第3話「捜索! 友情のクリスタル!」Aパート
何だアレは。何なんだアレは。
まったくもって、何一つ理解できん。俺はいったい何を見たんだ? あの鮮やかな三色は、過度なストレスが見せた幻覚だったのか? ああ、むしろ幻覚であってくれ。
赤、青、ピンク。目に痛いほど現実離れした原色の並びが、脳裏にはっきりと蘇る。歩道から見上げたマンションの、開け放たれた玄関扉の前。三つの丸い頭。若い女の声。
――みなさんの苦しい現実に非現実を実現させるのが、私たちの役目ですから!
現実に非現実を実現? バカバカしい。いい大人が揃いも揃って、いまだに現実と非現実の区別すらついていないのか? ガキみてぇにヒーローの真似なんかしやがって、ああいう奴らがいちばん目障りなんだ。現実に実現された非現実? そんなもの、現実の重力にかかればアッという間にぺちゃんこだ。
マンションの駐車場なんかで素顔を晒すくらいには、詰めが甘いくせに。
「『現実戦隊フツージン』、ねぇ……」
○
「なぁレッド。そもそも、友達ってやつはどうしたらできるんだろうなぁ」
「え、あー……」
いきなり話を振られ、僕は返答に窮する。前回の作戦から一週間が経った金曜日。ダイニングの窓の外は、曇り空の灰色に色褪せている。
三回目の作戦会議は、行き詰まっていた。議題は「小学生男子に友達を作るにはどうしたらいいか?」。
『肉のタカミヤ』製コロッケの常連、小学五年生のユウタくん。内気な彼は、友達ができないことに悩んでいるらしい。「上手に友達が作れたらいいのに」という言葉を受けて、ハルカさんが作戦会議にかけたのだ。
しかし僕たちは、実現可能かつ非現実的な作戦を思いつけないでいた。ユウタくんのクラスに転校生を送り込むことも、いじめられっ子をユウタくんに助けさせることも、ユウタくんに異世界での大冒険をさせてあげることも、僕らには難しい。「僕らが友達になってあげるっていうのは?」という僕の提案も、「安易な手段に流されるな」と鷹宮氏に一蹴されてしまった。
「イエローは現役で高校生だろ。どうやって作るんだ、友達は」
答えを出せない僕から、「イエロー」に視線を移す鷹宮氏。
「え、あたしですか?」
イエローは自分の鼻を指さして、さぁ、と胸のスカーフを撫でた。気だるげな目つきの上で、右の眉が下がる。肩につく長さの黒髪は、今日も整えられていない。
前回の協力者である仰木は、現実戦隊フツージンの『イエロー』になった。鷹宮氏の剣幕に圧され、「まぁ、放課後とか暇なんで……」と承諾した彼女にとっては、今回がはじめての任務になる。
仰木は片眉を下げたまま、相変わらずの興味なさげな口調で言う。
「分かんないですね。あたし、友達いないんで」
「えっ、そ、そうなのか?」
鷹宮氏が目を丸くする。面倒そうに頷いて、仰木は平然と答えた。
「はい。なんか、別にいらないかなって」
「クールですねぇ」
ハルカさんが、感心したような息を漏らす。仰木は眉間にシワを寄せ、軽く首を傾げた。
友達がいらない、か。そういう人もいるのだろう。佐藤と出会う前の僕は友達が欲しくてたまらなかったが、あの頃の僕と仰木の違いは何なのだろうか。
「まぁとにかく、そのユウタくんはあれだろ? 引っ込み思案で、他の子との接点がつくれないってことなんだろう」
気を取り直して鷹宮氏は言う。「そうですね」と相槌を打つハルカさんに、那須がくるりと顔を向けた。今日も二人は隣同士だ。
「ユウタくんには、この子と仲良くなりたい、みたいな子はいないの」
「えぇと……」
ハルカさんは数秒ほど悩んでから、あっ、と声を上げて手を叩いた。
「少し前に、あの子と仲良くなれたらっていう話を聞いてました!
