外出
あれから1週間が経った。
冬の正午、公園のベンチで2人はくつろぎ、今日も今日とて休日を満喫していた。青年はベンチの端に座り、車椅子の少女はその横に車椅子を止めて座っている。2人の視線の先では何組かの親子が砂場やブランコなんかの遊具で遊んでいた。その様子がとても微笑ましいと紬は思う。一方で、海斗は相変わらずの無表情を貫き通していた。少しは笑えば良いのに、と言うのが紬の本音である。
今日も海斗と街を散歩していた。私はこの街で育ったけど、住み慣れた街と言う言葉は遠い存在だった。身体が弱いせいで幼い頃から病院生活。車椅子がないと移動ができないし、専属のような看護師の介護がないと生きていけない。
だけど、その生活に嫌気がさして一度だけ1人で病院を抜け出した事がある。バレないようにロビーを抜けて曲がりくねった道を進み、トンネル内のエレベーターで山に登った。順調だったのはそこまでだった。山道を過ぎる頃には体力が限界で息も荒い。言いつけを守って病室にいれば良かった。
そう後悔していた時だったな、彼と出会ったのは。
そこから生活が一変した。前までの1週間は1ヶ月のように長い存在だったのに、今となっては2週間の出来事がまるで昨日のように感じる。それくらいには、私にとって彼と言う存在が大きかった。平日はお見舞いに来るだけなのだけど、今日のような休日は外に連れ出してくれる。それが唯一の楽しみとなっていた。
ふと、我に返る。いつの間にか海斗の横顔を見つめていた。恥ずかしくなって顔を背ける。彼と出会ってから物思いにふける事が増えた気がするわね。ボーッとしてないでしゃきっとしなきゃ。
そう気合を入れ直していると、足下に青いボールが転がってきた。転がってきた方からは、お姉ちゃんボール拾ってと幼い男の子の声がする。
「はーい」
軽い返事を返してボールを拾おうと両手を伸ばした。もう少しでボールに届く。その時、身体が少し浮いたような感覚が全身を伝播した。一瞬何が起きたのかわからなかったけど、少し後に体重を前にかけ過ぎたのだと悟る。今更ながらも、この身体には自分の体重さえも支える力がないのだと実感した。
このまま地面に倒れると、そう思っていた時。何かが身体を支えてくれた。ゆっくりと車椅子に身体が戻され支えてくれた誰かが視界に映る。海斗だ。彼だと認識した瞬間恥ずかしさで顔が紅潮した。1人あたふたとする少女を他所に、足下にあったボールを投げ返す青年。ありがとうお兄ちゃん!と、男の子のお礼の言葉が聞こえたが、特に反応を示す事なく海斗はベンチに戻った。それでもなおあたふたとする私に対して、青年は
「危ないことすんなよ」
と、冷然に呟く。
「えっ………あ、はい」
素直に聞き入れるしかなかった。少しずつ顔の熱が冷めていく。
−−−−なんだろう、普段は無表情で何を考えてるのかわからないのに、こう言う時だけは私の事を考えてくれているような気がする。いや、本当はずっと何かを考えているんじゃないかな。勇気を出して聞いたら、答えてくれるかな。
「海斗さん、あの……えーっと………」
しかし声にして尋ねようとすると、しどろもどろになって上手く言えない。言葉にする寸前に、まるで相手に自分の事を好きかと尋ねてるみたいだなと思ったのが原因だろう。
再び赤面する紬の言葉を無表情で待つ海斗。彼に見つめられて余計に紅くなる。何してるのよ!チャンスは今だけかもしれないのよ!と、自分にムチを打って彼に決心した顔を向けた。
「いつも無表情だけど何を考えているんですか」
早口で叫ぶような口調だった。顔を背けそうになるのをなんとか我慢する。そうしてしばらく彼の返答を待っていると、ようやく閉じていた口を開いた。
「わからない」
「……………へ?」
予想の斜め上を行く返答に思わず素っ頓狂な声が出る。青年は遊具で楽しそうに遊ぶ親子の方へ視線を向けた。
「自分でも、よくわからないんだ。僕は何をしたくて、何をしたくないのか。そのせいでよく失敗もする。柄にもない事をやり出してからこうなった。親にも心配されて、週に一度は脳外科に通う事になったし。疑問とかが浮かんでも、すぐに消えるんだ。−−−−興味が湧かなくて」
包み隠さず話してくれたその内容に言葉を失う。身体が弱い私と違って、彼は彼なりの大きな苦難があったのだと思い知った。
いつの間にか顔を紅く染めていた熱は冷め、罪悪感に苛まれる。
「なんか、ごめんね。その、言いたくない事言わせちゃって…」
「大丈夫、僕が自分から話した事だから。紬が気にする事じゃない」
そう言う彼の顔は無表情だったけど、少し救われた気がした。けど、空気は気まずいまま。その空気をなんとか打開しようとぽっと出の案を口にする。
「良かったら、今から繁華街に行きませんか?」
*
人生初の繁華街、その賑わいぶりに思わず感動の声を漏らした。初めて見る人の多さ、初めて見る色とりどり店。別次元のような目新しさに目を輝かせた。
「ここが繁華街ですか。近くにこういう場所があるのは知ってましたけど、まさかあの小さな山の反対側にあったなんて」
遊園地に来た子供のように車椅子の上ではしゃぐ紬。
「何か欲しい物でもあるのか?」
車椅子を押していた海斗が尋ねた。彼を振り返って希望を答えようとする。
「特にはないんだけどね…その………」頬を赤らめてもじもじとし出した。
無表情の青年は小首を傾げる。あー、ダメだ私。今日はせっかく海斗の休日なの!ちゃんと楽しまないと!勇気を出して今度こそ希望を答えた。
「ウインドウショッピングって言うのをしたくて…………良い、かな?」
もじもじとする動作は未だに残っていて、上目遣いになったけど、ちゃんと答える事ができた。後は彼の返事次第。青年はしっかりと頷いてくれた。ありがとうと彼に笑顔を向ける。
その時に見た彼の無表情が、なぜか私には笑っているように見えた。
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