第4話「衝突! 現実と非現実!」Aパート

 さて、奴らはあの後どうしたかな?


 きっと困っただろう、焦っただろう。上手く行っていれば、『作戦』とやらは目論見どおり失敗してくれたかもしれない。もし成功していても、一度は肝が冷えたはずだ。思い通りに事が運ばないストレスを与えられたなら、ひとまずそれでいい。


 しかし、ああ、それでも腹が立つ。俺の直面する現実は、この間から何一つ変わっていない。


 あんな軽薄な奴らと違って、俺は現実と真摯に向き合い続けているのに。そしてその現実に、こんなにも苦しめられているのに。自分が特別ではないことを、嫌というほど理解しきっているのに。


 何が非現実だ。何がヒーローだ。何が『現実戦隊フツージン』だ。


 思い知らせてやる。お前らなんか、現実の前にはほんのちっぽけな存在だっていうことを。


 ――お前らの考えてることなんか、俺には全部お見通しなんだよ!



                   ○



「ヒーローになりてぇなぁ」


 小型テレビと向き合いながら、佐藤が唇を歪める。テレビ画面では、戦いを終えたヒーローたちが逆光の中を歩き出していた。『光戦隊コーセイジャー』。最終回のエンドロールを終えた、感動的なラストシーンだ。


「……まぁ、な」


 僕は返事を濁した。居酒屋で『コーセイジャー』の話をして以来、佐藤はよく「ヒーローになりたい」と口にする。ヒーローになってしまった身としては反応に困り、毎回それとなく勢いを削ごうとしているのだが、佐藤の熱は一向に冷める気配がない。


 久々に佐藤の家に集まった今日だって、気づけばコーセイジャー鑑賞会にさせられていた。コーセイジャー自体は大人になった今でもじゅうぶん楽しめる内容で、そこに文句はないのだけれど。


 コーセイレッドにもコーセイレッドなりの暗い葛藤や苦悩があって、やはり僕の想像していた「ヒーロー」とは違っていた。


「もしヒーローになれたら、俺はやっぱ、空飛んだり必殺技出したり、ロボを合体させたりしたいな。こう、ド派手にさ」


 DVDプレイヤーの停止ボタンを押しながら、佐藤が目を輝かせる。こんな無邪気なところのある奴だったっけ、と思いつつ、僕は目の前の座卓に肘をついた。


「そりゃ、せっかくならそうしたいな」


 これはちょっと本心だ。せっかくヒーローになれたなら、そういう思いきり非現実的なこともしてみたい。馴染んだわけではないけれど、そう思えるくらいには僕もヒーローを受け入れていた。


「けど」


 佐藤が声のトーンを下げる。「んー」と彼の横顔を見ると、その目からは一切の光が消えていた。いつも通りの、大人の顔だ。


「現実にはあり得ねぇからなぁ、そんなの。どんなにヒーローにあこがれても、結局は毎日仕事して金稼ぐしかないんだし」


「……うん」


 僕は頷いた。スーツを着てネクタイを締めて、仕事をこなして給料をもらう。それが一般的なサラリーマンのあり方だ。その目まぐるしい生活に、ヒーロー活動の挟まる余地はない。自分が一般的なサラリーマン生活と決別したとは思わないが、他に比べるとずいぶん夢見がちなサラリーマンであることは自覚していた。


 なんとなく居心地が悪くなって、佐藤の部屋を眺める。僕のアパートよりもほんの少し上等なワンルームは、僕のワンルームよりもほんの少し雑然としていた。脱ぎ捨てられた服や日用品があちこちに転がっている。佐藤は、僕が来るときには部屋の片づけをしないのだ。


 呆れつつ、床に視線を走らせる。地味な色合いのものがゴロゴロとする中に、ひとつだけ色鮮やかな物体があった。漫画雑誌だ。カラフルな服装のキャラクターが表紙を飾り、ハッとするような赤で誌名のロゴが印刷されている。


