異世界から君を取り戻す
佐央 真
第1話 開かれた扉
私には守りたい幼馴染みがいる。
佐伯いつなは、私にとってとても大切な人だ。
有名なコンピュータソフトウェアの開発会社・佐伯グループの一人息子で、小学生の頃から研究者として活躍する程に物理学に長けている彼。
頭脳明晰で、まるで世界全てを見透かしているような、まさに天才。
そんな彼だから、敵ももちろん作ってしまうし、狙われることもある。
今までもたくさん危険なことがあった。
私は、彼を守りたい。
――そうすることで彼の傍にいられたなら。そう思っていたのに……
俺には守りたい幼馴染みがいる。
幼少の頃から武道を嗜んでいて、様々な大会で優勝する程の彼女。
何をするにもまっすぐで芯が強くて面倒見の良い……危なっかしい奴。
そんな奴だから、俺のことで自分から巻き込まれにやってきてしまうし、狙われることもある。
今までもたくさん危険なことがあった。
俺は、あいつを守りたい。
――だからこそ、あいつを引き離さなければ。そう思っていたのに……
* 1 *
「はい、これ。ノートの写し」
学校の帰り、璃羽は決まっていつなの家に向かい、授業でまとめたノートを彼に手渡す。
いつなの家は想像通りの大豪邸で、一般人なら大いに入りにくい思いをするようなところだが、璃羽からすればもう慣れっこで、チャイムを鳴らすとすぐに執事の爺やが彼のもとへと通してくれた。
今回も例外なく、地下にある彼専用の研究室へ降りると、毎度の呆れ顔で白衣を着たいつなが現れる。
「お前も懲りねぇ奴だな、璃羽。俺にこんなの、必要だと思うか?」
「思わない」
天才の彼には、学校というものがもはや不要なのか、ほとんど通っては来ない。
璃羽がこうしてノートやプリントを届けに来ても感謝などされたこともなく素っ気ないが、それでもきちんと対応してくれるのは彼の優しさなのかもしれない。
「たまには学校に来たらどうだ? 一応は学生だろ?」
「嫌だね。テスト以外で行っても何の得もねぇし、下手すりゃ自殺行為だ」
「……否定はしないが……」
「寧ろお前の方がどうなってんだよ?」
「え?」
「お前、また山にこもって訳の分からねぇ武者修行してたそうじゃねぇか。親父さん、怒り狂ってここに乗り込んで来たぞ」
「またか。私はきちんとお前を守る為の修行だと言っているのに」
「……だからだろうが。だいたい俺はお前に守られる気は更々ねぇし、必要もねぇ」
「いいや、必要だ。お前はすぐ恨みを買うからな、私が守ってやらないと!」
「……その前に、お前の親父さんにやられそうだ」
いつなは脱力感たっぷりに呟くと、璃羽の手からスルッとノートを抜き取り、ペラペラとページをめくりながら、また間違いがあるぞと指摘した。
折角こっちが真面目に話しているのにと、璃羽が頬を膨らませながらもノートを覗き込んでいると、少し離れた所でクスクスと爺やが静かに笑う。
「何だかんだと言っても、仲が良ろしゅうございますね、お二方は」
そう密かに囁やく爺やの目は、まるで我が子を見守るように優しく、どこか安堵しているようにも見えた。
いつなにとっては、ほとんどの者が警戒の対象であり、会うことすらしない。
そもそも爺やが通さない。
そんな中で璃羽と気兼ねなく話しているいつなは、とても貴重で珍しいものだった。
と、その時。
「――彼女はいつなにとって、特別な存在、なのかもね」
「えっ」
声が聞こえてそちらを向くと、いつなが出てきた研究室の扉からスーツ姿の男性が現れた。
穏やかな物腰で優しそうな笑みを浮かべ、まるで慈しむような目で璃羽を見つめてくる。
「晴翔っ」
