第52話 女大公殿下の私室
「ここは右折でよろしいですの?」
造成中の畑だったらしい土地を前にして道が途切れたT字路で嵯峨茜が声をかける。
「ああ、そうすればすぐ見える」
かなめは相変わらず火のついていないタバコをくわえたまま、砂埃を上げる作業用ロボットを眺めていた。茜がハンドルを切り、世界は回る。そんな視界の先に孤立した山城のようにも見えるマンションが見えた。周りの造成地が整備中か、雑草が茂る空き地か、そんなもので構成されている中にあって、そのマンションはきわめて異質なものに見える。
まるで戦場に立つ要塞のようだ。誠はマンションを見上げながらそう思った。茜は静かにその玄関に車を止める。
「ああ、ありがとな」
そう言いながらかなめはくわえていたタバコに火をつけて地面に降り立つ。
「ありがとうございました」
「いいえ、これからお世話になるんですもの。当然のことをしたまでですわ」
茜の左の袖が振られる。その様を見ながら誠は少し照れるように笑った。
「それではごきげんよう」
そういい残して茜は車を走らせた。
「おい、何見てんだよ!」
タバコをくわえたままかなめは誠の肩に手をやる。
「別になにも……」
「じゃあ行くぞ」
そう言うとかなめはタバコを携帯灰皿でもみ消し、マンションの入り口の回転扉の前に立った。扉の横のセキュリティーシステムに暗証番号を入力する。それまで銀色の壁のように見えていた正面の扉の周りが透明になって汚れの一つ無いフロアーがガラス越しに覗けるようになった。
建物の中には大理石を模した壁。いや、本物の大理石かもしれない。何しろ甲武国の大公殿下の住まうところなのだから。
「ここって高いですよね?」
「そうか?まあ、親父が就職祝いがまだだったってんで、買ってくれたんだけどな」
根本的にかなめとは金銭感覚が違うことをひしひしと感じながら、開いた自動ドアを超えていくかなめに誠はついていく。
「茜ねえ……嵯峨親子はどうにも苦手でね。何を聞いても暖簾に腕押しさ、のらりくらりとかわされる」
かなめはそう言いながらエレベータのボタンを押した。その間も誠は静かな人気の無い一階フロアーを見回していた。すぐにその目は自分を見ていないことに気づいたかなめの責めるような視線に捕らわれる。仕方がないというように誠は先ほどのかなめの言葉を頭の中で反芻した。
「まあ、茜さんの考え方は隊長と似てますよね」
「気をつけな。下手すると茜の奴は叔父貴よりたちが悪いぞ……叔父貴は人間失格で攻めどころ満載だが……茜は完璧超人だからな。付け入るスキがねえんだ」
エレベータが開きかなめが乗り込む。階は最上階の9階。誠は人気の無さを少しばかり不審に思ったが、あえて口には出さなかった。たぶんかなめのことである。このマンション全室が彼女のものであったとしても不思議なことは無い。そして、もしそんなことを口にしたら彼女の機嫌を損ねることはわかっていた。
「どうした?アタシの顔になんかついてるのか?」
「いえ、なんでもないです」
誠がそんな言葉を返す頃にはエレベータは9階に到着していた。
かなめは黙ってエレベータから降りる。誠もそれに続く。フロアーには相変わらず生活臭と言うものがしない。誠は少し不安を抱えたまま、慣れた調子で歩くかなめの後に続いた。東南角部屋。このマンションでも一番の物件であろうところでかなめは足を止めた。
「ちょっと待ってろ」
そう言うとかなめはドアの横にあるセキュリティーディスプレイに10桁を超える数字を入力する。自動的に開かれるドア。かなめはそのまま部屋に入った。
「別に遠慮しなくても良いぜ」
かなめはブーツを脱ぎにかかる。誠は仕方なく一人暮らしには大きすぎる玄関に入った。
ドアが閉まると同時に、染み付いたタバコの匂いが誠の鼻をついた。靴を脱ぎながら誠は周りを見渡した。玄関の手前のには楽に八畳はあるかという廊下のようなスペースが広がっている。開けっ放しの居間への扉の向こうには、安物のテーブルと、椅子が三つ置かれている。テーブルの上にはファイルが一つと、酒瓶が五本。その隣にはつまみの裂きイカの袋が空けっ放しになっている。