「佐藤、こんな雑誌買ってたんだ」


 これ幸いと話題を逸らし、僕は腕を伸ばして雑誌を手に取った。判型も大きく、ずっしりと重い。近くで見ると、表紙には「月刊」の文字が確認できた。僕の手元をちらりと見て、佐藤は答える。


「ああ、それ? 好きな漫画が連載されてるやつでさ、毎月じゃないけど、たまに買ってんの」


「へぇ、知らなかった」


「結構面白いの載ってるよ。つまんねぇのはつまんねぇけど」


「あはは」


 雑誌を膝にのせ、ぱらぱらとめくってみる。ピンク、緑、黄色と移り変わっていく誌面の色が懐かしかった。表紙のキャラクターは漫画でも華麗に動き回っており、別の作品では、眼鏡をかけたキャラクターがスマートにバトルの戦略を立てている。僕の膝には、ワクワクするフィクションが重さをもって広がっていた。


 雑誌の終盤に差し掛かり、最後の作品が始まった。長いマントをなびかせた主人公に、思わず「お」と声が出る。ヒーロー漫画だ。主人公は正統派の爽やかスマイルを浮かべながら、小さな女の子を抱き上げている。


「あ、その漫画」


 僕の声に反応して、佐藤がこちらに首を伸ばした。


「それが一番つまんねぇんだよ。普通の中学生がヒーローになるーみたいなやつなんだけど、夢があるようでそうでもないっていうか……なんか入り込めない感じでさ」


「ふぅん? せっかくのヒーローものなのにな」


「そうなんだよなぁ。もっと面白くできそうなのに」


 口を尖らせる佐藤。僕は物語を追うともなく追って、あっという間に最後のページに辿りついた。街の商店街に次なる敵が現れるが、主人公は教室の机に突っ伏して寝息を立てている。そういうシーンってよくあるよな、と、頭が勝手にコメントを述べる。


「確かに、つまんなそうかも」


「だろ?」


 佐藤はなぜか満足げに言う。最後のページを改めて眺めてから、僕は雑誌を閉じた。


 ――入り込めない感じ。


 現実にいながら非現実を覗き込むのは、案外難しい。





「することがないッ!!」


 ダン! 机が叩かれる。ビリビリと震える鼓膜を「ないですね~」とハルカさんの声が撫でた。

 コーセイジャー鑑賞会の翌日、月曜日。鷹宮家のダイニングに集まった『フツージン』は、史上最大の問題に直面していた。壁掛け時計は五時五十三分を指し、ぶっきらぼうな秒針の音を響かせている。


「何かないのか! ほら、イエロー。学校でそういう話はしないのか」


「しませんよ。話す相手もいないんですから」


「ブルー! ブルーはどうだ。美容院ならお客と話すだろう?」


「いや……最近は、水上スキーの話くらいしか」


「水上スキーってなんだ!」


「なんかあの、モーターボートに牽かれて、水の上を滑るやつです」


「見たことあるな!」


 って、水上スキーの話ではない! 鷹宮氏がまた机を叩く。その音に耳を塞いで、田場くんが憂鬱そうに口を開いた。


「ヒーローが敵を見つけられなくてどうすんだよ……」


 ユウタくんの件からおよそ二週間が経った、六月の終わり。結成から既に一か月が過ぎた『現実戦隊フツージン』は早くも、立ち向かうべき「現実」を見つけられなくなっていた。


 立ち向かうべきものが見つからない限り、作戦を立てることはできない。作戦を立てられない限り、活動することもできない。

 鷹宮父娘はこの二週間ずっと「現実」を探し続けていたが、まるで見つからなかったらしい。今日は全員が集まるや否や、すがりつくように「『現実』はないか!」と発言を求められた。


「あっ! グリーン、お前いま何て言った! 現実は敵などではない、現実というのはだな」


「うるせーな。戦う相手なら敵だろ」


「人の話を遮るな!」


「まぁまぁ総司令。話が逸れちゃいますから」


「ぐぅ……」


 ハルカさんに宥められ、鷹宮氏は歯ぎしりする。勝ち誇った表情の田場くん。その頬を、仰木が指で弾いた。「いてっ!」田場くんが仰木を睨み、仰木は目を逸らす。


 鷹宮氏に大反対されながらも、田場くんは戦隊の「グリーン」となった。ハルカさんが氏を説得して迎え入れさせたようだ。前回の作戦の真相も、彼には既に説明されている。生意気な五人目のおかげでダイニングはずいぶん賑やかになったが、会議の内容はいつになく閑散としている。