「久しぶり、璃羽。暫く見ないうちに綺麗になったね」
彼の姿を認めると、璃羽は懐かしそうに駆け寄った。
佐伯
人見知りのいつなも彼には懐いていて、璃羽を入れた3人で昔よく遊んだ思い出もある。
「晴翔、日本に帰ってきてたんだな。休暇か何かか?」
「ちょっとね。いつなに用があって」
嬉しそうに訊ねてくる璃羽に晴翔がいつなを見ると、なぜかいつなはどこか曇った様子で相づちを打った。
そんな態度に璃羽がきょとんとすると、いつなが突然デコピンをくらわしてくる。
「いたっ」
「お前の用は済んだだろ。とっとと帰れ、璃羽」
「え、何だよ。せっかく晴翔に会えたのに、もうちょっといいだろ?」
「邪魔」
一言ばしりと言われて、璃羽は痛む額をおさえながら不満そうに睨み付けるも、いつなはさっさと踵を返して室内へと戻っていく。
晴翔も彼の後を追うように背を向けると、去り際に苦笑した顔を見せた。
「ごめんね、璃羽。ちょっと急ぎなんだ」
「……う。それなら、しょうがないな」
晴翔にまでそう言われると、さすがに居づらくなって璃羽は言葉を無くした。
またね、と言われて扉を閉められると、璃羽は仕方なく爺やと共にその場を後にする。
寂しそうに出口へ向かって通路を歩いている璃羽の姿を、いつながモニター越しでホッとしながら眺めていると、そんな彼に晴翔が話しかけた。
「突然押し掛けてごめん、いつな。でも、これ以上は待てないんだ」
「そう言われても、アレは未完成だ。だいいち完成したところで成功するかも分からないのに、今すぐ実践なんて……」
「無理は承知の上だよ」
冷静に判断して発言しているいつなとは反対に、どこか焦ったように晴翔の声が大きくなった。
手元のPCに映るデータを見返しても、明らかにまだ早いといつなは思う一方、晴翔は眉を歪めて俯くとそっと口を開く。
「なぁ、いつな……璃羽のこと、大事?」
「……何だよ、急に」
「僕にもそんな人がいるんだ。そしてその人が今、大変なことに巻き込まれている。もし璃羽が同じ目に遭っていたら、君だって僕と同じことをするんじゃないかい?」
「……だとしても、無謀なことをしようとしているお前を止めない理由にはならない」
唐突に璃羽の名前を持ち出されて、いつなは僅かに眉を動かすが、それでも判断を変えることなく続ける。
「晴翔。俺だってお前に協力したいし、だからこそこの依頼を引き受けた。でも――これは危険だ。許可はできない」
「……っ」
頑なないつなの言葉に、晴翔は苦虫を噛み潰したような顔を見せ、苛立って思わず壁を殴った。
普段が温厚であるが故に、ここまで気持ちをむき出しにしている彼に、いつなは何も言ってやることができない。
そんな時ふと視界に入るものがあった。PCに繋がるようにして横に置かれていたソレは、晴翔の依頼でいつながつくったメカだ。
小型生物のようにつくられたソレは、いつなからしても完璧なスペックを詰め込み、実践可能な工程まで既に仕上がっている。
けれどそれでもまだ駄目なのだ。
最後の扉がまだ、未完成なのだ。
いつなは一方の大きな壁に目を向けた。
そこにはさまざまな機材から伸ばされた沢山のコードに繋がる一つの巨大な扉がある。
「向こうに行けたとしても、帰って来られない。分かってくれ」
いつなは晴翔を説得するつもりで呟いたが、届いたようには見えず、それどころか晴翔はハッとしたように顔を上げた。
「それじゃ、向こうに行くことはできるんだね?」
「……え……」
その瞬間、晴翔はポケットから何かを取り出し、突然それを地面に叩きつけると、そこから真っ白な煙が溢れ出てきて室内に充満した。
――ブブゥーッ!!
