第09話「帝国の影」

 ──魔鎧マガイの完成と、はっきり聞こえた。

 どうやら大当たり ビンゴ らしい。


「きみも見た通り、こちらの保管用資料バックアップはすべて消去した。だから誓約の通り、渡した資料 それ と引き換えに、娘の命だけは何があろうと保証してもらう」


 ジブリール卿とは対照的に静かで落ち着いた声が、淡々と続ける。

 聞き慣れたそれはエリシャ わたし の父、クラウス・ダンケルハイトのものだ。


「ええ、ええ、わかっていますとも。すべて我らに、お任せいただければ」


 ジブリールの軽薄なその言葉で、何もかもが腑に落ちた。

 あの優しく穏やかで、研究とお母様を誰よりも愛していた父が、どうして帝国への情報漏洩などという愚行に走ったのか。


 それは娘──エリシャ わたし のためだった。


「ああそれと、最後に例のものを、せめて一目だけ見せていただきたいのですが」

「…………いいだろう。これが本当の本当に最後だ」


 二人の会話が続く中、私の特撮オタクとしての考察脳がぐるぐると高速回転する。


 ミオリの推察通り、ジブリール卿が帝国の手先であることは明らかだ。

 彼は魔鎧を完成させるため、ダンケルハイト家の秘法──おそらくは神遺物レリックに関わる研究資料──と引き換えに私の命を保証する、という脅迫めいた取引を持ち掛けたのだろう。


 であれば、「襲撃」は現時点で、すでに計画されているのかも知れない。


 この王国──パラディウム神聖王国の領土は、切り立った崖の上の台地に広がっている。

 いわば王国全体が、天然の要害によって護られているのだ。

 そしてここ半世紀の間に、崖の下の大陸のほとんどを武力による支配下に置いたのが帝国──アスラフェル大帝国だった。


 その領土は王国の十倍以上、兵力差もそれに準じ、まともに侵攻を受けたらひとたまりもない。ただし、それは崖が存在しなければの話だ。


 どんな魔法を駆使しても、崖を越え大軍勢を送り込む手段はない。

 禁じられた転移魔法でも使わない限り不可能だ。

 そして、魔法文明を滅亡させた大災禍の元凶とも云われるその禁呪「転移門ゲート」に手を出すようなことは、いかな帝国といえどありえないだろう。


 そして。ありえないそれが、ありえることを私は知っている。


「おお、これが……!」


 ジブリールの感嘆が聞こえ、思考に浸かっていた私は我に返った。

 ミオリはこちらを見つめて、私の指示を待っている。

 見つめ返して小さく頷いたら、頬を染めて目を逸らした。

 ……緊張が、すこしだけ和らぐ。


 部屋の奥から、がちゃり、と金属製の箱を開ける音が響いた。

 私も数えるほどしか目にしたことのない、ダンケルハイト家の秘宝がいま、すぐそこで同じ空気に触れている。

 なぜか懐かしさと、奇妙な胸のざわつきを覚えた。


『──ご覧なさい、エリシャ。これが、我が家に伝わる神遺物レリック、開祖たる魔戦士ダンケルハイトの御身を守っていた魔玄籠手マガントレットです』


 エリシャわたしの幼い記憶の中から、優しくも誇らしげな母の声が聞こえた。

 それはお伽話として何度も見聞きした、建国の英雄たちの物語。

 いずれ王家の血筋となる白の聖騎士パラディオンと、好敵手ライバルにして相棒バディだった黒の魔戦士ダンケルハイト。


 いつも無口で笑顔を見せないけれど、誰よりも心優しく、そして強かったというダンケルハイトを、幼いエリシャ わたし は大好きだった。


 いやあいいよね、特撮ヲタク視点でもそういうキャラは大好物です。

 あとでゆっくり記憶の中のお話を反芻リピートしなくっちゃ。

 そもそも私、影を背負ったダークヒーローが最推しで──。


 そんな私の妄想交じりの意識を現実に引き戻すのは、またもジブリールの声だった。


「これぞ魔鎧の原型魔紋オリジナルが刻まれし神遺物レリック……かの魔戦士ダンケルハイトが身に纏った魔玄籠手マガントレット……ああなんと禍々しくも美しい」


 母と同じように熱っぽく語る彼の言葉には、母のそれとは決して相容れないいやらしさが絡みついて聞こえる。


 エリシャ わたし の心が叫んでいた。

 神遺物それにこんな男を近付けてはいけない。

 そして父の研究資料も渡してはいけない。──母の誇りを、穢させてはいけない。


「しかし、これを扱えるのはダンケルハイトの血族のみ。入婿の私では魔紋も反応しない」

「ええ、ゆえにエリシャ殿には生き延びていただく価値があるのですよ。ですから、彼女の身の安全についてはご安心いただきたい」


 その約束ことばに一切の実効性がないことを知っている私は、ミオリに大きく頷いてから深呼吸──


 そして隙間だけ開いていた扉のノブに手を掛け、思いきり開け放っていた。

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