第十話
~第十話~
『誰憚ること無く育める愛なら良かった』と、後悔する暇も無い程に執心していた。何に?…勿論、君達に愛を捧ぐのに。その為に必要な手順の数多など差し障りにもならない。
妻の言葉を借りる訳ではないけれど、実現に必要なだけの力は生まれ持っていた。"唾棄すべき権力思考を押し止める理性"と"権力を笠に着ても手にしたい利己的な愛"の二つを秤に掛けるのは些かの葛藤を過らせはしたけれど。
僕らの終生は後世にどう紡がれるのだろう。願わくは僕らが憧憬を抱いた先達の様に、美しい記録として知る人達にのみひっそりと暖められていれば嬉しい。
いや、いっそ好色の英傑に身を委ねる堕落と倒錯に溺れた夫婦として悪名をあまねく天下に知らしめるのも面白いかも知れない。君が自分を高めてくれた様に、僕達も堕ちて行く事が出来る事を示して愛を返したい。
…浅ましいかな、それとも、君の覚悟に泥を掛けてしまうかな。どれだけ時間が経っても、叶った恋に浮き立った足が地に付かない。
―――
「…いや、普通に愛してくれれば良いんだが」
「あぁ!なんて謙虚な!」
「天使!これはもう紛う事無き天使ですわ!」
「おちょくってるのでなく本気で言ってんのが尚更性質悪い…」
「でも余り控え目過ぎるのも考えものだなぁ」
「そーゆー所子供の頃から変わりませんのね、貰える物は病気以外貰っておいて損は無くってよ?」
「その庶民感覚でよく『堕ちて行きたい』とか宣えるな…つーか話聞けや」
―――
「…ユーリの出自について、父上は御存知だったのでしょう?」
三軍の戦果報告を父王に奏上するため王宮へと戻った僕は夜半に到着したのを幸いと就寝前の父に面会を求めた。表向きは参内の報告、御付きの面々も疑うこと無く通してくれた。
父の私室を訪ねるのは久方ぶりの事だった。書見机と気に入りの書物を納めた書棚、来客用の椅子。離れていた数ヶ月分の程度には懐かしさを感じさせる風景に設えられた其れ等の調度品は決して豪奢な品ではない。中には僕らが手ずから作った素人臭い品すら混じっている。僕が腰掛けている椅子も元はユーリの作だった。
「あぁ、無論だ」
書見の際にのみ用いる老眼鏡を机上に置いた父は眉間を揉む様に押さえながら短く言葉を返す。
「お人の悪い…」
「彼奴の立身出世に関わる大事でもなかろう、ほれ」
父はグラスに注いであった寝酒を舐めながら一枚の書面を寄越してきた。
「ガイウス翁の廃嫡は永代の事だった、面倒の起きようも無かろう」
宣誓書の写しには確かに彼の曾祖父の署名が有った。
「良くお調べで…尚のこと早く伝えて頂きたかったですが」
「すまんな、儂も詳細を知ったのはお前達が出立したすぐ後だったのだよ」
聞けば前触れ無く下山してきた卿が雑談混じりに言うだけ言って帰ったのだそうだ。
「しかしそうなると態々近衛に入った意味が薄れますね、廃嫡の家とは言え王家の係累であれば…」
側仕えをさせるに十分な家格だろう。マグニシアにおいて然程血や身分は重要視されないにしても、だ。
「どうだろうか、儂個人としては『近衛副長』に勝る肩書きは無いと信ずるのだが」
「…と、言いますと?」
書面を返すついでに渡されたグラスを弄びながら訊ねる。既に話の温度は酒の肴代わりの雑談めいてきていた。
「"血筋"と言うのはただの名分に過ぎないと言う事よ、我らとて例外ではない」
父は自嘲に近い笑みを浮かべていた。反面、どこか楽しげでもある。
「無論名分が不要と断ずる訳ではない」
空になった僕のグラスに琥珀色の蒸留酒を注ぎながら父は続ける。
「人と言う種が群れを成し、土地を拓いて国を成すなら、其処には率いる者が必要だ…その誰かを決めるのに手っ取り早いのは間違い無く"血"であろうよ」
まるで自身が専制君主でもあるような口振りだ。王が方針を示しこそすれ、我が国では国政に合議制が敷かれて数世紀は経つと言うのに。
「それでも責を追う者、導く象徴として我らは己の勤めに誠心を持って臨まねばなるまい」
西方の"ノブレス・オブリージュ"に近い思想と納得した。
「あれも一種の選民思想として揶揄されがちではあるがな、職分を侵さぬ縛りを設けることで上下の相互扶助を揺るぎ無くさせる目的は達している」
それは寧ろユーリの考えに近そうだ。
「話が逸れたな…要するに、『自身の努力に因って手にした肩書きに勝る物は無い』と言う話よ」
酔いが回り講釈が面倒になったのか、乱暴に纏めた父はそのまま背凭れにだらしなく身を預けた。
「ユーリにはその様に伝えておきましょう…申し訳ありません、遅くまで」
「構わぬ、偶にする親子の会話と言うのも存外に心地好い…次は孫でも連れて来ると良い、種はどちらでも気にせんよ」
「父上であればそうでしょうね…どちらにせよ、少々お気が早い」
立ち上がるのも億劫になったか、乱雑に手招きする父に寝台まで肩を貸しその夜はお開きとなった。
―――
「…あ、これお土産の軟膏、父上から」
「話にオチをつけないと死んでしまう類いの人間か、お前」
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