親友ポジの俺がヒロインからモテすぎて困るんだが

くすり

プロローグ

 教室は暮れていた。

 放課後の窓の外からは遠くぼんやりと運動部の喧騒が聞こえており、ガラス一枚とおしてわずかにその熱気を、思春期のやり場のないエネルギーを、暗いところの少しもない底抜けに上向きの力を教室の中に伝えている。

 いかにも告白にぴったりのシチュエーションだ。

 たとえば、いまから俺がそうするように、女の子に呼び出されて空き教室に向かうとする。

 いつも一緒に遊んでいる男女四人グループで、俺と影井の男友達のバカな会話に、朝永と勧夕が笑って呆れたりツッコんだりするような会話でいつも駄弁っているような、しかしその裏には女の子たちからのひそかな恋心が揺れ動いているような四人組。

 その中の女の子に呼び出されたりでもすれば、期待しないでいられないのが男というものだ。

 それも、いつものグループじゃなく一人で来て、なんて言われてしまえば。

 ふう、と一息ついて教室のドアをがらがらと開けると、中にいたのは

「あ、高峰……来たのね」

「そりゃな、呼ばれて来なきゃすっぽかしだ」

 朝永ともなが日向ひなた

 背中に届きそうな長い髪を触るのが癖らしく、今もそわそわと髪を撫でている彼女は、俺と影井と同じ高校二年の女子。

 くよくよしたところのないすっきりとした性格で、いつも俺たちを引っ張ってくれるリーダー気質のとてもいい子だ。

 四人で遊ぼうぜ、と俺から言い出したときは内心じゃどうなるかと思っていたが、思ったことを恐れずに口に出してくれる彼女がいてくれたおかげで随分と助かったっけな。

 彼女の目を見ると、ちょっと照れ臭そうにしながらしっかりと見返してくる。

 俺の心のうちを見透かそうと懸命に覗き込んでくるような、相手を理解しようと対話のテーブルに着こうとするような、そんな真摯な視線に俺は思わず笑ってしまう。

 慌てて赤面しつつ、何がおかしいのよ、と言われるのもおかしい。

 お前のそういうところのおかげで、俺たちはうまくいってるよな、と口にはしない。

 なんでもねえよと言うだけにして、俺は笑った。

「す、すみません。高峰先輩……こんなところに急に呼び出したりして」

「いーや、全然。俺はどうせ放課後暇だしな」

 勧夕かんせき由依ゆい

 少し背の低い柔らかな印象の表情は、その髪型が短くふわりと切り揃えられたものであることに大きくよるのだろう。

 それから、自信なさげに頬に手をやってはにかむ笑顔そのものにも、もちろん柔和な魅力がある。

 俺と影井、朝永とはひとつ違いの一年生。

 たった一人の後輩という立場が、彼女を遠慮がちにしてしまうところはないとはいえないが、朝永の直接な態度や好意の示しかたによって最近ではちゃんと馴染めてきたような感じがする。

