第4話 伏魔殿
「おや、おやおやおや。そんな格好でどちらに行かれたのですかな? 陛下」
「……
明龍と別れ、私室に帰宅するなりまたもや面倒な人物に遭遇してしまったと眉を顰める花琳。長い髪を高くまとめ上げ、吊り目を細めつつ、短い髭を触りながら嫌味ったらしい物言いのニヤつくこの男は仲考といい、秋波国の太師で上層部の中で強硬派の中心人物であり、常に花琳の王の座を狙っている人物だった。
「随分と気が短い様子でしたが、何かございましたでしょうか? そういえば峰葵殿も何やら機嫌が悪いようにお見受けしましたねぇ。仲違いでもなさったのですか?」
わざとらしく遠回りにものを言う仲考。詮索し、花琳の怒りを買おうとわざとやっているため、タチが悪い。
「耳が遠くて聞こえなかったか? 我は先程から用件を言えと言っている」
花琳もそっちがその気ならと嫌味を言ってのければ、眉を上げる仲考。少しは効果があったようだ。
「これはこれは失敬致しました。王のご機嫌や調子はいかがと気になり、お伺いしただけでございます。それと、世間話でもしようかと」
「不要だ。我は忙しい」
「そうでしたか。残念でございます。特に最近は常に忙しくされてるご様子ですが……この仲考、陛下のためならいついかなるときにも陛下の手となり足となる所存ですので、なんなりとお申し付けください」
すらすらと心にもないことを吐き出す仲考。いっそ清々しいほどの演技ぶりだ。もし演者としての賞があるのなら、間違いなく仲考は最優秀賞を受賞することだろう。
だが、花琳も負けてはいなかった。仲考がその気ならば、と彼の言に乗ることにした。
「そうか。ならばその忠義を見せよ」
「と、おっしゃいますと?」
「最近、国境辺りのいざこざや密航、密輸入などが起こっていると小耳に挟んだのだが、なぜか我のところに情報が届かぬようでな。よくよく調べてみたらどこかの誰かが話を止めているようで、困っておるのだ」
「ほう。それは由々しき事態ですなぁ」
「そうだろう? だからその不届き者を捕らえ、ぜひとも我の元へと連れてきてほしい。我のために働くというのなら、造作もないことよな?」
「それは……少々骨の折れる難儀な案件ですな。早々に取り掛かりますが、心当たりがないゆえ、すぐにご期待に添えるかどうか」
さすがにシラを切るか、と反応を伺うも顔色一つ変えない仲考。代々上層部に君臨する一族の末裔だ、しらばっくれるなど造作もないようだった。
「そうか。まぁ、期待せずに待っておくとするか。……とまぁ、そういうわけで我は忙しい。どうせ明日には朝議も行うし、今後も貴様とは嫌と言うほど顔を合わせるだろう?」
「そうでございまするな」
「であれば、仲考もさっさと仕事に取りかかってくれ。あぁ、もしや帰り道がわからぬのか? もしわからぬというのなら良蘭に送らせるが」
暗に早く帰れと言っても動かぬ仲考に、花琳が痺れを切らして嫌味を言いつつ帰るように促す。主人の言に良蘭も花琳の側に立ち無言の圧力をかけると、仲考はまだ居座ろうと画策していたようだが、これ以上は不利だと渋々動き始めた。
「さすがはお優しい陛下。ワタシのような者にもお心遣いどうもありがとうございます。ですが、帰り道は承知しておりますので、これにて失礼致します」
「あぁ、そうか。道中気をつけるように」
「陛下も、くれぐれもお気をつけくださいませ」
意味ありげに微笑む仲考。それに反応することなく花琳はまっすぐ彼の背を見送る。
そして仲考がいなくなったのを確認すると、花琳は良蘭に戸を閉めさせ、「はぁぁぁ」と大きく息を吐いた。これではまるで狐の化かし合いだと、自室だというのに息をつく暇さえないことを嘆く。
「お疲れさまでした、花琳さま」
「本当にもうくったくただわ、良蘭。今日はツイてない日ね」
行く前から峰葵に見つかり、帰宅するなり仲考とやり合うなんて今日は散々だと嘆息する。ただでさえ忙しく、頭を抱える案件だらけだというのに、それに次々と難問を増やす上層部の連中に花琳の悩みは尽きることがなかった。
