海の出来事
第18話 消えた記憶
誠は一人、ふかふかのベッドから起き上がった。つぶれはしなかったものの、地下のバーで何があったのか、はっきりとは覚えていない。
かなめにはスコッチのような蒸留酒を多く勧められたせいか、頭痛は無かった。二日酔い特有の胃もたれも無いがなぜかすっぽりと記憶だけが抜け落ちていた。
「起きやがったな」
髭剃りを頬に当てている島田が目をつける。
「何か?」
誠はその島田の複雑そうな表情に嫌な予感しかしなかった。
「何かじゃねえよ!人が寝ているところドカドカ扉ぶっ叩きやがって!お前、酒禁止な」
島田は指をさして怒鳴りつける。
「島田先輩ー!」
取り付く島の無い島田を見送ると、誠はバッグを開けて着替えを出し始めた。
「あのなあ、あの怖え姉ちゃんと何してたかは詮索せんが、もう少し酒の飲み方考えたほうがいいんじゃないか?」
「そうは思うんですけど……」
島田は髭剃りを置いてベッドに腰掛ける。誠はシャツを着ながら昨日のことを思い出そうとするがまるで無駄な話だった。
「じゃあ次は僕が」
誠も髭剃りを持って鏡に向かう。島田は立ち上がった誠の肩を叩いてつぶやく。
「まあ、あれだ。あの席にいてメカねーちゃんをキレさせなかったのは褒めとくわ」
言うだけ言ってさっぱりしたのか、島田はそう言うと新聞を読み始めた。
誠は急いで髭を剃り続けた。
「それにしてもいい天気だねえ」
新聞を手にしながら振り返った島田の後ろの大きな窓が見える。水平線と雲ひとつ無い空が広がっていた。
「神前、腹減ったから俺先に行くぞ」
そう言って島田が立ち上がる。誠は振り返ってその後姿に目を向ける。
「すいません、先に行っててください」
そう言いながら島田を見送り、誠はジーンズを履いた。扉が閉まってオートロックがかかる。
「そうは言うけど……ちょっとは待っていてくれてもいいんじゃないかな……」
とりあえずズボンをはきポロシャツに袖を通す。確かに絶好の海水浴日和である。誠はしばらく呆然と外の景色を眺めていた。
島田を追いかけようと誠がドアに向かうその時、ドアをノックする音が聞こえた。ベルボーイか何かだろう。そう思いながら誠はそのまま扉を開いた。
「よう!」
かなめが立っている。いかにも当たり前とでも言うように。昨日のバーで見たようなどこかやさぐれたいつも通りのかなめだった。
「西園寺さん?」
視線がつい派手なアロハシャツの大きく開いた胸のほうに向かう。
「何だ?アタシじゃまずいのか?」
いつもの難癖をつけるような感じで誠をにらみつけてくる。気まぐれな彼女らしい態度に誠の顔にはつい笑顔が出ていた。
「別にそう言うわけじゃあ無いんですけど……」
誠は廊下へ出て周りを見渡した。同部屋のアメリアやカウラの姿は見えない。
「西園寺さんだけですか?」
明らかにその言葉に不機嫌になるかなめ。
「テメエ、アタシはカウラやアメリアのおまけじゃねえよ。連中は先に上で朝飯食ってるはずだ。アタシ等も行くぞ」
そう言うとかなめは振り向きもせずにエレベータルームに歩き出す。仕方なく誠も彼女に続く。
廊下から見えるホテルの中庭がひろがっていた。それを見ながら黙って歩き続けるかなめの後ろををついていく。
「昨日はすいません」
きっと何かとんでもないことでもしている可能性がある。そう思ってとりあえず誠は謝ることにした。
「は?」
振り返って立ち止まったかなめの顔は誠の言いたいことが理解できないと言うような表情だった。
「きっと飲みすぎて何か……やらかしませんでしたよね?」
そこまで誠が言うとかなめは静かに笑いを浮かべていた。そして首を横に振りながら誠の左肩に手を乗せる。
「意外としっかりしてたじゃねえか。もしかして記憶飛んでるか?」
エレベータが到着する。かなめは誠の顔を見つめている。こう言う時に笑顔でも浮かべてくれれば気が楽になるのだが、かなめにはそんな芸当を期待できない。
「ええ、島田先輩が言うにはかなりぶっ飛んでたみたいで……」
「ふうん……そうか……」
かなめが珍しく落ち込んだような顔をした。とりあえず彼女の前ではそれほど粗相をしていなかったことが分かり誠はほっとする。だが明らかにかなめは誠の記憶が飛んでいたことが残念だと言うように静かにうなだれる。
「まあ、いいか」
自分に言い聞かせるようにかなめは一人つぶやく。扉が開き、落ち着いた趣のある廊下が広がっている。かなめは知り尽くしているようにそのまま廊下を早足で歩いた。
観葉植物越しにレストランらしい部屋が目に入ってきた。かなめはボーイに軽く手を上げてそのまま誠を引き連れて、日本庭園が広がる窓際のテーブルに向かった。
「あー!かなめちゃん、誠君と一緒に来てるー!」
甲高い叫び声が響く。その先にはデザートのメロンの皿を手に持ったサラがいた。
「騒ぐな!バーカ!」
かなめがやり返す。隣のテーブルで味噌汁をすすっていたカウラとアメリアは、二人が一緒に入ってきたのが信じられないと言った調子で口を中途半端に広げながら見つめてきた。
「そこの二人!アタシがこいつを連れてるとなんか不都合でもあるのか?」
かなめがそう叫ぶと、二人はゆっくりと首を横に振った。誠は窓際の席を占領したかなめの正面に座らざるを得なくなった。