「ピンク、お前は本当に思いつかないのか? 常連さんもたくさんいるだろう、思い出してみなさい」


「もうさんざん思い出したよぉ。総司令こそ何かないんですか? 町内会とかで」


「町内会なぁ……あ、あれだ、空き家の話はしたぞ」


「空き家ですか?」


「そう。川沿いにな、あるらしいんだよ。怪しい奴が寄りつきでもしたら危ないなぁと、そんな話をした」


「そうなんですかー」


「まぁ、いま必要な話じゃないな、これは」


 鷹宮氏は顔をしかめる。だらりとした空気の中に、はっきりとした焦りが漂っている。


「じゃあレッド! レッドはどうだ」


「えぇ?」


 名指しされ、声が裏返る。会議が始まって僕もずっと考えていたが、それらしい『現実』を見た記憶はなかった。申し訳なくはあるけれど、ここは正直に答えるしかない。罪悪感を誤魔化すように、僕は膝にのせた通勤鞄を抱きかかえた。


「特に、聞いてないですね。何かに困ってるとか、そういう話は」


「ぬ……そうか」


 肩を落とし、鷹宮氏は目に見えてしょげる。すみません、と頭を下げると、今度はハルカさんが僕を見た。真剣な眼差しに体温が上がる。


「何かに困ってる、じゃなくて、『こうなったらいいのに』みたいな話は聞いてませんか? 困りごとがなくても、そういう言葉の裏には何かの現実があると思うんです」


「え、えぇと」


 『こうなったらいいのに』? すぐには思いつかないが、ここで正直に答えたらハルカさんのこともしょんぼりさせてしまうだろうか。それは避けたい。そうでなくても、ハルカさんの前では役に立つ男でありたい。僕は頭をフル回転させる。


 こうなったらいいのに、こうだったらいいのに、こうならいいのに、こうなればいいのに、こうしてくれれば、こうできれば、こうなれれば……「あっ!」


「何かありました!?」


 ハルカさんが前のめりになる。近づいた距離に硬くなる舌を、僕はどうにか動かした。


「はっ、はい! いえ、これでいいのかは分からないんですけど」


「きっとそれでいいと思います! 何ですか?」


 ハルカさんの目がキラキラと輝く。僕は佐藤の暗い瞳を思い出しながら、答えた。


「そ、その……友人が最近、『ヒーローになりたい』と、よく言っていて」


「まぁっ!」


 ハルカさんが手を叩き、満面の笑みを浮かべる。僕は唯一の友人に心の底から感謝した。ありがとう、お前のおかげでハルカさんが可愛い。


「素敵じゃないですか! そのお友達って、この近くにお住まいの方ですか?」


「はっはい、まぁ。ここから駅のほうに進むと、あの、ちょっと綺麗なアパートがあるんですけど。向かいにパン屋のある……そこに住んでて」


「うむ、確かにいい案件ではあるな」


 鷹宮氏は頷いてから、片頬を下げる。


「しかしそうなると、その友達をヒーローにしてやることになるのか?」


「そうなるんじゃないですかね?」ハルカさんも首を傾げた。


「と、いうことは、おれたちの仲間に加えるということか」


「そう、ですかね?」


 ハルカさんが唇に指を当て、僕はぎくりとする。もし本当に佐藤が加わるとすれば、僕と佐藤はヒーロー仲間になってしまう。ヒーロー活動をある程度受け入れたとはいえ、コスチューム姿や作戦中の醜態を友人に見られるのは……少しきつい。


「別に、仲間にしなくてもいいんじゃないですか?」


 危惧する僕の胃の痛みを、仰木が少し和らげた。鷹宮氏は口を曲げる。


「おれたちとは別のヒーローにしてやるってことか?」


「いや、そうじゃなくて。ヒーローにならなくても、一回『ヒーローっぽい』体験をさせてあげれば満足するんじゃないですかね」


「うぅむ。そう思うか? レッド」


「う、うぅん……」


 僕は言葉に詰まった。イエローの提案は僕には都合がいいが、佐藤が喜ぶかどうかは分からない。ヒーローになりたいとは言っていたが、それはどのくらい強い願望だったのだろう? そもそも、彼は本当にヒーローになりたがっているのか? 


