第44話 動き出し

 嗚呼っ、暗い、気分は、どこがまでも際限なく墜ちて行く、手足を必死にばたつかせてみるが掴めるものは何もない。目を開くのも億劫で何もしたくない。おまけに目の前に仲が良いのか悪いのかよくわからない一組の男女がいて嘆息もつけない。ユキはいつもの自己嫌悪の中にいた。


 「随分面倒くさいことになってきたな。」


 「、、、、、。」


 「そのようです。」


 寺に報告に来た偽アリスと波多野爽波はすでに自分たちには対処できなくなってきた案件をユキに説明する。


 「おまけにすごく雑だな、と言うか集中しづらい嫌な仕組みになってるな。」


 不機嫌の極みにあるような偽アリスの顔を見ながらユキは囁くように自分に言い聞かせる、暗闇からの出口は見つからないがもうどうでもよくなってきた。


 「なっ、なんですか?」


 「うん、いや、憤りを上手く抑え込んでいるなぁと思って。」


 「怒ってなんかいません。」


 「え〜怒ってるじゃない。」


 「いません。」


 「すごく怒ってる。」


 「わざとですか!」


 「まあ、そうだな。」


 偽アリスこと有栖賀静ノ《ありすがしずかの》には分からないアシュール原野聴雪が何故なにゆえ自分を煽ってくるのか。


 「優先順位が決めづらいですか?」

 

 あー、なるほどっという感じで波多野爽波がそう答えた。この男はなぜだかこういうことがよくわかる、偽アリスは胸うちで舌打つと彼の横顔睨みつける。


 ヒマラヤダンジョンから S 機関の幹部連中が"時計の狂った洞窟"を通ってやってきた。   時間の影響の枠の外れた闇の一族に管理させている時の流れの不安定な洞窟だ。

 彼らは20歳近くが若返っている、その事実を隠蔽するためラコーヤで新たな人生を送ることを受け入れた。彼らにためらいはなかったがそこから発生する複雑に絡まった問題を解決する必要があるということだ。


 「なぜ私の顔色を伺っているのです?」


 ユキは少しだけ考えて首をかしげながら問いかける。


 「偽アリスって呼びにくいな、何かないか?」


 そこですかと彼女は顔をしかめる。


 「情け容赦ないと言うか、、、。」


 「多くのものがいっぺんに解決するチャンスかもしれないぞ。」


 偽アリスは、そのための優先順位かと納得する。


 「私の思惑を尊重してくれるということですか?」


 「そうだなあ、暦を見てみたら。」


 彼女はハッと慌てて暦を取り出すとパラパラと、


 再会、激突

 わけがわからない。ただ厄日に変わりは無いようだ。


 「しずかの、よ、好きに呼んでいいわ。」


 「おっ、いいなぁ、では爽波が今閃いた呼び名にしよう。」


 えっ、突然振られた波多野爽波はそれでも気を取り直し浮かんだ呼び名を出してみる。


 「カノン」


 「それだな!」


 「、、、。」


 思った以上に良いセンスの名付けにシズカノことカノンは不機嫌な顔で再び爽波を睨みつける。


 「良し、カノンの機嫌も治ってきたし細かいところの話を頼む。」

 

 アシュール原野聴雪、この男に意地を張ったり歯向かっても時間の無駄だと思い知らされたカノンは話し始める。


 「アデラール・シエリ卿は過去に二度異世界からの暗殺者に大切な人物を奪われています。一人は言わずと知れた義理の兄であった先代アシュールアヴァンダン・シエリ、そして彼の愛人で日本の錬金術師 有栖賀梓ノ《ありすがあずさの》私の母です。」


 愛する男を守るために周りのことも気に留めず身を犠牲にした母と危険が迫っていると知りながら母を守れなかった男をまだ若く未熟だった彼女は受け入れられず名を捨て一人で生きてきたと語る。


 だが彼女の母親は激しい呪怨の爆裂で意識は失ったままだが死んではいないらしい。この事実を知る者は少なく、娘であるカノンですらつい先ほど知らされたばかりだった。もちろん彼女がアデラール・シエリを避けていたことが知らされなかった最大の原因なのだが。そこは人間のデリケートな部分だ。


 「聴雪様、パリへ行かせて貰えないだろうか?」


 パリを拠点に数年活動していた爽波が伺いを立てる。ユキは想定内だったのか即答した。


 「うん頼むよ、そこは先手を打っていた方がいいだろう。」


 ユキの簡潔な言葉はカノンの躊躇いをも消去する、ボルタリングの登坂ルート設定のようなものだと割り切れば良い。

 

 そこへ三女の女子校生が開け放たれた寺の  応接室の前に武装して現れた。大規模な山狩りが行われる予定だ。


 11人いた亡命者の内、深い傷を負ったが生き残った者が3人。ゴリン達闇の一族が残りの遺体を回収に応ったが収容した遺体は5人分、死を偽装した3人の暗殺者と思しき者達がこちら側の世界に侵入を謀っている。


 ユキが思わず嘆息を吐いてしまいたくなるような面倒くさい出来事があちらこちらで起こり始めていた。

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