「それを早く言わんか!」鷹宮氏は驚いた顔で顎を引き、「しかし、いつも二人きりなのに仲良くなれないというのも不思議だな」とその顎を撫でた。ハルカさんが「んーと」と頬に人差し指を当てる。
「その田場くんは、ユウタくんよりもずっと活発なタイプだっていう話だったと思います。だから話しかけにくいのかも」
「じゃあ、その子と話せるようにすればいいんじゃないですか?」
「話せるように、かぁ……」
仰木の提案に、鷹宮氏が首をひねる。多少前進はしたが、これはこれで難しい問題だ。毎日二人で下校しているからといって、必ずしも仲良くなれるわけではない。厳しい現実が、僕らとユウタくんの前に立ちはだかっている。
「漫画とかだと、ユウタくんが田場くんの秘密を知っちゃってー、っていう感じで会話のきっかけができたりしますよね」
ハルカさんが言い、苦笑して付け足す。
「でもそうすると、私たちも田場くんの秘密を知らなきゃですけど」
「じゃあ逆に、ユウタくんの秘密を知られちまうっていうのはどうだ。そのほうがやりやすいし、ユウタくんの秘密ならおれたちにも探れそうだろ」
全員の顔を見回す鷹宮氏。その目を避けて、那須がボソボソと言う。
「それだと、田場くんのほうから興味をもってくれないことには……」
「そもそも、勝手に子どもたちの秘密を詮索するのはよくないかと……」
那須に加勢するのはやや癪だが、僕も口を挟む。うぅむ、と鷹宮氏が唸り、ハルカさんが視線を逃がし、那須が俯き、僕が顔を背けたところで、「なら」と仰木の声がした。バラバラになった四人の目が、揃って彼女に集まる。
「なら、作っちゃえばいいんじゃないですか? 秘密」
「ほう」
鷹宮氏が反応する。仰木は場の注目にも臆することなく、淡々と言葉を続けた。
「あたしたち、せっかくヒーローなんですし。二人の前に現れて、『今見たことは秘密にしてくれ』とか何とか言えば……秘密の共有、みたいになるかなって」
僕含め、全員がぽかんと口を開けて仰木を見ていた。居心地悪そうな仰木に向けて、「そ」と鷹宮氏が口を動かす。
「それだぁ~ッ!」
仰木の顔をびしりと指差す鷹宮氏。氏はほとんど睨むような目で彼女を見、低く言った。
「お前、頭いいな」
「ど、どうも」
仰木が顎を引く。我らが総司令はぐんと胸を張り、泣く子も黙る豪快な声量をダイニングに響かせた。
「ようぉーッし! そうと決まれば作戦を立てるぞ! 『現実戦隊フツージン』第三任務、ここに始動ぉーッ!」
「僕らってさ、どうやって友達になったっけ」
「んー?」
唐揚げをつついていた佐藤が、上目遣いに僕を見る。可愛くはない。作戦会議の数時間後、金曜夜九時の安居酒屋は、塩と醤油とアルコールの香りに満ちている。過酷な一週間から解放された、脂の乗った騒がしさに、僕らは今日も埋もれている。
「そりゃ、お互いにボッチだったから、なんとなく」
佐藤はそう言って、口に唐揚げを放りこむ。咀嚼して飲み込むと、ネクタイを緩めた首元がごくりと動いた。僕ももろきゅうをつまむ。
「それは覚えてるよ。じゃなくてさ、具体的にはどうだったっけ? どっちから声かけたとか」
「あー……何だっけ。体育祭とか?」
「そういうイベントごとだったか? なんかもっと、小さいことだった気がするんだけど」
「んん? ああでもそうか、クラスで隣の席だったもんな」
「そうそう。それでさ……どっちからか、話しかけたんだっけ」
「友達つくれなかった奴らが、いきなりそんなことできるかぁ?」
「でき、ないか」
「そうなぁ……」
眉根を寄せて、佐藤はグラスからビールを飲む。僕らは二人とも酒に強くなく、ビールはいつもグラス一杯で満足だった。酒よりもツマミ類のほうが進む。
友達になったきっかけなんて、案外すぐに忘れてしまうものだ。ずっと一緒に過ごしていると、友達でいることが当たり前になって、それ以前のことは全く必要なくなってくる。
「あ!」
上唇についた泡を手で拭いながら、佐藤がワントーン高い声をあげた。
「あれじゃね? 隣の席だったとき、富士野が筆箱ごと筆記用具忘れてさ」
「ああ!」
僕が佐藤を指差すと、佐藤も「な!」と僕を指差した。
思い出した。筆箱を家に置いてきてしまった僕が、隣の席の佐藤に助けを求めたのだ。嫌な顔をされたらどうしよう、と僕は本気で恐怖していたが、佐藤は笑顔でペンを貸してくれた。