 考えれば考えるほどさらに分からなくなっていき、通勤鞄を抱える腕に力がこもる。


「僕にはちょっと、分からない、ですね」


 僕がそう言うと、田場くんはテーブルの上に腕を投げ出した。


「つーか、そいつはなんでヒーローになりたいんだよ? カッコいいから?」


「あー、ヒーローっていいよな、とは言ってたけど……」


 語尾を曖昧にしてしまう。そういえば、あいつはどうしてああもヒーローに憧れているんだろう。佐藤の「ヒーローになりたい」の裏に何があるのか、僕は知らなかった。


 ダイニングに静けさが広がる。僕がどうしても言葉を出せないでいると、那須が細い手をするりとあげた。


「あの、やっぱりまずはその理由というか、『現実』のほうを知らないと進めないんじゃないかと……。この戦隊も、現実に立ち向かうのが目的なわけですし」


 的を射た意見だ。静寂を打ち破ってくれたことはありがたいが、やはり少しだけ癪だった。とはいえ、那須の言う通りだ。葛藤しつつ、僕は賛同した。


「僕も、そう思います。まずはあいつに確認してみないと」


「ふむ。そうだな」


 鷹宮氏は同意すると、いきなり僕を指差した。「わっ!」ブリッジに指先が触れ、眼鏡がずれる。慌てて指から離れる僕に向けて、鷹宮氏は白い歯を光らせた。


「では、レッド! なるべく早急にその友人と接触を図り、彼をヒーローという非現実に駆り立てる『現実』を突き止めて報告するように! 分かったか?」


「ら、らじゃー……」


 抱えた鞄にすがりつつ、僕は眼鏡を直した。





「そりゃ、カッコいいからだよ」


 真顔で答え、明太子スパゲッティをフォークに巻きつける佐藤。ドリアに眼鏡をくもらされながら、僕は「そうだな」としか返せない。


 会議の翌々日、僕はさっそく佐藤と昼食をとっていた。ビルの隙間に建つ洋食屋には、サラリーマンばかりが集まっている。僕と佐藤はやはり埋没していた。


「ヒーローになりたい理由なんて、それ以外にないだろ」


「まぁ、それはそうだろうけど……」


 僕はモゴモゴ言いつつ、ドリアを一口すくった。スプーンの上からも、皿のすくったところからも、絶え間なく湯気がのぼってくる。この店のドリアは文句なく美味いのだが、いつも異様に熱い。


 どうしてヒーローになりたいんだ、と端的に訊いてみたはいいものの、端的すぎて返答は芳しくなかった。


 やっぱり、もっと切り込んだ質問をしないと駄目か? 何か悩みでもあるのか、とか、最近つらいのか、とか……そんな言葉、佐藤にかけたことがない。というか、佐藤の悩みを聞いたことすらないように思えた。愚痴はよく聞くけれど、それとはまた別物だろう。


 何度か息を吹いてから、ドリアを口に運ぶ。それでもまだまだ熱かった。慌てて水で流し込むが、舌にはざらざらした感触が残る。眼鏡もくもったままだ。白いレンズの向こうから、佐藤の声が聞こえてくる。


「ヒーローといえば、昨日聞いた話なんだけど」


「何?」


 ざらざらの舌で相槌を打ち、僕はまたコップに口をつけた。口内を冷やすべく水は飲み込まないままで、話の続きを聞く。


「この町に、戦隊ヒーローが出るらしいな」


「んぐッ!?」


 水を噴き出しかけ、ギリギリで一気に飲み込んで噎せる。噎せた拍子に、足元の荷物置きを蹴り動かしてしまった。「ちょ、どうした?」と中腰になる佐藤を手で制して、僕はどうにか咳を収めた。今度は落ち着いて水を飲み、数回深呼吸をする。


