第48話:ガゼリア山脈の魔獣 12
(飲み込んで、イーライ!)
自分の唇をイーライの唇に重ね、口移しでポーションを含ませていく。
吐き出させない、絶対に飲み込ませる、そう強く願いながら。
すると、イーライの喉が動き、明日香の耳にはゴクンと、ポーションを飲み込む音がはっきりと聞こえた。
「イーライ? イーライ!」
唇を離して再度呼び掛ける。
「……ア……アス、カ?」
「あぁ、イーライ! よかった、よかったよ~!」
かすれた声で名前を呼ばれ、僅かに目が開かれると、明日香はその場で号泣してしまう。
すでに傷は癒えているものの、失われた血が戻ってくるわけではない。
体を動かす事ができないイーライは、胸の上で泣き崩れる明日香の温もりをただ感じる事しかできなかった。
「……すまん……少しだけ、休ませて、くれ」
「うん……うん、大丈夫だよ。ゆっくり休んでね」
「…………ありが……とう」
イーライは再び目を閉じると、心地よさそうに寝息を立てて眠りについた。
初めて見るイーライの寝顔に、明日香はついつい優しくその頭を撫でてしまう。
だが、ここにいるのは二人だけではなかった。
その事を思い出した時にはすでに遅く、明日香はハッとして顔を上げると、三者三様の反応を示していた。
「か、格好いいです、明日香さん!」
「な……なな……ななななっ!?」
「緊急時とはいえさすがに恥じらいを、アスカ様。……くっ!」
「あ、いや、あの、そのおおおおぉぉっ!?」
自分が如何に恥ずかしい行動を取ってしまったのかを一瞬のうちに理解した明日香は、耳まで真っ赤にさせて反論しようとした。
しかし、そこに聞こえてきたのはガゼリア山脈に響こうかという大きな笑い声だった。
「がはははは! いやはや、本当に逞しい女性であるな! ヤマト殿、感服するぞ!」
「……あは、ははは……はぁ」
ダルトが大声で笑った事で注目がそちらに集まり、不思議と先ほどまで最高潮だった恥ずかしさは徐々に薄れていく。
これはダルトなりの気遣いで、明日香に注目が戻らないようにと騎士団にはアースドラゴンの解体や撤退準備の指示を出し始めている。
とはいえ、この場にいる三人からの注目を外す事はできず、明日香の顔はまだ赤いのだが気持ちを切り替える事はできていた。
「あの、アル様。これで、脅威は去ったんですよね?」
「あ、あぁ……そうだな。アースドラゴンが討伐対象だった事だし、いなくなれば魔獣の縄張りも元に戻っていくだろう」
「後は……勇者様方の捜索、でしょうか」
リヒトの言葉を聞いた夏希がビクッと体を震わせる。
普段の夏希なら体が固まってしまい何も言えなくなっていただろう。だが、今回の経験が彼女の中で何かを変えたのか、すぐに立ち上がるとアルとリヒトに対して素直に頭を下げた。
「この度は、申し訳ございませんでした! 謝って許される事とは思っていません! なので、どのような処罰も受けるつもりです!」
「カミヤ様」
「ナツキ様の処罰に関しては、王城へ戻り次第で検討させていただきます」
「アル様、リヒト様。その、どうか処罰が重くならないように、お口添えできませんか?」
夏希がかわいそうに思えた明日香が口を挟んだものの、それを夏希自身が阻んだ。
「違うんです、明日香さん。私、あなたにもずっと謝りたかった。でも、勇気が出なくて……そのせいで今日も皆さんにご迷惑を掛けてしまいました。相応の処罰は、必要なんです」
震える体を自らの意思で抑えつけて、夏希ははっきりと口にした。
「ナツキ様の罪は非常に重いものです。大型魔獣の討伐を行う上で現場を混乱に陥れ、さらに敵前逃亡して味方をさらなる危険に晒しました」
「……はい」
「ですが、勇者様含めた三名とは異なり、自らの罪を悔いてこの場へ戻ってきただけではなく、危険に晒されたアスカ様、イーライの二名を守り抜いてくれました」
「……え?」
「故に、リヒト・バーグマンはナツキ様を庇護する事を約束いたしましょう」
まさかの展開に理解が追いつかない夏希だったが、続けてアルも口を開いた。
「私たちが無理やりに召喚したのですから、一度も失敗で即処罰などありえません。ですが、二度目はないとお考えいただきたい。それでよろしければ、アル・マグノリアもカミヤ様を庇護する事を約束しよう」
アルからも庇護を約束してくれると知った夏希は、その場で泣き崩れてしまった。
「あ、ありがとう、ございます! このご恩に、必ず報いたいと、思います!」
「よかったね、夏希ちゃん。本当によかったね」
「はい! 明日香さんも、すみませんでした。それに、ありがとうございます!」
二人は涙を流しながらも、その表情は満面の笑みを浮かべていた。
◆◇◆◇
その後、二人は怪我人と共にガゼリア山脈を下山していく。
途中で冒険者の第一陣とすれ違うと、Aランク冒険者が軽く手を上げて挨拶してくれた。
これから散らばってしまった魔獣の掃討に出るのだと教えてくれたAランク冒険者は、改めてお礼を口にしてからガゼリア山脈の方へ進んで行った。
また、騎士団の一部は岳人たちの捜索隊を編成して動き始めると、ほどなくして三人とも無事な姿で見つかった。
だが、恐怖のあまりに涙や鼻水、その他にも口に出すのも憚れるものが出ていたりと、見つけた騎士たちが顔をしかめてしまう状態になっていた。
とはいえ、命があるだけでも儲けものだろう。三人が隠れていた周囲にも多くの魔獣がうろついており、間一髪で助けられていたからだ。
大混乱が巻き起こった大型魔獣の襲来は、一人の犠牲者も出す事なく終息した。
◆◇◆◇
マゼリアに戻ってきた明日香は、イーライとレイを騎士団に任せて早足で歩き出す。
目的の建物が見えてくると、入口の前でウロウロしている一人の男性を見つけてクスリと笑みを浮かべてしまった。
「ジジさん!」
「おぉっ! アスカさん! よかった、無事で本当によかった!」
ジジは先に戻ってきた騎士たちを見かけてからずっと、道具屋の前で明日香の帰りを今か今かと待ちわびていた。
時間にすると一時間以上も待っていたのだが、ジジにとってはどうでもいい事だった。
「ただいま、ジジさん! 私、力になれたよ!」
「おかえりなさい、アスカさん。今日は疲れたでしょう。まずは休んでください」
「はい! ……えへへ、実はもう、クタクタなんです」
ジジの顔を見て安心したのか、明日香はその場でふらりとよろけてしまう。
その体を優しく支え、ジジと共に道具屋へ戻った明日香は、体を流すのも忘れてベッドへ横になると、あっという間に眠りについたのだった。
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