ビッグボス登場

「ボウズ、ちょっと良いか?」


 長正寺での勉強を終え、奈半利の港町を歩いていると随分と洒落た格好をしている四〇代くらいの男から声を掛けられる。俺は領主という仕事自体をしているものの、本来の名目は「遊学」である以上は、週に何度かの通いで勉学を続ける必要があった。その帰り道である。


 今やこの町は新宿ゴールデン街も真っ青のゴミゴミとした無軌道さとなり、様々な建物が軒を連ねる。しかも多くはプレハブのような安普請ばかり。まるで香港ほんこんの九龍城砦を思わせる……平屋ばかりなのでこれは言い過ぎだな。とにかく地元の人間でさえも把握できない位になっていた。


 何故かは分からないが、最近はこうして道を尋ねられる事が多くなった。


 造船の工房や各種工場がある奥の区画はまだすっきりしているが、数多くの露店が立ち並ぶ商業区画は本気でどうしようもない。その分、様々に工夫を凝らした食べ物にお目にかかれるというグルメツアーが堪能できるのは良いが、味の方はピンキリといういかにもな状況。びっくり箱的な楽しみができる。いや、大外れして腹を下す事もあるのだから、ロシアンルーレットと形容するのが良いかもしれない。


 加えて、酒もピンキリである。面白かったのが、シャレで作らせた雑穀であるあわひえの酒。今も香宗我部領から雑穀を含めた食料の買取は続けているので、食べ切れなくて余った分の有効活用である。値段が安いという理由もあると思われるが、これが意外と好評でここでは結構な量が飲まれている。味もそう悪くないようだ。ある意味ここでの名物となった。


 話は逸れたが、こんな魔境に領外からやってきたなら戸惑って当然だろう。その姿から明らかにこの辺の者でない事が分かる。


「あっー、もしかして迷いましたか? 見た所領外から来られた方のようですね。商談ですか? 案内所の方へお連れしましょうか?」


 そもそも身だしなみ自体が違っていた。清潔感溢れる風貌。髭もきちんと剃り、髪の毛は艶出しの油を付け後ろに流す。後ろで結んではいないので総髪撫付そうはつなでつけと言えば良いのだろうか? 感覚的には長髪オールバックである。伸びてくると後ろで束ねるものだと思っていただけに少し驚いた。この時代のオシャレだろう。


 こうした出で立ちはここ奈半利では初めて見る。


「ああ、それもあるな……いや、それよりも、もう少しこの町を知りたいんだが、ボウズ達は今暇か?」


 洋画の吹き替えのような渋い声で、悩みながらも俺達に相談を持ち掛ける。なるほど。きっと堺辺りの大きな商家だろう。この町にビジネスチャンスを求めてやって来たと見た。


 そう思うのには理由がある。着ている服がその辺の物とは全く違っているからだ。俺達と同じ小袖なのにしなやかな素材に見える。きっとサラサラの肌触りだろう。けれども絹のような光沢は見当たらない。初めて見る素材だ。


 街中で芸能人を見掛けた様な感覚と言えば良いのだろうか。派手な姿こそしていないので目立つ事はないが、よくよく見れば明らかな異彩を放っていた。

 

「はい。遅くならなければ大丈夫ですよ。何処に案内しましょうか?」


 隣にいる一羽と目が合い同時に頷く。きっと一羽も同じ考えだろう。


 変な相手ならそのまま案内所に連れていくが、今回は目の前の男がどんな人物か純粋に興味が沸いた。話を聞いてみるのも面白いだろう。もしかしたら歴史的な有名人かもしれないというミーハーな気持ちがあるのは内緒だ。


「そいつはありがてぇな。それじゃあボウズ、小腹がすいたんでお勧めの所に連れて行ってくれ」


「はい。それじゃあ案内しますから付いてきてくださいね」



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「どうぞ」


 少し歩いた先にある露店の商品を買って、中年男性に渡す。代金は彼が出してくれた。


 ここまで来る途中、色々な話を聞いた。やはり海を渡ってきた商人で、最近の奈半利の話題を聞いて視察に来たのだと言う。ここ以外にも様々な所を見たが、奈半利ほど雑多で汚い所は初めてらしい。うん、俺もそう思う。


