第29話 早朝の舞い上がり
『ピロンピロン♪ ピロンピロン♪』
朝、6時30分。
カーテンの隙間から朝日が差すマンションの一室に、この大きなアラームが鳴っていた。
「ん〜っ、朝だあ……」
この声を出すのは、パーマのかかったオレンジの髪を持つ人物。
半ば反射的にキノコ型の目覚まし時計を止める乃々花は、ぐぐぐっと背伸びをしながらベッドから上半身を起こす。
「って、あ、あれ……。なんでわたしのお部屋……? 修斗くんと居酒屋さんにいったはずじゃ……」
乃々花には記憶が残っている。そして抜けているのだ。
居酒屋で過ごし、その後のことが。
「え、えっと確か……」
パンパンと頬を叩いて睡魔を覚ます彼女は、薄青のカーテンを開けて光を取り入れる。
頭を両手で抑え——思い出すのだ。
「あっ、わたし居酒屋さんで寝ちゃったんだ!! え、えっと……じゃあ修斗くんがここまで運んでくれたってことだよねっ!?」
どんどんと状況を理解していく。
「お、お部屋綺麗にしててよかったぁ……じゃなくって」
安心するところが違う。自分自身にツッコミを入れたと同時、目をぐるぐると渦巻かせて動揺を露わにするのだ」
「修斗くんに運ばせるなんて……。せ、先輩としての面目が立たないよぅ……」
タクシーを拾おうと二人で移動した際、『車道はわたしが歩く』なんて先輩らしさを見せていたのだ。
それだけではない。居酒屋で率先して注文を取ったりもした。
お酒が飲み足りないだろう修斗に付き合うことで、もっと楽しんでもらおうとした。
尊敬している彼に『頼り甲斐がある』なんて思われたい気持ちもあって……。
そんな狙いとは裏腹に、最後の最後でやらかしてしまった乃々花なのだ。
「うぅ、最悪だあ……。修斗くんと仲良くなるチャンスだったのに……」
上半身を起こしていたが、バタンと倒れ込む。
そのまま体を回転させてうつ伏せになる乃々花は、足をバタバタさせて唸るのだ。
「本当に最悪だよ……。わたしのバカバカ……」
今日も仕事が入っているが、気持ちの切り替えは簡単にはできない。
乃々花にとって修斗はただの美容師ではないのだから。
そして、後悔してももう遅いのだ。
「と、とりあえず修斗くんに謝らなきゃ……。修斗くんのお祝い会だったのに、迷惑をかけちゃったんだもん……」
うつ伏せのまま手を伸ばしてスマホを取ろうとすれば——『ぁぁああああっ』なんて声が出される。
「わ、わたし修斗くんと連絡先交換してないんだったあ……。ど、どうしよう。早く謝らないといけないのに……」
謝りたいのにどうしようもない状況。先輩を頼ろうとしても朝早い時間であるために連絡することができない。
またも唸り、情けなさに包まれながら気を紛らわせとうとスマホを手に取って電源をつけた矢先、一件の通知が液晶に表示されたのだ。
「えっ!?」
修斗の名前とメッセージが。
『昨日はありがとうございました。とても楽しかったです。また機会があればよろしくお願いします!』
バッと体を起こし、スマホに釘付けになる乃々花は頭が真っ白になる。
「な、なんでわたしが修斗くんの連絡先持ってるのっ!?」
記憶にないからこそ困惑する。
だが、すぐに嬉しい気持ちに包まれる。
ずっとほしかったのだから。修斗の連絡先を。連絡先を交換する練習をしていたほどに。
「で、でも……やったっ」
一人、笑顔になる。すぐにLeinを開いてメールを返すのだ。
『おはよう修斗くん。昨日は本当にごめんっ! たくさん迷惑をかけちゃって本当にごめんなさい!!』
この時間なら彼も起きているかもしれない。
そんな希望を持って画面をじっと見つめる乃々花の願いは叶った。
一分ほどで既読のマークがつき、返信があったのだから。
『おはようございます。昨日の件はお気になさらず。それより乃々花さんのお部屋に勝手に入ってしまってすみません』
『う、ううん! 修斗くんはなにも悪くないよ! わたしが寝ちゃったのが原因だから。送ってくれて本当にありがとう』
『そう言ってもらえると助かります』
この文字と一緒に両手を重ねたスタンプが送られる。
「怒ってなくてよかった……」
なんて安心する乃々花は、昨日のこと……気になっていることを話題に出すのだ。
『あ、あの……わたし重たくなかった? 修斗くんにおんぶされてたような記憶はあって……』