「なるほどねえ、アサリの味噌汁とアジの干物。まるっきり親父の趣味じゃねえか」
メニュー表を手にとってかなめがつぶやく。
「旨いわよここのアジ。さすが西園寺大公家のご用達のホテルよね」
そう言ってアメリアは味噌汁の中のアサリの身を探す。カウラは黙って味付け海苔でご飯を包んで口に運んでいる。二人をチラッと眺めた後、誠は外の景色を見た。
日本庭園の向こう側に広がるのは東和海。その数千キロ先には地球圏や遼州各国の利権が入り乱れ内戦が続いているべルルカン大陸がある。
「なに見てるんだ?」
ウェイターが運んできた朝食を受け取りながら、かなめはそう切り出した。
「いえ、ちょっと気になることがあって」
「なんだ?」
かなめは早速、アジの干物にしょうゆをたらしながら尋ねる。
「昨日言わなかったんですけど、なんだか不思議な少年に会ったんですけど」
その言葉にかなめは目も向けずにうなづいて見せた。
「不思議な少年?」
どうでもいいことのようにかなめはあっさりとそう言った後、味噌汁の椀を取ってすすり込んだ。
「ええ、なんか急に僕に話しかけてきて……しかも僕のこと知ってるみたいで」
「知り合いじゃねえの?オメエが忘れてるだけとか」
相変わらずかなめはつれなかった。
「そんな、『少年兵』に知り合いなんていませんよ!」
誠の言葉を聞いてピクリとアメリアが反応するのが誠から見えた。
「ああ、ここに泊まってたんだ……あの子」
「あの子?知ってるのか?」
カウラがアメリアにいつも通りの仏頂面で尋ねた。
「第二小隊の話……進んでるのよ。『近藤事件』で法術の軍事行動の禁止の条約はできたけど、それをどこも素直に守るわけないじゃない?そこで、司法局でも実働部隊にもう一個小隊を編成してカウラちゃん達が留守の時に東都を守ろうって訳」
アメリアはそう言って静かに味噌汁をすすった。
「しかし、それを言うなら『少年兵』の存在は戦争法違反だぞ」
カウラはデザートのメロンを食べながらアメリアにささやいた。
「だから、今はこうしてかなめちゃんの家のサービスが効くところにいるのよ。あの子、まだ17歳だから……18歳になったら配属になるって」
そう言うとアメリアは誠を見つめた。
「よかったわね、誠ちゃん。部下が一年以内にできるんだから……それまでは島田君から『パシリ』扱いだけど」
「カウラ、第二小隊の話はどこまで進んでんだ?」
今度はかなめがカウラに話題を振る。
「おとといの部隊長会議で書類には目を通した。小隊長として当然の職務だが……いろいろあるそうだ、しばらく先になるらしい」
それだけ言うと、カウラはメロンの皮をぎりぎりまでスプーンですくって食べていた。
「だろうな……残り二人は甲武から出るからな……近藤事件で人事どころの騒ぎじゃないだろうし」
「西園寺さん!他の二人の来る予定の人も知ってるんですか?」
誠はまるで何も知らない自分を恥じながらそう尋ねた。
「まあな……一人はアタシの妹……のようなものだし」
「妹のようなもの?」
かなめのあいまいな答えに誠はオウム返しで繰り返していた。
「言うな……アイツのことを思い出すと飯がまずくなる」
そう言うとかなめはアジの干物をバリバリと食べ始めた。
こうなったらかなめは何も言わないのは誠も知っているので、静かに味噌汁を口の中に流し込んだ。
「ここの露天風呂を使ってたということは、ここに泊まっているはずだが、それらしいのは居ねえな」
周りを見渡し、納得したようにかなめは今度は煮物のにんじんを箸で口に運ぶ。
「別館なら完全洋式でルームサービスが出るだろ。そちらに泊まっているんじゃないのか」
カウラはそう言うとアメリアの残していったメロンをまたゆっくりと楽しむように味わっている。
「そう考えたほうが自然ですね」
誠がそう言うと、目の前に恨みがましい目で誠を見つめているかなめの姿があった。
「誠!テメエ、カウラの話だとすぐ同意するんだな」
まるで子供の反応だ。そう思いながらもかなめの機嫌を取り繕わなくてはと誠は首を振った。
「そんなこと無いですよ……」
助けを求めるようにカウラを見たが、メロンを食べることに集中しているカウラにその思いは届かなかった。誠は空気が自分に不利と考えて鯵の干物を口に突っ込んで味噌汁で流し込んだ。
かなめは相変わらず不機嫌そうで言葉も無い。そんな沈黙の中、誠は黙々と食事を続ける。
「ああ、私も先に行くぞ」
ゆっくりと味わうようにメロンを食べ終えたカウラが立ち上がる。かなめは顔を向けることも無く茶碗からご飯をかきこむ。誠はと言えばとりあえずメロンにかぶりつきながら同情するような視線のカウラに頭を下げた。
「やっぱりカウラの言うことは聞くんだな」
かなめは完全にへそを曲げていた。こうなったら彼女は何を言っても無駄だとわかっている。誠はたっぷりと皮に果肉を残したまま味わうことも出来ずにメロンを食べきって立ち上がる。
「薄情物」
去り行く誠に一言かなめがそう言った。誠も気にしてはいたがかなめの機嫌をとるのは無理だと思ってそのままエレベータコーナーまで黙って歩いていった。
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