「懐かしいなー。俺あのときさ、すっげぇびっくりしたんだよ。こいつも忘れ物するんだなーって」
「えぇ、どういうこと?」
「いやさ、富士野ってなんかこう、とにかく真面目、ってタイプなのかと思ってたから。眼鏡だし友達いないし」
「それ、眼鏡だけの印象だろ。友達いなかったのはお前もだし」
「あはは、それはそうだけど。でもさ、そんな奴が筆箱なんて一番大事なもん忘れてくるから、一気に親近感湧いたんだよなぁ」
「確かに、それから急に話しかけてくるようになったもんな」
「え、迷惑だった?」
「…………や、別に」
「普通に照れんなよー」
こっちまで恥ずかしいわ、と佐藤が笑う。僕も笑って、照れ隠しにビールを一口飲んだ。会社の飲み会で流しこむ酒と違って、佐藤と飲む酒は何だか安心感のある味だ。変な話、煮干しの出汁にちょっと似ている気さえする。
「そういや、全然ちがう話だけどさ」
佐藤がふと真顔になる。ん、と相槌を打つと、唯一の友人は少し遠い目をした。
「お前と話して、こないだ見たんだよ。『コーセイジャー』。DVD借りてきて」
「あぁ」
自然と声が低くなる。佐藤は瞳を白く光らせながら、少し皮肉っぽく口角を上げた。
「見てて思ったけど、やっぱりいいよなぁ、ヒーローって。夢があって、自由っていうかさ」
「まぁ、そうだな」
「なーんか、現実見てサラリーマンになった自分がばからしくなった。……なぁんて」
「うん」
まったくもって、佐藤の言う通りだ。夢があって自由で、現実とはかけ離れた――それが本来のヒーローの姿だ。少なくとも、人の留守中に家事を済ませておくような、地味な活動をするものではない。
佐藤は少しの間言葉を止め、右手の小指から親指までで順にテーブルを叩いた。それからビールをグビッと音をさせて飲み、高い溜め息のあと、ヒヒ、と笑いを漏らして言った。
「ヒーローになりたいなぁ」
「…………」
僕は唐揚げを頬張って、返事ができないフリをした。
五月が終わって六月に入っても、空は曇っている。彩度の低い町の薄暗い路地に身を潜めていると、真っ赤なコスチュームもさすがに色あせて見えた。
「まだですかね、まだですかね」
そわそわと頭を揺らしながら、ピンクが歩道に顔を出す。住宅街の南端から細く伸びる路地に、僕らはひっそり集合していた。ピンク、ブルー、イエロー、そして僕。作戦の第一段階は、小学生の待ち伏せだ。
……状況だけ見ると犯罪めいているが、『小学生に友達をつくろう』という目的だけはギリギリ健全、のはずだ。ひどいお節介だし、僕は外回り営業の合間にここへ来ているけれど。勤務時間中にヒーロー活動に勤しむ、というのもいかがなものか。
「自分で言っといてナンですけど、これ、防犯ブザーとか鳴らされませんかね?」
ヘルメットの向きを調節しながら、仰木ことイエローが言う。黄色のコスチュームはピンクと同じデザインのミニワンピースで、もちろん左胸には『現』の一字。着替え直後こそ恥ずかしそうだったイエローだが、早くもほとんど慣れたようだ。
『大丈夫、大丈夫! 小学生男子はヒーローが大好きと相場が決まっとるからな!』
ピンクが手にするスマートフォンから、総司令の堂々たる声量が吐き出された。作戦上この路地にいられない総司令は、今回は通話での参加となっている。電話口だといつも以上に大きくなるらしい声は、スピーカーを通して音割れしていた。
「でも五年生でしょ? まだヒーロー大好きかなぁ」
イエローが疑った直後、「じゃあなー!」という明るい声が小さく聞こえてきた。「い、今!」「聞こえたね……」ピンクとブルーも同じらしい。高く、やや舌足らずな響きは、確かに小学生男子のそれだった。僕のこめかみが引きつる。
『来たか!? ちゃんと二人揃ってるだろうな』
総司令の声に、僕らは路地から顔を出す。小学校の方向から、二人の小学生が歩いてきていた。一人は今どき珍しい坊っちゃん刈りで、服は真っ白なポロシャツ。もう一人は活発そうな短髪で、少しダボッとしたTシャツを着ていた。二人は五十センチほど間をあけて並んでおり、短髪が坊っちゃん刈りよりもやや前を歩いている。
「どっちが、ユウタくんですか?」
「ポロシャツのほうです! たぶん、もう一人が田場くんですね」