大きな、それこそ耳を塞ぎたくなるようなブザー音が一斉に鳴り響いた。
それはまだ邸内をトボトボ歩いていた璃羽にも簡単に届き、足が止まる。
「何っ!?」
「これはっ! 研究室で何かあったのでしょうか!?」
「え……っ!」
酷く動揺する爺やを見て、璃羽は当たり前のように来た道を急いで引き返した。
「いつなっ」
また危険なことに巻き込まれたのだろうか。
だとしたら、助けなければ。
璃羽は夢中で走り、そして研究室の扉を勢いよく開けた。
「いつなぁ!」
声を上げたと同時に白煙が一気に流れ出てきて、璃羽は咳き込む。
必死になって室内を覗くと、煙の奥から机に伏せているいつなと、何かを腕に抱えて立つ晴翔が見えた。
「いつな! 晴翔!」
「この声……璃羽!?」
「あの馬鹿……なんで戻ってきたんだ」
璃羽の姿を見つけて二人とも驚くが、余裕がないのか晴翔は急くようにいつなのPCを操作し出した。
それをいつなが慌てて止めようと動く。
「やめろ、晴翔!」
「扉を開く。璃羽と早く出ろ、いつな」
「駄目だ!」
いつなの制止も聞かず、晴翔は操作する手を休めることなく、ついに巨大な扉が開いた。
ギギギィと鈍い音と共に開くと、突風がまっすぐ璃羽の方へなだれ込み、彼女の軽い体が宙に浮く。
「うわっ」
「璃羽!」
すぐにでも跳ばされそうになったが、持ち前の運動神経で何とか体を捻って璃羽は角に隠れた。
その様子にいつなが安堵したのも束の間、開いた扉の方へ向かっていく晴翔に気づいて叫ぶ。
「晴翔! 帰って来られないんだぞ、やめろ!」
「それでも僕は行かなくちゃ。彼女を助けに……!」
扉の先は真っ暗で何も見えなかった。
まるで亜空間のようで、どこへ繋がっているのか璃羽には見当もつかない。
そんなところへ行くというのか。
必死になって止めるいつなの姿を見て、絶対に阻止しなければならないことだと璃羽は悟った。
「晴翔!」
璃羽は強風を何とか避けると、沢山のコードを手繰り寄せて晴翔のところまでむかう。
日頃から鍛えているせいか上手くタイミングを見計らって跳ぶことができ、長いコードを選び掴むと、一瞬で晴翔の体にぐるぐると巻き、いつなの方へと押しやった。
「璃羽っ、何てことをっ!」
「扉を閉めろ、いつな!」
必死でもがくも強風のおかげであっさり跳ばされた晴翔を受け止め、璃羽の叫び声でいつなはPCを弄る。
これで何とか大丈夫だろう。
そんな時、晴翔の手の中にいたものが離れ宙を舞った。
何だろうと思い、璃羽がそれを手に取ると、それはいつながつくった小動物型メカだった。
どうやら起動したようで、本物の動物のように首を傾げる。
「何これ?」
璃羽も真似するように首を傾げると、その時。
「璃羽!!」
これまで以上に切迫したいつなの叫び声が聞こえ、璃羽が顔を上げた途端、急に風向きが変わって扉へ吸い込まれるように体が引っ張られた。
「え……」
「璃羽!!」
扉を閉めようとしたせいだろうか。
いつなが必死に手を伸ばすが、間に合わない。
彼女の体は暗闇へと消えていき、虚しくもその後に扉が閉まった。
――頭の中で、いつなが私の名前を呼んでいる
そんな幻聴が聞こえた気がした。
周りは真っ暗で、何も見えない。
当然、いつなだっている筈がない。
それなのに。
これからどうなるのだろうか?
璃羽がそう思った、その時。
――きゃああっ!
大勢の人々の悲鳴が突然響き渡り、思わず璃羽はハッと目を見開いた。
こんな真っ暗で人の声なんてする訳がないのに、それどころか開いた視界から光が漏れる。
「ここは……?」
辺りを見渡すと、そこはまるで江戸時代にでもタイムスリップしてしまったかのような、昔の日本のような町並みが映った。
そして日はとっくに沈んだのか、夜だった。
それなのに明るく眩しいのは、あちこちで広がる炎のせい。
着物を纏った人々が悲鳴をあげて、逃げ惑い、走り去っていく。
「え……」
これはどういう状況なのだろうか?
璃羽の思考が追いつかないまま、ただただ周りの建物が焼け落ちていく。
ここにいては危ないのかもしれない。
そう思い、立ち上がろうとしたその時。
――があぁぁぁっ!
大きな叫び声が衝撃音となって地面を揺らし、璃羽は振り返った。
そこには、見たこともない程巨大なムカデの化物が、彼女を見下ろしていた。
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