幕間 憤慨する雪梅

「一体どういうことなの。峰葵さまはいつになったらいらっしゃるの!?」


 雪梅はいつになく怒っていた。

 普段であれば不満は口にすれど、おっとりとした口調でちくちくと嫌味を言うくらいだというのに、今日は日頃の不満が溜まってきているせいか口調も態度も荒々しく、女官などに当たり散らしていた。


「それが、お忙しい、とおっしゃられてしまいまして……」

「お忙しいお忙しいっていつもそうじゃない!」

「宰相殿でいらっしゃいますからねぇ。他の殿方よりはお忙しいのは仕方ないかと」

「何? 貴女、ワタシに対して物申すとはいい度胸ね?」

「い、いえ、そんな滅相もございません」


 女官の言葉に怒りを露わにし、眉を顰めてねめつける雪梅。その表情は普段の美貌などどこへやら、非常に醜いものであった。


「宰相だから何よ。ワタシは正妃として世継ぎを産むために呼ばれたのよ? 次代の王の母になる存在なのよ? そんなワタシを蔑ろにするだなんて」

「全くその通りでございます」

「そう思うのなら、ワタシが所望してるというのにどうして呼んでこないのよ! 誰でもいいからさっさと峰葵さまを呼んできてちょうだい!!」


 バンバン、と苛立ちに任せて持っていた扇子で床を叩く雪梅。

 まるで幼児が駄々をこねるような仕草であったが、誰もそれを咎めることはない。かと言って、誰も動くこともできずにそれぞれがお互いの顔を見合わせる。


 どのように伝えれば雪梅を宥めることができるのか。


 既に雪梅に頼まれるがまま何度も頼みに言っても断られていてこれ以上頼んでも結果を変えることはできないとわかっている女官達は頭を悩ませる。


 いかに主人である雪梅を怒らせずに気持ちを落ち着かせられるか、それぞれ思案しながら、なんとか自分達に矛先が向かぬように苦心した。


「もう何度もお声をおかけしているんですがねぇ」

「えぇ、えぇ。けれど、ここのところ同盟がどうのこうのと聞きますし、雪梅さまのところにはどうしても来れないと……」

「同盟? 何よ、それ。ワタシのことよりもその同盟とやらが大事だっていうの!?」


 雪梅が再び癇癪を起こしそうな素振りを見せて女官はギョッとする。

 そして、どうにか自分たちに火の粉が飛んでこないようにしようとするも、事実以外どう言えばいいのかと女官も焦っていた。


「な、何でも、秋波国は夏風国と同盟を組むのだとか。今後交易をしたり交流したりする上で色々と取り決めをなさらないといけないだとかで、峰葵さま含めて忙しくしているそうですよ」

「どういうこと。ワタシはそんなこと聞いてないわよ? 同盟が組まれたらワタシの立場はどうなるの?」

「それはわかりませんが……」

「何でわからないのよ! ワタシは望まれてきたというのに……!! 誰が一体同盟だなんだ始めたのよっ」

「それは陛下だそうですが……」

「あの小娘ですって……!?」


 雪梅の目がキリリと吊り上がる。そして、勢いよく床に扇子を叩きつけた。そのあまりの衝撃に、扇子が壊れる。

 激しく憤慨する雪梅の姿に女官たちも恐れ慄いた。


「ほんっとうに目障りな小娘ね! なんなの、あいつ!? 峰葵さまを取られたくないからってあの手この手で……っ」

「雪梅さま、あまり声を張り上げては……」

「いいのよ! あぁ、腹が立つ!! いつもいつもいつも……っ! 峰葵さまとのあれこれを言っても全然滅入ってる様子もなさそうだし、本当に腹が立つわ!!」


 今まで散々峰葵と仲睦まじいと誇示していたのに、態度は変わらず。強がっているのかと思って延々と閨のことを聞かせてみても反応はなく、花琳を傷つけたい雪梅は苛立ちを募らせていた。


「そもそも昔から気に食わなかったのよ、あの小娘。愛想をよくしても、優しくしても、余暉さまに便宜をはかるかと思いきや何もしてくれないし! 余暉さまも峰葵さまも何かあればすぐにあの女ばかり構って……!!」


 言いがかりでしかないことを唸るように叫ぶ雪梅。

 自分のほうが女としてまさっていて、誰よりも美しく、寵愛を受けるべき存在だと自負しているからこそ、人からしたら無茶苦茶で理不尽な要求ですら彼女にとっては当然のことであった。


 雪梅は高齢の両親が念願叶ってやっと産んだ初子のため、吉紅海では蝶よ花よと育てられていて、自分の欲求が通ることは当然で、自分が世界の中心だと思っていたのだ。


「あぁ、気に食わない。ワタシの思い通りにならないこと全てが気に食わない!!!」


 ガチャン!!


