身代わりの男装姫

鳥柄ささみ

第0話 プロローグ

 走る走る走る。

 息が上がりながらも足を止めることなく廊下を駆け抜け、勢いのまま壁や人にぶつかりつつも目的地まで向かった。


(お願い、お願い、間に合って……!)


「兄さま……っ!!」


 部屋に転がるように勢いよく入室すると、そこには大勢の人に囲まれている彼女の兄がいた。

 布団や床がところどころ真っ赤に染まっていて、尋常じゃない量であることが素人でもすぐにわかる。

 兄の目は既に虚ろとなり、息も絶え絶えで、今にも命の灯火が消えそうな姿に花琳カリンはつんと鼻の奥が痛み、涙が迫り上がってきた。


「……その声は、花琳……か? どこに、いる……?」

「兄さま、私はここにいるわ!」


 すぐさま駆け寄り、兄の手を力強く握る。その手は以前にも増して肉も皮も薄く骨張っていて、弾力も力もなく、こんなにも痩せ細っていたのかと気づいて胸が苦しくなる。


「花琳、……約束が……守、れなく……て、すまない、な」


 視線が彷徨い、画策ない。恐らくもう見えていないのだろう。声は擦れ、力もなく、まだ十六の青年の声とは思えないほど覇気がなかった。


「そんな、そんな……っ! 何を言っているのよ! 昨日約束したばかりじゃない! 体調も落ち着いてきたって! だから大丈夫よ! またきっと元に戻れるから……! だからお願いだから、そんなこと言わないでよ!!」

「花、琳……悪い。先に、逝く兄……を、許し……ておくれ……」


 どうにか絞り出している声に必死に耳を傾ける。今までにないほど苦しそうな声に、涙がとめどなく溢れてきた。


「嫌よ! やだやだ! 言ったじゃない、私をひとりぼっちにはしないって! 病気を治して、二人で一緒に国政頑張って行こうって言ったじゃない!!」

「花琳……すまない、すま……な……」


 握っていた兄の手から力が抜ける。必死に握り返し、身体を叩いたり揺すったりするが兄はもう動かなかった。


「いやぁ、いやぁあああああ、兄さま! 兄さまぁぁぁ!! 私を置いていかないでよぉぉ! ひとりぼっちにしないって言ったじゃない!!!!」


 兄の身体に縋りつく。ぼろぼろと溢れ出す涙は、彼の服を濡らしていく。

 まだ温かい身体に死んだ実感が湧かず、ただ眠ってるだけなのではないかと思うも、未だに兄は動こうとはしなかった。


峰葵ホウキ

「はい。……花琳。こっちに来い。邪魔になる」


 年輩の男が年若い男の名を呼ぶ。すると若い男は小さく頷くと、彼女を引き剥がそうと腕を引いた。


「やだやだやだやだ!! 兄さまと一緒にいる!!!」

「花琳。余暉ヨキは死んだのだ。きちんと弔ってやらないといけないだろう?」

「死んでないもん! まだ温かいもん! ……まだ、こんなに温かいのに……っ! っう、う、うわぁあああああん」


 現実を突きつけられて、堰を切ったように泣き出す少女を抱える男。そして、あやすように背を撫でながらそのまま部屋を出る。


(この世は不条理だ)


 男は苦々しく思いながら、少女の涙が止まるまであやし続けるのであった。

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