「びっくりしたー。どうしたんだよ急に」


「ご、ごめん。あのー、ちょっと、びっくりして」


 レンズのくもりが晴れて、佐藤の困惑顔がはっきりと見えるようになった。僕は椅子の下に手を入れ、荷物置きを引き寄せなおす。通勤鞄は今日も重い。


 ――この町に、戦隊ヒーローが出るらしいな。


 どうして、佐藤がそれを知ってるんだ!?


「ああ、まぁ驚くよな。ヒーローなんて普通にいるもんじゃないし」


「う、うん」


 辛うじて頷くが、指先は確実に冷えていっている。食道がきゅっと絞まる感覚がして、食欲が著しく減退する。


 佐藤にバレた? 僕らの、『フツージン』の存在が?


 確かに、前回の任務ではかなり町を歩き回った。コスチューム姿でうろついていれば当然、道行く人の目にも留まっただろう。全員が揃っていなくても、あの格好は一目で戦隊ヒーローだと分かるはずだ。佐藤の身近に、その目撃者がいたのだろうか?


 いやしかし、僕らとは別の戦隊という可能性もまだ……。


「そんでさ、そいつら、『現実戦隊フツージン』っていうんだって」


 僕らじゃないか!


「へ、へぇ~。ななななんか、ヘンな名前、だねぇ」


 ワイシャツの襟を直しつつ、僕は手元に視線を落とした。食欲はないがドリアをすくい、今度は念入りに息を吹きかける。眼鏡がくもる。


「だよな。戦隊って普通、ナントカジャー、みたいなのじゃねぇのかよ」


「アハハ……そうだよなぁ」


 ドリアを口に入れる。味がしない。


 僕が『フツージン』の一員であることはバレていないようだが、バレていないからこその恐怖に胃が縮む。僕の振る舞いひとつひとつに、僕の体面がかかっている。もしここでボロを出してしまったら……あまり考えたくないが、それでも訊いておくべきことはあった。佐藤にほんの少し目を上げ、口を開く。


「で、その、ヒーローがいるって話は、誰から? 同僚の人とか?」


「いや、知らない人」


「え?」


 知らない人からヒーローの話を聞くって、どういう状況なんだ? 眉をひそめると、佐藤はスパゲッティを一口食べてから答えた。


「昨日の帰りに、うちのアパートの前で人とすれ違ったんだけどさ。そしたらその人が財布落としちゃって。で、それ拾ってあげたら『お礼させてくださいー』って言うから一緒に焼き鳥屋行って、そこで聞いたんだよ。その人がそのヒーローを見たらしくて」


「なる、ほど?」


 なんだか、それこそ非現実的な話だ。お礼に奢らせてください、が現実にないとは思わないが、少し珍しいことには思える。僕はまた目を下げて、乾いた喉に水を流し込んだ。


「でさぁ、その戦隊、『現実に非現実を実現』とか言って活動してるんだってよ。こう、現実に悩まされてる人に夢を見せてやる、みたいな?」


「ほ、ほぉー」


 現実に非現実を実現? そのフレーズを、前回の作戦中に口にした者がいただろうか。僕の知らないところで、ブルーやピンクが言っていたのか?