「きゃあ!」


 怒りのままに今度は手近にあった器を壁に投げる。力いっぱいにぶつけたせいで女官たちからは悲鳴が上がり、彼女たちは自分たちに当てられないかとビクビクと震えていた。


 そんな女官たちの姿にすら苛立つ雪梅。


 大きな音を立てて割れたそれはとても高価で貴重な品であったが、雪梅にはそんなことどうでもよかった。


「今部屋に入られるのは困ります!」

「煩い、どけ!」


 不意に扉の外から揉み合う声が聞こえて雪梅が顔を上げると、そこには仲考がいた。普段は不遜な態度でありつつも丁寧な口調だというのに、今は非常に荒々しい。


 彼も雪梅に勝るとも劣らないほど気分を害しているようで、眉間に皺を寄せながら無遠慮に雪梅の私室にズカズカと入ってくる。


「何しに来たの。あんたなんか呼んでないわよ」

「黙れ、小娘が。散々好き勝手させたんだ、いい加減今日という今日は役に立ってもらうぞ」


 そう言って強く腕を引かれて立ち上がらせられる。痛みに「いやっ、離してっ!」と暴れるも、「暴れるな!」とまたしても強く引っ張られた。


 女官たちは目の前で繰り広げられる蛮行になすすべなく、おろおろとするだけだ。


「そんなに暴れるなら今ここで抱いてやろうか?」


 仲考がそう言うと、雪梅の纏っていた衣をガバリと剥ごうとする。


「きゃああああ!?」


 無理矢理引っ張られたせいで雪梅の肌は露出し、慌てて隠すように衣を掻き抱いた。


「何するのよ!!」

「そういう約束だっただろう? 望みを何でも叶えてやる代わりにワシの子を身籠ると。そして、その子を世継ぎとしてこの国の王とさせると。もう時がない。念のために今仕込んでおかねば、貴様をここに呼んだ意味がない!」


 仲考が再び手をかけようとするのを雪梅は強く叩いて抵抗する。


「ふざけるな! 約束をたがえる気か!?」

「無理よ! 無理なのよ!!」

「何を言っている。そんなワガママが通用すると思っているのか!?」

「違うわよ! 今そんなことをしても峰葵さまの子じゃないってバレるって言ってるのよ!」

「…………は?」


 雪梅が顔を真っ赤にして叫ぶのと対称的に、仲考が理解ができぬと呆けた顔をする。そして、だんだんと時が経つにつれて理解したのか怒りに満ちた表情になっていった。


「まさか貴様、生娘だと言うのではないだろうな!?」

「……そ、れは…………」

「お前を呼び寄せてからもう三ヶ月だぞ!? 三ヶ月、散々好き勝手させてきた。あの小僧だってお前のところに通うように仕向けたはずだ。それなのに……一体どういうことだ!?」

「ワタシのせいじゃないわよ! ワタシのせいじゃ……っ!!」

「黙れ!!!」


 バシンッ!!


 仲考が加減なく思いっきり雪梅の頬を叩く。容赦ない平手打ちに、雪梅は床に叩きつけられるように沈みこんだ。


「もうよい! この役立たずが! どいつもこいつもワシの思い通りにならないクソどもめ!!」


 仲考は吐き捨てるように言うとそのまま雪梅の私室を出ていく。

 残された雪梅は痛みと恐怖と怒りでわなわなと震え始めた。


「よくも、よくもワタシをぶったわね……っ! よりにもよってワタシのこの顔を……殺してやる殺してやる殺してやる……っ」


 ぶつぶつと呪詛を吐く雪梅。そこには彼女が誇る美貌はなかった。


「思い通りにならないですって。いいわよ、そっちがその気なら、ワタシだって全部めちゃくちゃにしてやるんだから……!!!」


 雪梅は仲考が出ていった扉を睨みつけたあと、近くにあった卓をその扉に向かって投げつけるのであった。

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