「そんな日もありますよ。とりあえず、湯浴みを済ませてください。ずっとその格好ではまた別の上層部の方に咎められますよ」
「わかってるわよ〜。はぁ、自分の家だというのに全然休まらないだなんて」
この十年、兄に成り代わってからというもの敵が一気に増え、自分はこんな恐ろしいところに住んでいたのかと日々実感する花琳。かつて姫であった頃は彼女を利用しようと虎視眈々と狙っていた者たちが多かった。彼らは花琳に気に入られようと媚びへつらってご機嫌伺いをしたり贈り物をしたりしてきたが、花琳が王位を継承するや否や手の平を返して彼女を王位から引き摺り下ろそうと攻撃してきた。そのあまりの変貌ぶりに花琳は人の欲望の醜さをまざまざと感じ、王として屈しない意思を示すためにも、常に気を張って自分を大きく見せるようわざと尊大な態度で振る舞っていた。
十八の少女が息をつくヒマもなく敵意を向けられ続けるというのは心理的負担が非常に大きいものであったが、兄の意思を継ぐためにも、花琳は自分の弱みを人には見せないようにと気丈な人のフリをしていた。
「仕方ありません。ここは伏魔殿ですからね」
「嫌な言い方をするわね。確かに間違ってはいないけど。私を引き摺り下ろそうとする魔物がたくさんいるし」
「そうですよ。その魔物たちから守ってくださっているのが峰葵さまなのですから、あまり無体はされないほうがよろしいと思いますよ。あとでちゃんと謝りに行くように」
あらぬ方向に話が飛んで面食らう。実際自分でも後ろめたいとは思っていたものの、花琳としては複雑な心境だった。気落ちしている状態で会って、弱っている部分を指摘されたくない。きっと指摘されたら甘えが出てしまい、峰葵に弱音を言ってしまいそうな自分がいるのが嫌だった。それに加えて、行ったら今日の一連のことでお説教を食らうことが確定しているので、できれば行きたくなかった。
「うー。やっぱり行かなきゃダメ?」
「ダメです」
良蘭にキッパリと言われて項垂れる。こういうことに厳しい良蘭には例え花琳のほうが立場が上だとしても頭が上がらなかった。
「王として、過ちは正さねばならぬのでは?」
「それとこれとは……」
「何も違いません」
スパッと断言されてにべもない。良蘭はこういう部分は曖昧にさせない主義であった。
「あーもー。わかったわよ。湯浴みを済ませたら行っておく。どうせ話し合わなきゃいけないこともあるしね」
「さすが花琳さまです。私も教育係として誇らしいですわ」
「はいはい。……全く、よく言うわ」
「それで。どうでした? 市井は」
「どうもこうもないわよ。さっきの仲考といい、どうも最近裏で活発に動き回っているようね。一体、何を考えているのやら……。問題ばかり増やしてくれて困ったものだわ」
今回市井に回って聞き得た情報がことごとく花琳の耳に入る前に握り潰されていたことを考えると、花琳に知られたくないことなのだろう。国民をけしかけて引き摺り下ろそうとしているのか、はたまた別口で冤罪でも吹っかけて引き摺り下ろそうとしているのかは定かではないが、花琳をどうにか王の座から下そうとしているのだけは間違いなかった。
現に今、仲考が来たのも恐らく花琳の足を引っ張る要素を探りに来たに違いない。そうでなければ普段、女臭い乳臭い女のくせに生意気だと影で花琳のことを揶揄している仲考が彼女の私室に来るはずもなかった。
「まだ若いのに眉間に皺を寄せすぎですよ。湯浴みのあとは美味しいお茶と茶菓子を用意しますから、ゆったり浸かって身体を解して来てください」
「わーい、さすが良蘭ね! 愛してるわ!」
「はいはい。時は金なり、さっさと入って来てください」
「いってきまーす」
湯殿へ一目散に走っていく花琳の背を見つめながら、「やっと十八になったばかりだというのに、背負うものが大きすぎるわ」と溢し、良蘭は花琳の将来を憂いながら後ろから彼女のあとを追いかけるのであった。
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