「あんま人に見せられたもんじゃねえな」
そう言いながらかなめはすでにタバコに火をつけて、誠が部屋に上がるのを待っていた。
「ビールでも飲むか?」
そう言うと返事も聞かずにかなめはそのまま廊下を歩き、奥の部屋に入る。ついて行った誠だが、そこには冷蔵庫以外は何も見るモノは無かった。
「西園寺さん。食事とかどうしてるんですか?」
「ああ、いつも外食で済ませてる。その方が楽だからな」
そう言ってかなめは冷蔵庫一杯に詰められた缶ビールを一つ手にすると誠に差し出す。
「空いてる部屋あったろ?あそこに椅子あるからそっちに行くか」
そう言うとかなめはスモークチーズを取り出して台所のようなところを出る。
「別に面白いものはねえよ」
居間に入った彼女は椅子に腰掛けると、テーブルに置きっぱなしのグラスに手元にあったウォッカを注いだ。
「まあ、冷蔵庫は置いていくつもりだからな。問題は隣の部屋のモノだ」
かなめは口に一口分、ウォッカを含む。グラスを置いた手で、スライス済みのスモークチーズを一切れ誠に差し出す。誠はビールのプルタブを切り、そのままのどに流し込んだ。
「隣は何の部屋なんですか?」
予想はついているが誠は念のため尋ねる。
「ああ、寝室だ。ベッドは置いていくから。とりあえず布団一式とちょっと必要なファイルがあってな」
今度はタバコを一回ふかして、そのまま安物のステンレスの灰皿に吸殻を押し付ける。
「まあ、色々とな」
かなめは今度はグラスの半分ほどあるウォッカを一息で飲み下してにやりと笑う。
「しかし……」
誠はそんなかなめの表情を見つめながらビールを口に含んだ。部屋の埃がビールの上に落ちるのが見える。
「だから……人に見せるような部屋じゃねえんだよ」
かなめはそう言うと頭を掻きながら立ち上がり、手にしたウォッカのグラスをあおった。
立ったままかなめは口にスモークチーズを放り込んで外の景色を眺める。窓には吹き付ける風に混じって張り付いたのであろう砂埃が、波紋のような形を描いている。部屋の中も足元を見れば埃の塊がいくつも転がっていた。
「西園寺さん。掃除したことあります?」
そんな誠の言葉に、かなめは思わず口にしたウォッカを吹き出しそうになる。そしてそのまま照れたような笑みを浮かべて語りだした。
「……一応、三回くらいは……」
「ここにはいつから住んでるんですか?」
かなめの顔がうつむき加減になる。たぶん部隊創設以来彼女はこの部屋に住み着いているのだろう。寮での掃除の仕方、それ以前に実働部隊の詰め所の彼女の机の上を見ればその三回目の掃除から半年以上は経っていることは楽に想像できた。
「掃除機ありますか?」
「馬鹿にするなよ!一応、ベランダに……」
「ベランダですか?雨ざらしにしたら壊れますよ!」
「そう言えば昨日の夜、電源入れたけど動かなかったな」
誠は絶句する。しかし、考えてみれば甲武国の四大公の筆頭である西園寺家の当主である。そんな彼女に家事などが出来るはずも無い。そう言うところだけはかなめはきっちりと御令嬢らしい姿を示して見せる。
「じゃあ、荷物を運び出したら。掃除機借りてきますんで掃除しましょう」
「やってくれるか!」
「いえ!僕が監督しますから西園寺さんの手でやってください!」
誠の宣言にかなめは急にしょげ返った。彼女は気分を変えようと今度はタバコに手を伸ばした。
「それとこの匂い。入った時から凄かったですよ。寮では室内のタバコは厳禁です」
「それ嘘だろ!オメエの部屋でミーティングしてた時アタシ吸ってたぞ!」
「あれは来客の場合には、島田先輩の許可があれば吸わせても良いことになっているんです!寮の住人は必ず喫煙所でタバコを吸うことに決まっています!」
「マジかよ!ったく!失敗したー!」