 少し考えて、僕はハッとする。


 二回目の任務。三村さんのマンションの共用廊下。


 ――やっぱり、誰かに見られていたのか。


「それで、その人と話したんだよ。なんか……」


 再び眼鏡のくもりが晴れる。佐藤の声色にうっすらと棘を感じて、僕は顔を上げた。

スパゲッティを巻きながら、佐藤は口角を上げる。


「そういうの、ムカつくよなって」


 一瞬、息が止まった。指先の感覚がなくなり、額の奥がじんと痛んで、膝の角度を変えられなくなる。佐藤の瞳は、暗い茶色に淀んで見える。


「……いやぁ、そう、そうかぁー?」


 視線を左右に泳がせながら、僕は大袈裟に語尾を上げた。満腹を超えて食事を終えた後のように、声が上手く出せない。腹の底と肺の中に、吐き出せないほど大量の空気が渦巻いている。風船のようになった僕を、佐藤の言葉が不用意につつく。


「そりゃあ最初は俺も、いいことするなぁと思ったよ。けどその人に言われてよく考えてみたら、かなり余計なお世話じゃねって気がしてさ。こっちが必死に現実と向き合ってんのに、無理やり現実逃避させられるっていうか。ヒーローのくせして、悪の道に誘ってんじゃん」


「あ、ああ」


 詰まった空気のうちの、ほんの少量を吐き出す。違う、もっと空気を抜いたほうがいい。もっと佐藤に同調して、なるべく自然なやり取りをしたほうがいいはずだ。自分で名乗った『フツージン』を、「ヘンな名前」とだって言えたんだ。もっと、もっと。


「ていうかそもそも、わざわざ衣装まで用意してっていうのが正直、ちょっと引くわ」


 声が出ない。


「いい大人がさ、どんだけ現実から目ぇ背けたいんだって感じだよな」


 はは、と佐藤が笑う。僕は何も言えないまま、すくったドリアをしつこく吹いた。


 眼鏡がくもる。





「ぬわぁにぃ~ッ!?」


 ダァン! 一際はげしい衝撃音に、ダイニングテーブルが揺れる。真っ赤な手のひらを天板から離して、鷹宮氏は鼻息荒く僕を睨んだ。眉間と額と目の下に深くシワが刻まれ、絵に描いたような鬼の形相だ。頭頂部から血の気が引いて、僕は震える背筋を伸ばした。


「レッドぉ! 今の話は本当か!」


「ほっ本当、です」


「ぐぬぬぬぬぬ」


 歯ぎしりの隙間から呻く鷹宮氏。僕はいたたまれなくなって、「すみません」と顎を引いた。


 金曜日。僕は佐藤と話したことを、作戦会議で報告した。佐藤の「現実」は結局聞き出せかったので、佐藤が戦隊の存在を知ったことと、彼が戦隊をどう評したかを話したところ、氏はこのように激怒した。

