第5話 サバイバル研究会部室

サバ研の部室は教室の三分の一サイズの細長い部屋で、元は教材用の物置だったそうだ。

 

出入り口から入った正面の突き当たりに窓があり、その窓枠の上の壁には『備えあれば憂いなし』というサバ研のモットーが掲げられている。

 

部屋の真ん中には会議室用の長机が据えられ、上に並んだ何本かのナイフが南側の窓から差し込む光を反射して輝いていた。


一成がそれらのナイフを一本ずつ手入れしており、その隣で大介が携帯用シングルバーナーで湯を沸かしてコーヒーの準備をしている。

 

部屋の一方の壁には斧や鉈やピッケル、登山用ザイルやロープの束、下降器、登高器が架かっており、反対側の壁には備え付けの小さなシンクがあり、本棚や収納棚や部員のロッカー、大型冷蔵庫と鍵付きの大きな金庫が並んでいる。

 

天井からはドライフラワーのような乾燥した植物の束が幾つも吊り下げられ、日当たりのいい窓際には小さな鉢植えが並んでいる。


逆に直射日光の当たらない場所に設置されているガラス戸の棚の中にはなにかの液体の入ったガラス瓶が整然と並んでいて、その中には様々な植物が漬け込まれていた。


勧められるままに空いている椅子に座った美鈴と結花は、好奇心の赴くままに部室内をきょろきょろと見回していた。


軍服っぽいデザインのユニフォームからもっと軍事オタクっぽい部屋を想像していたが、どっちかといえば研究室ラボに近いと美鈴は思った。

 

やがて、真空二重構造の断熱ステンレスマグカップを両手に持った大介が近づいてきて美鈴と結花の前に置く。


「粉まみれにした詫びと言っちゃあれだが、よかったら飲んでくれ。……しかし、本当に悪かったな。今日がカーニバルの初日ってことをすっかり忘れててな」


「……それもどうかと思うんやけど」

 

結花の突っ込みに大介が笑いながら肩をすくめる。


「ははは、違いない。せっかく優先勧誘権を持ってたのに惜しいことしたな」

 

全然惜しいなどと思っていなさそうな大介の様子に思わず苦笑しながら、美鈴は大介が淹れてくれたコーヒーを一口含み、ちょっと違和感を感じた。


美味しいんだけど、なんか、香りも味も普通のコーヒーと違う気がする。


「あれぇ? このコーヒーって普通のと違うですか?」

 

美鈴の感想に大介がにっと笑ってうなずく。


「お、よく気付いたな。それはタンポポコーヒーだ。カフェインは入ってないがビタミンA、C、カルシウムが豊富で体にいいんだ」


「タンポポってあのタンポポ?」

 

驚いた様子で聞き返す結花に、大介が干からびたゴボウのようなものを取り出してみせる。


「おう、これがそうだ。タンポポの根を掘り起こして、乾燥させたのがこれだが、こいつを炒って粉にしたものを普通のコーヒーと同じようにしてドリップにするんだ。見た目も味もコーヒーに似てて結構いけるだろ?」


「へえ、タンポポコーヒーってこんな味がするんだ。うち、これ結構好きかも」


「ミネコはカフェインに弱いですけど、これだったら夜でも飲めるですね」


「そういうことだ。他にもチコリの根とかブナの実なんかもコーヒーの代用品にはなるが、タンポポが一番それらしい味だな」


「ふぅん。サバ研ってこういうこともするんだ。もっと過激な集団かと思ってた」


結花の率直な感想に、大介が人差し指でぽりっと頬を掻く。


「……過激、か。まあ、そういう面がないこともないぞ。ある程度は体を鍛えてないといざって時には困るからな。でも、それだけが活動のすべてじゃない。食べられる植物と食べられない植物を見分けることとか、いろいろな病気や怪我なんかに効く薬草を研究したりやら、飲めない水を飲めるようにしたりとか、応急処置の技術を身につけるなんてこともしてるぞ。備えあれば憂いなし。ありとあらゆる局面を想定して生き残るためにはどうすればいいかってことを研究して備えをすることが俺たちサバ研の活動方針だからな」


「さっきの入り口のトラップもその一つというわけ?」

 

結花はまだ軽く根に持っているようだが、当然大介はいやみには気付いていない。


「ああ、あれな。確かに動物を捕まえるための狩猟罠の研究もしているが、あれは対人間用だ。俺たちが校舎裏で作ってる燻製を最近盗む奴がいてな、そいつをなんとか捕まえる為にトラップを仕掛けていたんだが、生徒会長から危ない罠禁止と怒られちまったから、新しいトラップの実験をしてたんだ」


「……危ない罠禁止って、いったいどんなトラップを仕掛けてたのか、うち的にはそっちの方が気になるんだけど」


「昼休みまで仕掛けていたのが、孟宗竹もうそうちくのしなりを利用した引き上げ式スネアートラップだ。あ、スネアートラップってのはくくり罠のことな。地面に輪にしたロープを仕掛けておいて、そいつに足を突っ込むと、絞まったロープに足首をくくられて竹のバネの力で宙ぶらりんになるってやつだ」


