いないつも。今度また写本を持ってくるから、それを代金の足しにしてくれ」
「楽しみにしております」
これが俺と益氏様との関係。田村荘からの食料買取を切っ掛けとして、「いつもお世話になっています」と清酒を送り、その返礼として写本を頂くようになっていた。さすがは名門細川、結構な量を持っている。益氏様本人は「そう珍しい物を持っている訳ではないぞ」と言いながらも、最近は嬉々として直接写本を持ってくるようになった。こうしたやり取りが楽しいのだろう。随分とフットワークの軽い名門である。
なお、土佐には細川家のもう一つの分家として十市細川家があるが、こちらは畿内との交易で財をなしておきながら益氏様との交流は殆んど無いと言う。没落した名家というのはそれはそれで悲しいものがある。
いつの世でも名門の名というのは力があってこそなのかと思う一幕であった。よく歴史では「
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「頼むぞ玄蕃。無事食料を細川 国慶殿に届けてくれよ。働きを期待しているぞ!」
「はっ! 命に代えましても無事届けます」
「いや、そこまではしなくて良い。玄蕃の命の方が大事だ。危険が迫ったら任務は気にせず逃げてこい」
「はっ! かしこまりました」
数日後、京へ食料を運ぶ段取りが整う。
今回の輸送任務は飢饉真っ最中の場所に運ぶという、ある意味戦場への輸送に近い。軍事行動と言っても過言ではない事から先日家臣となった北川 玄蕃に物資の護衛任務を与えた。玄蕃の元家臣共々一〇〇名の常備兵で護衛に当たる。
玄蕃に白羽の矢が立ったのは大きい理由はない。他の家臣は、普段の仕事が山積みとなっており長くここを空けられないというだけである。皆も京に上りたかったのだろう。玄蕃を羨ましそうな目で眺めているが、そういうのは任せられる後進の人材が育ってからである。
「それと紀伊。面倒事を押し付けるが頼むぞ。今回は挨拶だけで良いから結果は焦るなよ」
「そう言ってくださると拙僧も楽ができますな」
そしてもう一人の派遣組である
今回紀伊に頼んだのは、まず最初に細川 国慶への挨拶。今後も付き合える人物かどうか確認をする役割を請け負ってもらう。次に折角京まで上るのだからと、そのまま近江 (滋賀県)の甲賀まで足を伸ばしてもらい、忍びの勧誘をする。以前から諜報には手を付けないといけないと思いながらずるずるとここまで来てしまった。丁度良い機会なので、家臣としてこの地まで来てくれる人物がいたらというお誘いである。紀伊には俺直筆の書状を渡しておいた。
忍びの召抱えを話した時、予想通り家臣達からは嫌な顔をされた。この時代で忍びというのは下賎の存在であるからだ。河原者の穢れと同じくこういうのは根強く残っている。けれども、俺には経歴ロンダリングという必殺技があるので何の問題も無い。
そう言えば「甲賀の者達には各地に行商に出てもらう」と忍びの使い道の一つを皆に話したら、妙に納得をされて反対者がいなくなったのが良く分からなかった。もしかしたら、単純に同じ部署に余所者が我が物顔で入ってくるのを嫌がっていただけかもしれない。世の中そんなものである。
最後はさほど重要ではない。山陰地方に勢力を持つ尼子家へのご機嫌伺いである。相手は大大名であるため、俺のような地方領主は鼻で笑われる可能性が高いお使いだ。申し訳ない役割を与えてしまった。献上品は奈半利製の清酒と燻製鹿肉。
益氏様と話していた際、細川 高国様より偏奇で「国」の字を貰っている人物が俺以外の他にもいたと思い出す。尼子家精鋭新宮党の党首である
なお、長宗我部 国親も同じく「国」の字の偏奇を貰っていると思われるが、間違いなく仲良くなれない自信がある。
あくまでもオマケのような役割だが、この機会に少し外交的な行動にも手を出してみたいと考えた。しかし、まだ俺自身が当主候補である事から、今回は誼を通じる程度に留めている。
それ以前に、今回の一行は益氏様の家臣の付き添いという形である以上、派手な動きはしないつもりだ。
「無事に帰って来いよ」
『はっ!』
名残惜しいが見送りもここまで。食料の積み込みも終わったようだ。今回の輸送は雑賀衆に依頼した。雑賀衆は畿内一円に勢力を持つ浄土真宗・本願寺派 (以後本願寺)と繋がりを持つため、安全な輸送が保障されるだろうとの考えである。
皆が皆、これから戦場に赴くような神妙な面持ちをしていた。
ただ……どうしてなのだろう。こういう時に限って俺達はいつも締まらない。
「さあ船に乗り込むぞ」となったところへ、ぶふぉ~と間延びした尺八の音色が響き渡る。これまでの緊張感をぶち壊しにするような間抜けな音にコントでも見ているかのように全員がずっこけた。
「こらアヤメ! こういう時に尺八は吹くな」
戦時や来客のある時以外は俺の後ろで控えているアヤメがこの場にいないと思っていたら、いつの間にかいつもの定位置に控えていた。こういう時くらいは大人しくして欲しかったのだが……
「国虎殿。姉様より急ぎの書状を預かりましたので確認ください」
「えっ……あっ、急ぎの書状ね。そういう事か。怒って悪かったな。けど、そういう時は尺八じゃなく声を掛けてくれよ」
「善処致します」
深編笠を被っているから表情は分からないが、明らかに実行する気がない回答である。
それよりもシノさんからの書状か……俺の監視役は妹に任せた筈なのに、本人は何故かまだ奈半利にいるんだよな。ここを気に入ったのだろうか? いや、それよりも今は書状の中身だ。どれどれ……なっ、マジか!
「紀伊、悪い! 甲賀に行った時はこの書状を俺のと一緒に手渡してくれ!!」
シノさんからの書状の中身は、驚くべき内容であった。それは後に甲賀忍者と呼ばれるようになる「甲賀五十三家」の内の一つである「
「拙僧には国虎殿が今何を考えているか分かりますぞ」
「勿体ぶらなくて良いから早く言え!」
「仕方ないですな。難しい話ではないですぞ。拙僧も姉様も杉谷家出身というだけですぞ」
…………どうしてこんな事に気が付かなかったんだ。つまり、シノさんやアヤメは甲賀出身の忍びという意味である。だからこそ監視役という役割が与えられた。意味が分かればこんな単純な話は無い。
「……はぁっ!? 何故それを早く言わなかった!!」
「それは聞かれなかったのですから当然かと」
「チクショーー! 何てこった!!」
何も考えていなかった俺が悪いと言えば悪いのだが、獲得を検討していた忍びはすぐ側にいたという何とも間抜けな話であった。本当に締まらない。
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