 後半は隠すべきだとも思ったけれど、自分の中だけにはどうしても留めておけなかったのだ。


「いやすまん。レッドよ、お前は決して悪くない。真に悪いのは、その財布を落とした焼き鳥野郎だ。人の風評を無闇に悪化させおって……」


 きつく瞼を閉じ、鷹宮氏はまた呻いた。集まった隊員の間にも、ぐにゃりと不機嫌な空気が漂っている。


「その焼き鳥の奴、探してみんなでぶん殴ろうぜ。ヒーローに逆らったらどうなるか、思い知らせてやろうよ」


 やや芝居がかった口調で田場くんが言う。ハルカさんが苦笑して、同時に仰木がため息をついた。


「ぶん殴るのは駄目ですねぇ」


「自分から評判落としに行ってどうすんの」


「でもさぁ、そんなボロカス言われて黙ってんの嫌じゃん!」


「ボロカス言ったのは焼き鳥の人じゃないでしょ」


「じゃ、その友達の奴!」


「レッドさんのお友達ですから……」


「いいや!」


 鷹宮氏が声を荒立てる。場の全員が一斉に彼を見た。我らが総司令は両目をカッと見開き、テーブルに手をついて遠くの一点を見つめている。


「ぶん殴るのは確かにいかん。しかし、『思い知らせてやろう』という意見にはおれも同感だ。グリーン、お前と気が合うのは初めてのことだな」


「んぉ、おう?」


 鬼気迫る表情の鷹宮氏に、田場くんは当惑した声を返す。「えー?」と高い声をあげ、ハルカさんが不安そうに言った。


「思い知らせるって、乱暴なことはいけませんよ。ぶん殴るんじゃなくても、蹴るのも頭突きも駄目ですからね?」


「そんなことは分かっとる! いいか諸君。思い知らせると言っても、おれたちが突きつけるべきはヒーローの強さではない。『非現実のワクワク』だ」


「非現実のワクワク」那須が小声で繰り返し、鷹宮氏は頷く。


「そう。その友達……彼? 彼女? は、何というんだったかな」


「あ、佐藤、です。男です」


「佐藤くん。佐藤くんは恐らく、非現実の真の楽しさに気づいていない。だから、このおれたちが思い知らせてやるんだ!」


 氏はそこで言葉を止め、挑戦的に笑った。


「現実に非現実が実現されたとき、そこにどんな美しい光景が広がるのかをな」


「おお!」


 ハルカさんが胸の前で拳を作る。それとは対照的に、田場くんは不満げな顔で抗議した。


「佐藤って奴だけ? 焼き鳥のほうには何もしねぇのかよ」


「しない」


「なんでだよ!」


 テーブルに身を乗り出す田場くん。鷹宮氏はその勢いをいなすように、ツンとした顔で腕を組んだ。


「ヒーロー活動を続けていく以上、おれたちの認知度は徐々に高まっていくだろう。そうなれば当然、おれたちを悪く言う人間も出てくる。しかし、それはある程度仕方のないことだ。腹は立つが、我慢せねばならないところもある」


「じゃあ、なんで佐藤のことは我慢しないんだよ」


「決まっとるだろう。佐藤くんはレッドの友人だからだ」


 鷹宮氏の目が僕に向き、田場くんにも睨まれる。身を小さくする僕を指差して、氏は田場くんを諭した。


「自分のヒーロー活動を、友人に否定され続けるのは辛いだろう。正体は明かさないにしても、『フツージン』を応援してもらうに越したことはないはずだ。だよな、レッド?」


「ま、まぁ」


 僕は頷いた。鷹宮氏に言われた通り、佐藤にはやはり『フツージン』を応援してもらいたい。そうでなくても、もう少しくらいは認めてもらいたい。唯一の友のあんな冷たい瞳を、僕はもう見たくない。


「フン……つまんねぇの」


 田場くんの視線が離れ、僕はホッと胸を撫で下ろした。納得してもらえた、のか? そっぽを向いてしまった田場くんの表情は窺えない。


「そうすると、どういう作戦でいくんですか? 佐藤さんの『現実』のこととかは、とりあえず置いておく形で……?」


 話の区切りを見計らって、那須が手をあげる。鷹宮氏は、「よく聞いてくれた!」と指を鳴らした。


「今回の目標は、とにかく佐藤くんをワクワクさせることだ。彼がどんな『現実』に直面していようとも、それを忘れてしまうくらい徹底的にワクワクしてもらう。そこでおれがいま思いついたのは、『非現実的な出来事を立て続けに経験させる』という方法だ!」


「立て続けに?」ハルカさんが首を傾げる。鷹宮氏は鼻高々に天井を仰ぐ。


「立て続けにだ! 細かい非現実を佐藤くんの周りに次々実現させて、経験したこともないような大波のワクワクを彼に提供する! そして彼が非現実の魅力に気づいた頃、満を持しておれたちが登場するんだ。そのときには、佐藤くんもヒーローの存在を喜んで受け入れてくれるに違いない!」


「立て続けって、どのくらい?」揚げ足を取るように訊く田場くん。人差し指を立てる鷹宮氏。


「来週中に百回。おれたちの登場も含めてな」


「無理ありません?」眉根を寄せる仰木。中指と薬指も立てる鷹宮氏。


「じゃあ、三回」


「でも」口を開く僕。鷹宮氏が僕を見る。


「それでもし、余計に嫌われたら」


 佐藤の声が、僕の鼓膜に重く蘇る。


 ――こっちが必死に現実と向き合ってんのに、無理やり現実逃避させられるっていうか。


「レッド」


 僕を呼ぶと、鷹宮氏はいたずらっぽく、そして力強く笑った。


「非現実を信じろ」


 『現実戦隊フツージン』、第四の任務が今、始まろうとしている。

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