 暴走しがちな朝永をなだめてくれたり、普通は気付かないようなところまで細やかに気を配ってくれる彼女の存在もまた、俺たち四人には特別だった。

 朝永にそうしたように彼女の目を見ると、彼女はといえば対照的に恥ずかしげに目を逸らしつつも、こっそりとこちらの気分をうかがうように上目遣いでちらりと見てくる。

 そんな後輩らしい愛くるしい姿に、俺も影井も、特に朝永なんかはいつも彼女を猫かわいがりするのだ。

 な、なんですか、というから、これにもまたなんでもねえって、と答える。

 それを聞いて、ぷく、と心なしか頬を膨らませる彼女の顔はやはりどこまでも可憐で、こんな女の子に告白される男はさぞ幸福だろうな、と思わず考えてしまう。

「ま、暇だからいいってのは言った通りなんだが、こんなとこに呼び出しなんてのは、いったいどういうことなんだ?」

 俺はあえて知らないふりをして言ってみる。

「いや、それは、まあ……」

「こ、これから話しますからっ」

 言い淀む二人を見るとついニヤニヤしてしまう。

 それで調子に乗った俺は、からかってやるつもりで思い切って言ってみた。

「まさか、二人して俺に告白しようなんてことじゃねえだろうな? 残念だが俺は一人しかいないんでな、気持ちに応えられるにしたって、二人のうち一人だけだぜ」

「ばっ、ばかじゃないの!?」

 二人が赤くなって、朝永が裏返った声を上げた。

 いいんだ、いいんだ。

 俺はもうわかってるんだからな。

 この呼び出しが、ってことを。

 俺と影井と朝永と勧夕。

 この四人が親しく付き合いだしたのは他ならぬ影井の相談がきっかけだった。

 なにやら休み時間や休日にしつこく連絡してくる女の子が二人もいて、困ってるんだと。

 詳しく聞いてみれば遊びに誘われたり、好きな人や恋人がいるのか聞かれたりということで、なに羨ましい悩みを、と思ったが、俺を代表とする全国のモテない男に今すぐ土下座しろ、とまでは思わなかったが、とにかく影井はそんなやつだった。

 男の俺から見ても男前で、わずかに暗く過去を見つめているようなその目の色が、言い知れない色気を醸し出している。

 厭世的な雰囲気で、どこか人付き合いにも一線を置いているようなやりかたで──世の女の子たちはそんな彼のミステリアスな心の内側へ一歩、私だけが一歩を踏み入れたいと熱烈に想っているんだろうよ。

 本当、羨ましいことだ。

 泣いてないからな。

 ともかく、数少ない友人の頼みだ、応えてやらねば男じゃない、と俺は考えた。

 影井にはやはり、どこか他人を避けているような部分がある。

 それは育ってきた環境に何かあったのかもしれないし、単純に彼の考えかたによるだけなのかもしれないが、聞いてみればべつに彼女たちを邪険にしたり追い払って欲しいというわけではないらしい。

 ただ、自分に何を求めているかわからないから、怖い、とだけ影井は言った。

 その言葉は俺にとって、かなり切実に響いた。

 そんなの寂しいじゃないか、と思った。

 次の日、さっそく俺はくだんの二人を個人的に訪ねて、俺と影井の四人で遊ばないか、と誘った。

 初めは面食らっていた二人だったが、お目当ての影井くんが来るとあれば、来ない理由はない。

 抵抗感を示していた影井にも、例の二人は話してみりゃかわいい子だった、一目惚れした、遊びたいんだ、頼むからデートさせてくれ、と頼み込み、また影井が困ったら俺が全力でボケでもなんでもしてなんとかするから、と言ってなだめすかし、なんとか歪なダブルデートが成立した。

 こうして俺たち四人は何度か遊ぶうち少しずつ仲良くなっていき、今ではかけがえのない友人になれた。

 だが、今こうして二人に呼び出しを受けたということは、その時が来たのだろう。

 初めからいつか来るだろうと思っていたのだから、当然見当はついている。

 二人の影井に対する恋心についての恋愛相談だ。

 朝永と勧夕はさっきからちらちらと目線をやってこちらの様子をうかがっている。

 そりゃそうだろ、いくら絶好の告白シチュエーションだからって、二人に呼び出されることなんかあるわけない。

 ましてや二人同時になんか、どうやったって告白されるわけがない。

 二人ずつの男女グループで、片方の男を好きになったのなら、どんなに残酷なことかと思うが、なにより手っ取り早いのはもう片方の男に手回ししてしまうことだ。

 たとえもう片方の男がその女の子を好きだったとしても、だ。

 勘違いするなよ、俺は別にその気はない。

 ただ、仲良しグループ内の恋愛に疑義を申し立てているだけだ。とりたてて文句もないが、ここまでだと文句を言わずにはいられないだろ。

 見当をつけていたとはいえ、それは一人ずつ恋愛相談されるような場合だ。

 二人まとめてかかってくるとは、さすがの俺も予想していなかった。

 ま、どのみち最後まで面倒を見るつもりでいたとはいえ、恋愛相談なんてどう転んでも面倒なことになるものに二回も付き合わされる俺の立場にしてみれば、まとめてやってきてくれたほうが助かるとも言えるが。

 さて、俺はどっちの味方になるべきなのかね、影井がどっちとくっつこうが、俺はお前ばっかり幸せになりやがって、と泣き笑いのボケでからかってやりながらも、心からの拍手で祝福してやるつもりだが──と勘案していれば、ようやく朝永が口を開いた。