そう言うとかなめは天井を仰いでみせた。
「そうだ……神前。ついて来い」
かなめはそう言って急に立ち上がる。誠は半分くらい残っていたビールを飲み下してかなめの後に続く。誠が見ていると言うのに、かなめはぞんざいに寝室のドアを開ける。
ベッドの上になぜか寝袋が置かれているという奇妙な光景を見て誠の意識が固まる。
「あれ、何なんですか?」
「なんだ。文句あるのか?」
そのままかなめはそそくさと部屋に入る。ベッドとテレビモニターと緑色の石で出来た大きな灰皿が目を引く。机の上にはスポーツ新聞が乱雑に積まれ、その脇にはキーボードと通信端末用モニターとコードが並んでいる。
「なんですか?これは」
誠はこれが女性の部屋とは思えなかった。運用艦『ふさ』のカウラの無愛想な私室の方が数段人間の暮らしている部屋らしいくらいだ。
「持っていくのは寝袋とそこの端末くらいかな」
「あの、西園寺さん。僕は何を手伝えば良いんですか?」
机の脇には通信端末を入れていた箱が出荷時の状態で残っている。その前にはまた酒瓶が三本置いてあった。
「そう言えばそうだな」
かなめは今気がついたとでも言うように誠の顔を見つめる。
「ちょっと待ってろ。テメエに見せたいモノがあるから」
そう言うと壁の一隅にかなめが手を触れる。スライドしてくる書庫のようなものの中から、明らかに買ったばかりとわかるようなプラモデルの箱を取り出す。
「誠はこう言うのが好きだろ?やるよ」
誠はかなめの顔を見つめた。かなめはすぐに視線を落とす。それは地球製の戦車のプラモデルだった。
「T14オブイェークト148……ロシアの第5世代戦車ですね……もしかしてこれを渡すために……」
「勘違いすんなよ!アタシはもう少しなんか運ぶものがあったような気がしたから呼んだだけだ!これだってたまたま街を歩いてたら売ってたから……」
そのまま口ごもるかなめ。それは誠のあまり好きではないドイツ軍の回収型戦車のプラモデルだった。しかし、あまりモデルアップされない珍しい一品だった。
「ありがとう……ございます」
「もっと嬉しそうに言え!」
いつもの強引な彼女に戻ったかなめを見て誠は笑みを浮かべた。
「そう言えば……神前」
かなめは照れから覚めて真顔で誠をにらみつけた。
「帰りはどうすんだ?ここに泊まるか?」
「え?」
ここで誠ははたと気づいた。このマンションにはおそらくかなめ以外の住人はいない。二人きりである。
できれば話したいことはたくさんあった。誠はかなめについてもっと多くのことが知りたかった。
そして理解しあえればきっと……と考えるほど誠は純朴な青年だった。
「ああ、そうか……アタシ等が茜に送られるのは隊の全員が知ってるわけだな。それで、オメエがこの部屋に下手に長居したら……」
かなめのその言葉で、誠の意識は夢の世界から現実世界に引き戻された。
『特殊な部隊』の『特殊な連中』がどういう反応をするかは想像するに難くない。
まずアメリアがあること無いことネットにあげて誹謗中傷を始めるだろう。カウラは明らかに冷たい視線を浴びせつつ、嫌味を次々と連発するだろう。
そして最悪なのが寮長の島田である。
彼は自分の『純愛主義』を勝手に人に押し付ける癖があった。すでに何人かの隊員がそのことで隊長の嵯峨に転属届を出して隊を逃げ出したという噂は誠も聞いていた。
誠はド下手なパイロットとして東和宇宙軍に入隊したので他に行き場などない。
つまり、一気にニートへと転落することを意味している。そしてここは東和共和国。愛の無い世界なのである。
「そうですね……タクシー呼びます」
「そうか、じゃあその前にビールを飲むか?」
かなめのよくわからない気遣いで缶ビールを受取りながら誠は自分がかなり特殊な環境にいることを改めて理解することになった。
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