 気にしていたのがバレたのか、今着ている服が「越後上布製」だという事も教えてくれる。初めて見る素材だと思ってはいたが、これが「越後上布」だという事は予想もできなかった。知識として青苧あおそ (カラムシ)から作られる布があるとは知っていた。けれども所詮は麻の一種だと思って馬鹿にしていた節がある。現物を見ると麻の一種だとは到底思えない。まさに上質な生地である。


 それはさて置き、この店は俺の肝いりで作らせた鹿の燻製肉を販売する所だ。港町だけに魚には馴染みがあるが、獣肉には縁遠い。ならばという事で皆にその美味しさを知ってもらう意味を込めて気軽に食べられるようにした。笹の葉に包まれた数切れの鹿肉だが、酒のつまみにピッタリである。今回のようにオヤツとして買われる事が滅多にないのが残念だが、いずれはそうなって欲しい。


 包装紙代わりの笹の葉を開くとスライスされた桜色の肉がお目見えする。


「まさか肉とはな……」


「もしかして肉を食べるのは初めてですか? 美味しくなかったら吐き出しても良いですから、騙されたと思って一口食べてみてください」


 自分自身で言い終わった後に気が付くが、彼が領外から来ている事を忘れてしまっていた。この戦国時代は現代とは違い、宗教が身近にある。なら、仏教の「不殺生」 (広義の意味で肉食を禁じる)を守っている者がやって来る可能性もあると今更ながら思い至る。現代的に言えば、イスラム教の信者かどうかも確認せずカツ丼を食べに誘うようなものだ。


 長正寺で寝起きしていた頃は近くの漁師からもらった小魚をしょっちゅう食べていたので気にしていなかったが、今にして思えば住職が俺達に気を使ってくれていたのだろう。


 …………やらかしたかもしれない。


「申し訳ございません。仏教と関わりがある方かどうかをお聞きせずに案内してしまいました。違う店に案内しますので、この度の非礼は御容赦ください」


「……ボウズはそんな事気にしないで良いぞ。少し驚いただけだ。どれ、折角のボウズのお勧めだ、食べさせてもらう」


 肉を見た瞬間はたじろいではいたが、俺が謝罪すると落ち着いた雰囲気へと戻る。


 良かった。この感じでは仏教関係者だと思われるが、そこまで戒律が厳しくないのだろう。今後は充分に気を付ける必要があるな。


「ほぉ……美味いじゃねぇか。もっと塩辛いと思っていたんだがな……獣臭さも無い。ボウズ、ありがとうな」


 俺が考え事をしている内に彼はあっさりと食べ終わり、懐から手拭いを出して口元を拭っていた。この所作からして一味違う。きっと俺のような庶民には分からない大きな商家出身なのだろう。


「いえ、お口に合って良かったです。良かったら贔屓ひいきにしてください。……それと、案内所へお連れしましょうか?」


 と、ここで本来の目的を思い出す。そう言えば元々は道に迷って困っていたのが始まりだ。この短時間で分かったが、商家は商家でも番頭 (使用人のトップ)、いや旦那 (商家の主人)と見た方が良い。ほぼ間違いなく単独で動くような人物ではないだろう。つまりは……はぐれたのだ。なら、早く合流して皆を安心させた方が良い。 


「どうやら、その必要は無いようだな」


「!?」


 俺の心配を余所に、彼は自分自身がはぐれた事さえも楽しんでいる節があったが、少し残念そうな目をしながら顎をしゃくり後ろを見るように促す。

  

