第5話
家に帰るとユイは、そういえば、と呟いて僕のことをじっと見た。
「私はまだ、君の名前を聞いていないな? 名前は何だ?」
「僕の名前は伊口晴人(いぐち はると)だよ」
僕も名前を聞かれていないことなどすっかり忘れていた。
「晴人、今日はカレーとか呟いていたが、カレーとは何だ?」
「食べれば分かるよ」
僕はそう言ってから、お米をとぎ始めた。
昼食の量から考えて、ユイは僕の二倍は食べるだろうと思い、いつもの三倍の量のお米を炊くことにした。
「よし、お米はとぎ終わったから炊飯器のスイッチを入れるよ」
「炊飯器?」
「お米をご飯にする機械だよ」
「また機械か。この世界は機械まみれだな」
炊飯器のスイッチを入れると、電子音のメロディーが流れる。
「ほう、歌まで歌うのか!? この炊飯器とやらは」
ユイは珍しそうに炊飯器をまじまじと見つめている。
「ご飯を炊いてる間に、野菜と肉を切って炒めよう。カレーを作るよ」
「うむ! 私は何をすれば良い?」
「じゃあ、タマネギの皮を剥いてくれる?」
「分かった!」
僕が大量のジャガイモや人参を剥いたり刻んだりしている脇で、ユイはタマネギをむき始めた。
「ユイ、タマネギは茶色い部分だけ剥けば良いからね。手で潰さないように気をつけて」
「ああ。分かった。しかし、目が痛い……」
ユイは涙をこぼしながら、何とか皮むきを終えた。
僕はタマネギをみじん切りにして、一番大きな鍋を台所の奥から引っ張り出した。
母さんが「男の子ならいっぱい食べるわよね」と言って、買った後一度しか使っていない。
「油を鍋に引いて、火をつけて、と」
僕がコンロの把手をひねって火をつけると、ユイは驚いて声を上げた。
「なんと! これも魔法の道具か!?」
「ただのコンロだよ。機械」
「機械か。機械とはずいぶん便利な物だな。魔法とは違う力なのか?」
「うん。電気っていうのがいろんな物を動かしてるんだ」
「へー!!」
ユイがコンロに顔を近づける。
「危ないよ!?」
僕は止めたが、遅かった。ユイの前髪がちょっと焦げている。
「あーあ。大丈夫? ユイ?」
「このくらい、ドラゴンの炎を浴びたときに比べれば、傷にもならない」
ユイは無意味に胸を張って、えへん、と咳払いをした。
「後は煮込むだけだから、ユイはテレビでも見てる?」
「うむ」
僕がテレビをつけると、ユイはまた驚いて声を上げた。
「なんと!? この小さな箱には世界がつまっているのか?」
「ちがうよ。これはテレビ」
僕はいちいち説明するのが面倒になってきた。
「じゃあ、大人しくしててね。僕はカレーのそこが焦げないようにかき混ぜていないといけないから」
「……」
ユイはもうテレビに釘付けだった。
僕はしばらくカレーの味見をしたり、ボンヤリしながら、鍋をかき混ぜた。
「人の居る部屋か。ひさしぶりだな……」
僕はユイの姿を見て、にっこりした。
ちょっと風変わりだけど、ユイは良い子だと思う。
「ユイ、カレーが出来たよ!」
「おう、待ちくたびれたぞ!」
僕はお皿にこんもりとご飯をのせてカレーをたっぷりかけてから、座っているユイの前のテーブルに置いた。
「晴人は?」
「僕も食べるよ」
僕の分はユイの半分くらいだ。といっても普通の一人前だけれど。
「いただきます」
「いただきます!」
ユイは、カレーをスプーンですくって一口食べた。すると、悲鳴が聞こえた。
「辛い!!!」
「ええ!? 中辛だめだった!?」
「水、水をくれ!!」
僕は慌ててユイに水を出した。ユイはそれをごくごくと飲み干した。
「はあ、はあ、何て危険な食べ物なんだ!? これは!?」
「ちょっとまって、念のために買っておいた物があるから」
僕はそう言うと冷蔵庫から生クリームと、とろけるチーズを出してユイのカレーにかけた。
「あ、美味しくなった!!」
「良かった」
ユイはパクパクと生クリームとチーズでマイルドになったカレーを食べた。
「おかわりはあるのか?」
「沢山作ったから、あるよ」
「じゃあ、おかわり!!」
結局、僕はユイの為に鍋に残ったカレーの味を直して、甘口カレーにした。
「美味しいな、カレーは」
「ユイが喜んでくれて良かったよ」
僕はユイが食べ終わった後、大きな鍋とお皿を洗ってから、大量の豚汁を朝ご飯用に作った。
「お? まだ何か作るのか?」
「明日の朝ご飯だから、食べちゃ駄目だよ、ユイ」
「はーい」
ユイはお風呂に入って、着替えるとソファで寝ようとした。
僕は慌ててお客様用布団をベットの脇に並べた。
「それじゃ、おやすみ、ユイ」
「おやすみ、晴人」
僕たちは眠りについた。
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