『重くなかったですよ。それに全然動かれなかったので寝相もいいんだなと』
『な、なんだか嬉しいような恥ずかしいような……』
弄られている内容だが、寝相がいいと褒められているわけでもある。
返信通りの気持ちである。
『修斗くん、もう一つだけ聞いていい?』
『はい?』
『メールにも書いてあるけど、昨日は本当に楽しかった? またわたしと一緒にご飯食べたいって思う? 昨日は本当に悪いことをしちゃったから……』
『本心ですよ。正直、今までで一番楽しかったです』
『うーん。どんなところが楽しかったの? わたしが眠っちゃったせいで一人にさせちゃったよね?』
乃々花としてはまた一緒に飲みにいきたいのだ。尊敬する相手ともっと仲良くなって繋がりを持ちたいのだ。
『普通は退屈になると思うから……』
『いえいえ、普段見ることのできない乃々花さんをたくさん見ることができましたから』
『えっ?』
『〜もん! なんて語尾を使っていたり、お酒が入ってふにゃふにゃしていたり、寝顔だったり』
『ち、ちょっと! わたしのそんなところを見てたの!?』
『とても可愛らしかったのでつい』
『も、もう……。相変わらず意地悪なんだから。そうやって先輩をからかって』
なんて悪口を返す乃々花だが、照れ笑いを浮かべながらだった。
不安になっていたこと一つ一つに良い答えが返ってきていたのだから。
『あっ、居酒屋さんのお会計は全部で何円だった? わたしが今日修斗くんに返すね』
『すみません、レシートは食べちゃったのでわからないです』
『こらっー、ちゃんと教えなさい』
『では真面目になりますが、自分が好きで払ったわけですから気にしないでください。どうしてもの場合は、次、乃々花さんの奢りということでどうですか? また一緒に飲みにいきましょう』
釘を刺すようなニッコリスタンプを送られ、二の句が継げなくなる。
「本当、言葉が上手すぎるよ……」
何気ないコミュニケーションのスキル。言葉選びのスキルに完敗する乃々花は、『わかった。ありがとう』と伝える。
『そ、それじゃ、仕事の時間も近づいてるからまた職場で会おうね』
『はい。あっ、すみません。自分も言い忘れてたことが一つありまして』
『うんっ?』
『お節介なんですが、玄関のドアノブに軽食をかけているのでよろしかったらどうぞ。コンビニの詰め合わせで申し訳ないですが』
『えっ!?』
『あと、お部屋の鍵はドアポストの中に入れてますので、そちらの確認もよろしくお願いします。それでは、これからの会話はまた職場で』
それが、メールでの最後のやり取りである。
乃々花はスマホをベッドの上に置き、走って玄関まで向かっていくと、修斗の言っていた通りドアノブにコンビニの袋がかかっていた。
「……」
無言のまま手を伸ばし、袋を取って中を覗けば……気の利いた商品ばかり入っていた。
ルイボスティーにインスタントのおかゆ。レンジで温めるスープに果物ゼリーが2つ。
二日酔いになった時に効く飲み物や、食べやすいご飯が。
「修斗くん……」
思わず胸が暖かくなる。
家まで送ってもらっただけではなく、体のことまで考えてくれたのだから……。
「も、もう……。意地悪なくせにこんなことするんだから……」
頬を赤らめながら、ボソリと呟く乃々花は、ゼリーを冷蔵庫に。インスタントのおかゆを棚に入れ、ルイボスティーとスープをテーブルに置いた後、ベッドにぼふんと倒れる。
「ふふ……。嬉しいな……」
そして、感情を抑えられないようにパタパタと足を揺らす彼女だった。
∮ ∮ ∮ ∮
「ようやくご到着ですねえ」
「きましたねえ」
「話題の中心人物が」
「えっ、な、なにかあったの?」
身なりを整え、いつも通りに出勤した乃々花は、数人の美容師からニヤニヤした目を向けられていた。
そして、すぐにツッコミを入れられるのだ。
「昨日ですねえ、とある女性美容師がとある男性美容師の腕を抱いてイチャイチャしてた現場を目撃したわけだけどー、弁明はあるかね? 乃々花っち」
「っ!?」
この日、乃々花と修斗の話で一日中盛り上がったシャルティエ内部であった。
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