第25話 意外な事実2

「……珍しいですね。花厳さんが私に問いかけてくるなんて」


「えっと、でしたかね? 嫌ならあの、答えなくても全然いいんで」


「そんなことはないですよ。ただ、少し意外でしたので…………そうですねぇ、悩み、ですか…………」


 思いつきで発した俺の質問に、おばあさんは真剣に考えてくれている。


「…………些細なことはたくさんありますが、やはり一番の悩みは〝悩みにちゃんと向き合えなくなってしまった〟ことですね」


「悩みにちゃんと向き合えなくなった……ですか」


 難解というか哲学的というか、理解できそうでできない悩み。


 おばあさんの雰囲気も相まり、苦悩すらも次元が違うように感じ、途端に自分がちっぽけな存在に思えてきた。


 そんな俺を見て、おばあさんはフフッと笑う。


「そう難しく捉えないで。すごく簡単な悩みなんですから」


「え、そうなんですか?」


「ええ。私ぐらいの歳になると、どうしても逃げ道ができてしまううんですよ」


「逃げ道、ですか」


 聞き返す俺に、おばあさんは「ええ」と小さく頷く。


「どうせ老い先短いんだから、別にいいや……という逃げ道です。もちろん、全員に共通しているわけではありません。あくまで私個人がそう考えているだけ。逃げ道が用意されているから、悩みにちゃんと向き合うことができない。花厳さんのように真剣に悩めてたのは、遠い昔です」


「いや、別に、そこまで悩んでるわけでは、ないんですけど……」


 真剣という単語の恥ずかしさに、俺はついそんなことを漏らしてしまったが、おばあさんは悟ったように笑うだけだった。


「恥ずべきことじゃありません。むしろ誇るべきです。真剣に悩むことができる、それはとても素晴らしいことなんですから」


「……俺が若いから真剣に悩むことができる、そう言いたいんですよね?」


「ええ」


「それじゃ、大人は真剣に悩まないんですか?」


「もちろん、悩みますよ。でもね、子供の時の純粋さは歳を重ねるごとに薄くなっていくのよ。だから、友情や愛情、そういった感情的な悩みに段々と無頓着むとんちゃくになっていくんです。反対に、お金が絡むことには真剣に悩みますがね」


「それはでも、大人としては正しいんじゃないですか?」


「正しい……そうですね、お金は生きていく上で必要なものです。あるにこしたことはありません。花厳さんが言ったように、多くの方が大人はそうであるべきと思っているでしょう」


 そこで言葉を区切ったおばあさんは、遠くで野球をしている少年達に目を移した。


「そう思われていると、大人達も自覚をしているんです。だから本音を心の奥底にしまって、周りに虚栄きょえいを塗り固めるんですよ。資産は自分の価値を簡単に表せる指標、だからお金に真剣に悩む。恋愛や交友もそう、見栄などの不純物が混ざってしまうんです。だからどうか――」


 おばあさんが俺を見て微笑む。


「心に正直でいられる今を大切に。後悔のないよう……大切に」


 悩みを訊いた側だったのに、最後はありがたい教えを説かれる立場になっていた。


 伝えるべきことは伝えたとでも言うように、おばあさんは俺に横顔を見せる。


 言葉の重みが違った。ネットに溢れた格言や名言、薄っぺらいテキストなんかよりも、重かった。


 俺が抱えている悩みは、心に正直でいた結果生まれたものなのか? そう問われると困ってしまう。自分でもわからないから。


 もっと早くおばあさんと話せていたら、柊と片瀬を信じてみようと思えたかもしれない。


 ……俺は、後悔しているのか?


 もしもを想像してしまっている自分。後悔していなかったら、もしもなんて考えないし、おばあさんの話も聞き流していたはずだ。


 けれど、おばあさんの言葉は確かに響いた。それどころか今も感情を揺さぶり続けている。


「……ありがとうございます」


 感謝の言葉が自然と零れた。


「いえいえ。礼を言われることなんてなにも。暇を持て余した老人の戯言ですから」


 謙遜するおばあさんに、俺は「そんなことはないです」と首を横に振る。


 話は終わり。いつもの安心できる沈黙が生まれる。


「――おばあちゃーんッ! 家にスマホ置き忘れてたよーッ! ちゃんと持ってなきゃダメでしょーッ!」


「……あら、〝沙世ちゃん〟」


 ことはなかった。


 聞き覚えのある声、名前。おばあさんが振り返った先に目を向ける。


「――か、花厳君ッ⁉」


 そこには片瀬がいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る