「高峰、あんたさ……」

「おう。改まってなんだよ、緊張するだろ?」

 軽口にも取り合わず、彼女は続ける。

「……好きな人とか、恋人はいる?」

 おっと、そう来たか。

 こいつ急に何言ってるんだ? という顔で勧夕に目配せしてやると、さっと目を逸らされた。

 真っ赤になっているから、やはり恥ずかしいのだろう。

 つまりこういうことだ。

 さっき俺が考えていた残酷さのことを、朝永は、ひょっとすると勧夕も、心配してくれているのだ。

 俺がもし二人のどちらかを好きになってしまっていたら──そう考えると、二人にしてみれば俺に影井への気持ちを相談することが躊躇われたのだろう。

 本当、いい子たちだ。

 好きでもない男のために恋愛感情にわずかでも歯止めをかけられるやつはそういない、と俺は思う。

 だからこそ、その誠意に最大に応えるため、俺はいつも通りを装って答えてやる。

「そりゃ、朝永と勧夕だな。だって超かわいいだろ? 二人のうちどっちかと付き合えるって言われたら、三日三晩眠れずに悩んで最後は命を絶つかもしれん」

「なっ……はあ!? あんた何言ってんのよ!?」

 朝永がわかりやすくキレる。

 俺のこういう軽薄なボケに朝永がキレてくるのも、俺たちのいつものやりとりだ。

 笑いながら勧夕を見ると、いつもと何か様子が違って黙り込んでいた。

 どうした? まさか本気にとって、悩んでしまっているのか?

 気にするな、勧夕。俺に三角関係をやろうとかそんなつもりは毛頭ないんだから。

 念のためもう一言ボケて、心配を取り除いてやろうと思ったそのとき、その勧夕が唐突に言った。

「あのっ、高峰先輩……私たち、相談したんです」

「へえ、いったい何を?」

 おどけて答えながら、ついに言い出す気になってくれたか、勧夕、と親心のようなものが芽生える。

 あの引っ込み思案だった勧夕が、俺に恋愛相談をしてくれるまでになったとはなあ。

「そ、そうなの。高峰、あのね……?」

 朝永も追従する。

 さあ、俺の準備はとっくにできてる。

 聞かせてくれよ、お前たちの影井京介への熱い恋心をな。

 俺は期待どおりに、モテまくりな影井に嫉妬して悔しがって見せながらも、ちゃんと応援してやるから。

 大きく深呼吸して、ついに朝永と勧夕は言った。


「あたしたち、高峰が好きなの。薄々わかってたんだけど、最初は由依が私に相談してきて」

「そ、そうなんです……私、抜けがけしたりして、みんなのとても大事な関係を壊したくなかったから」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 いや今になってもまだわかってない。


「だからね、二人で決めたんだ。二人でせーので高峰に告白して、アプローチして……最後に高峰が選んでくれたほうを、もう一人は必ず祝福するって」

「実はもう影井先輩にも相談に乗ってもらったんです、その、応援……してくれるって言ってくれました。だから、これからは私たち、高峰先輩に選んでもらえるように、がんばりますからっ」


 声はふるえていたが、言葉は真剣そのもので。

 二人の視線はどこまでも決然としていて。

「な、なにを……」

 俺にようやく絞り出せたのはそれだけだった。


 頭の中をぐるぐると高速でいろいろな考えが駆けめぐる。

 いや、まさか、そんなはずはない。

 そう何度も考えたはずだ。

 初めから朝永と勧夕は影井のことが気になって、それで俺が二人と影井の間をお節介ながらも取り持ってやろうとして、そうして四人のグループができたはずだったろ。

 それなのに、その前提が崩れたら。


『高峰、あんたさ……』


 不意に、頭の中で鳴る声があった。


『……好きな人とか、恋人はいる?』


 その場で運動場まで駆け出して部活連中に混じって叫びだしたくなるくらい、頭が熱くなった。

 ……俺はなんて馬鹿なんだ。

 あれだけ察しが良いつもりでいたのがアホらしい。トンデモなく恥ずかしい。

 もっと単純に考えれば、あの質問。

 俺に告白するための質問だったのかよ。

 二人は依然として頬を真っ赤に上気させながらじっと俺を見つめていて、今度は俺のほうが思わず目を逸らす。

 必死で考えを回しながら、頭の反対側でぼんやりと思った。

 このどうしようもない状況に、どうしようもなく困っている今の俺の素直な叫び。


「高峰、ねえ……あたしと由依、どっちが好き!?」

「あのっ、高峰先輩っ……教えてくださいっ!」


 ──親友ポジだったはずの俺が、どうしてこんなにヒロインからモテすぎて困ってるんだ!?

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