「あー、なんかのアニメ映画で観たことがある気がする」


「うん。泥棒を懲らしめるにはこれぐらいでいいと思ってたんだが、問題は、生徒会長がそれに引っ掛かったってことなんだよなー」


結花が危うくコーヒーを吹き出しそうになる。


「ぶはっ! 葵ちゃんが!? じゃあまさか、その先輩の頬のビンタの跡は……」


「……」

 

憮然と黙り込む大介に代わり、一成が笑いをかみ殺しながら答える。


「くくっ。察しがいいじゃねえか。そのまさかだ」


「うはははは! それひどっ! 葵ちゃんを逆さ吊りにするなんて、もう先輩、最っ高に最低! 普段からそんなことばかりしてるから葵ちゃんに目の敵にされるじゃんね!」


「なんだぁ? 葵ちゃんと親しいのか?」


「あ、そういえば自己紹介まだでした。うちは花御堂はなみどう結花ゆか。葵ちゃんは従姉です」


「なにっ!? 葵の従妹だったのか!?」


「……はは、そりゃまた。葵ちゃんからおれたちのことを聞いててよくここに来ようなんて気になったな。どういう風の吹き回しだ?」

 

自分たちの置かれている立場を正確に理解しているらしい一成が苦笑気味に訊ねる。


「確かに、うちもサバ研にはあまりいい印象はもってなかったんだけど、この子がサバ研に入るって言うからまぁとりあえず見学だけでも、と」


さすがに男の汗と筋肉と友情に惹かれてなどとはさすがの結花でも言えないだろう。

 

美鈴はそれまでおとなしく話に耳を傾けていたが、全員の注意が自分に向いたので座っていた椅子からぴょんっと立ち上がった。


「はいっ! 峰湖みねこ 美鈴みすずなのです! ミネコは先輩たちみたいになりたくて射和高校を志望したですよ! サバ研に入れてくださいっ!!」

 

一気にそう言って大きく頭を下げた。


「……ネコ、それマジ?」


「ほえ?」


「この学校を志望した動機がそもそもサバ研に入るためだったってマジ?」


「うん。そうですよ?」


「なんでっ!?」

 

結花の問いには答えずに、美鈴は大介に視線を移してその目をじっと見つめた。


「……先輩、ミネコのこと覚えてないです?」


「…………」

 

大介が腕を組んで、眉根を寄せる。その仕草を見て美鈴は悲しくなった。

 

あれは自分の中で人生のターニングポイントになった出来事で、それからずっと大介を目標にしてきたのに、彼にとってはさほど大した出来事ではなかったのかもしれない。

 

不覚にも涙がこみ上げてきそうになった時、大介が口を開く。


「……やっぱりどっかで会ってるよな。……いや、なんか最初に見たときから美鈴ちゃんの顔はなんか見覚えがあるなーとは思ってたんだ。でも、名前を聞いても心当たりがないしなー。…………ん? 待てよ、もしかして……去年、川で助けた子か? え? 小学生じゃなかったのか」

 

美鈴は思わず身を乗り出して叫んでいた。


「そうですっ!! 思い出してくれたんですね!! ミネコは感激です!」


私服で小学生扱いはもはや今更なので美鈴もあえてスルーする。

 

大介に遅れて一成もその時のことを思い出したのかポンッと手を打つ。


「ああ、あの時の! そっかそっか。……あれは、今思い出してみても背筋が寒くなるぜ。よく無事だったよなぁ」


「うん。あの事件を忘れていたわけじゃないが、あの時は助けた女の子の顔をじっくり見る余裕なんてなかったからな。すぐに救急車に運ばれて行ったし。そもそもあの時は小学生だと思ってたしな。……そうか、美鈴ちゃんだったのか。ずっと気にはなってたんだ。とにかく元気そうでなによりだ」

 

破顔一笑する大介と一成に、美鈴はさっきとは別の理由で目頭が熱くなる。


「先輩たちのおかげです。先輩たちがいなかったら、今頃ミネコはこうして生きてなかったです。だからミネコも先輩たちみたいになりたくて……」


「んー、おれたちというより、ピンで大介だろ? あの時、大介が一瞬の迷いもなくあの濁流に飛び込んでいかなかったら助けられなかったろうぜ」


「いや、あの時はさすがに俺でも命綱をお前に預けてなかったら飛び込めなかったぞ」

 

その時の状況を思い出したのか、大介と一成が思い出話に花を咲かせる。


「ちょ、なんなん? その燃える展開!? 自分たちで盛り上がってないでうちにもわかるように説明してさ!」

 

完全に会話に置いてきぼりを食らっていた結花が我に返って抗議する。


「ユカちゃんとは中学の時はクラスも違ったですし、高校の前期入試で一緒になるまでまともに話したことなかったですから知らないですよね」


「だーかーらー、その話をうちにも聞かせなさいっての!」

 

結花の瞳がメガネの奥できらきらと輝いている。


ここまで大好物を目の前にちらつかされておきながら、これでお預けということになったらさすがに可哀想だし、美鈴としてはやはり親友の彼女には自分と同じ目でサバ研を見て欲しい。


だったらやはりあの時の出来事を知ってもらう必要がある。

 

美鈴はどこから話し始めるかちょっとだけ思案してから、あの日のことを話し始めた。


「ミネコが先輩たちと初めて会ったのはですね――」





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