 そこに居たのは猛スピードで近付いてくる若い男。明らかにこちらを目指している。周囲の通行人が迷惑そうに道を避けていた。


「カシラーーー!! 探しましたよ! あ痛!」


「普段から『カシラ』は使うなって言ってんだろ! お前ぇはどれだけ言えば覚えるんだ」


 報われないな。ようやく探し当てて合流したというのに、着いた早々ゲンコツでお出迎えとは。今のは軽く振るったように見えるが、かなり痛い。綺麗なフックパンチになっていた。


 それにしても「カシラ」か。確かに親分・子分のような関係にも見える。きっと長い付き合いなのだろう。微笑ましい光景だな。


「すみません、カシ……いや……旦那。もう大丈夫です」


「すまんな。連れが来たからもう大丈夫だ。今回は世話になった。それじゃあここらでお別れだ。また会おうや、安芸 国虎殿」


「はい。こちらも楽しかったです。次は違うお店も案内しますよ」


 そう言いながらも二人は人ごみの中へと消えていった。


 しばらくしてから、最後に残された言葉の違和感に気付く。


「……って、えっ? 俺、あの人に名前名乗ったか?」


「いえ。一度も名乗りませんでしたよ」


「どういう事なんだ、一体……」


 気付いていたならもっと早く教えて欲しいと思いながらも、こういう時に一羽は絶対に前に出て発言はしない。それに俺の名前が相手に知られていた所で、不都合さえ起きなければ問題は無いと判断したのだろう。そう言えば、一羽には普段から過保護にならないように厳命していた。


 少々気持ち悪い気はするが、真相は次に会った時に聞けば良いだろう。今度は変り種の稗の酒でも飲んでもらおう。次に会うのは何ヵ月後か。今日は不思議な出会いであった。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 ──三日後。


 奈半利城の一室で俺は一人の男と面会する。


「お初にお目に掛かります。手前は紀伊国は根来ねごろから来た津田 算長つだかずながと申します。津田 監物つだけんもつと言った方が通りが良いでしょうか?」


 折り目正しく平伏する姿。相変わらず所作に隙は無い。後ろに流しただけの総髪に越後上布の小袖は三日前に出会ったあの時と同じだった。


「……ま、まさか……あの時の……」


 初めて会った日本史上超メジャークラスの大人物。名前自体は知らずともその功績は多くの後世の日本人が知っている。


 ──「一騎打ちはいごようせん」 一五四三年の鉄砲伝来という教科書レベルの超特大イベント。


 一五四三年、大隅おおすみ国は種子島たねがしまにポルトガル人が流れ着く。その時手にしていた二挺の火縄銃を時の領主 種子島 時堯たねがしまときさだが買い取った。一挺は領主本人が手にして複製へ。そして、残りのもう一挺を手に入れたのが目の前にいる津田 算長である。


 その後、彼は紀伊の本拠地に火縄銃を持ち帰り複製・量産に成功。それもたった一年で成し遂げる。更には弟の杉ノ坊 明算すぎのぼうみょうざんに日本初の鉄砲隊を組織させた。


 そう、彼こそが日本の戦国期において戦での戦い方をガラッと変えさせた張本人。後の鉄砲集団根来衆や雑賀衆の組織、はたまた大阪は堺での鉄砲の大量製造も彼の功績無しでは成し得なかった。また彼がいなければ後世「鉄砲三段撃ち」として有名になる「長篠ながしのの戦い」も、あのような結果になる事はなかった筈だ (近年は鉄砲三段撃ちは無かったと言われている)。


 言わば日本の戦国期における超重要人物である。そんな大人物がどうしてここに。


「よぉ! 数日振りだなボウズ。いや、国虎殿」


 俺の考えを知ってか知らずか、三日前と同じ渋い声で気さくに声を掛けてくる。顔を上げ、まるで悪戯が成功した子供のような表情。しかし、同じサプライズでも二人が思い描いている内容は全く違っていた。


「はっ……ははっ……」


 天文八 年(一五三九年)、日本に鉄砲が伝来するまで後四年のこの日、俺はまさしく魑魅魍魎と出会った。

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