僕が小声で訊くと、ピンクも小声で答えてくれた。ユウタくんと田場くんは、小さい歩幅ながらも確実に近づいてきている。僕らは顔を引っ込めた。ピンクは胸に両手を当て、細かく三回ジャンプする。僕も左胸に手を当てて、「現」のワッペンを握り込んだ。
『あと何メートルくらいだ』
さすがの総司令も声量を抑えている。ブルーが控えめに顔を出し、「二十メートルくらい、ですかね」と答えた。
『よし。まだだぞ、まだ待てよ。……あと何メートル』
「十五メートル」
『まだだな。……どのくらい』
「十メートル?」
『もう少しだ、もう少し。……どうだ』
「五メートル」
『よし引っ込め!』
ブルーが路地に顔を戻す。ピンクはスカーフにスマートフォンを仕舞った。食道を吐き気が迫り上がってくる。唾を飲みこむと、喉にざらりとした感触があった。
『三』
『二』
『一』
『出ろ!』
「キャッ!」
総司令の合図に、ピンクが路地を飛び出した。
大袈裟な動作で歩道に倒れ込むピンク。僕も浅く息を吸い込んで、歩道に一歩踏み出した。
「だ、大丈夫か、ピンクぅ!」
自分でも驚くほど平坦な口調になった。舌の感覚がない。
今回の作戦には、僕らの演技が不可欠だ。僕も自宅で何度か練習したが、あまり上達はしなかった。人前で演技をする機会なんて、自分には一生訪れないと思っていたのに……。
高校の文化祭で毎年やらされたクラス演劇でも、僕は三年間ずっと大道具係だった。二年生で一度だけ別のクラスになったが、確か佐藤もそうだったはずだ。
「あ……」
不慮の事故の振りをしつつ、少年たちと目を合わせる。ちょうど路地の手前で止まった二人は、めいっぱいに目を見開いていた。固まっていた僕の左胸が、大きく脈打ち始める。
「や、やゃや、やあ、君たち!」
感覚のない舌を動かして、右手を肩の高さにあげる。ユウタくんは目を泳がせながらお辞儀をし、田場くんは上目遣いに僕を睨んだ。どちらの反応からも、ヒーロー大好きな少年性は読み取れない。
そりゃそうだ。相手は小学五年生、子どもらしさを嫌い、いかに大人に近いかを競い始める年代なのである。
「すみませーん、私が転んでしまったばっかりに……」
ピンクが起き上がり、ヘルメットの後頭部に手を当てる。田場くんはその仕草を見上げ、それから路地を覗きこんだ。路地に残ったブルーとイエローが、黙って視線を送り返す。
「何? お前ら」
田場くんは僕に向き直り、横柄に口を開いた。ほんのすこし前の「じゃあなー!」と確かに同じ声だが、雰囲気がまるで違っている。いっぽうのユウタくんは、いかにも不安そうな表情で僕を見上げていた。その自信なさげな顔を見ていられなくて、僕はそっと視線を外す。
それから、答える。ヒーローらしく、自由で、現実味がなく、を心がけて。
「ぼ……おれ、たちは、『現実戦隊フツージン』! 普段から密かにこの町を守っているんだが、その、今はあんまり、姿を見られるわけにいかないんだ。なんていうか、そう、悪の組織に追われて、いて?」
威風堂々を目指していたのに、しどろもどろの早口になってしまった。コスチュームの背中に汗が染み込む。田場くんは攻撃的な態度を崩さず、「ふぅん」と鼻を鳴らした。ユウタくんはまたキョロキョロと目を泳がせる。逃げ出したいのを必死に堪えて、僕はどうにか言葉を繋げた。
「だから、えぇと、このことは、君たち二人だけの秘密……に、しておいてくれないか?」
「オレたちだけの?」
口を尖らせる田場くん。「そう」と僕が頷くと、彼はちらりとユウタくんを振り返った。ユウタくんはわずかに身を引いて田場くんの顔を見、すぐに目を逸らした。落ち着かなそうにランドセルを揺らして、もう一度田場くんを見る。が、田場くんは既に僕に目を戻してしまっていた。
間の悪さにどきりとする。ユウタくんは今、目を逸らされた、と思っているのではないか?
「ん、いいよ」
「ほ、本当、かい!」
絞まる喉から無理やり声を出して、僕は前のめりになった。すると田場くんに身構えられてしまい、反省して姿勢を正す。恥ずかしくなってピンクを見ると、微笑まれているのがシールド越しにも感じられた。恥ずかしさが加速し、ぎこちなく咳払いする。
「え、えぇと、お時間とらせて、申し訳なかったね。それじゃあ、もう行ってくれ……たまえ」
半ば強引に手を振ると、田場くんは口をへの字に曲げて歩き出した。ユウタくんがバタバタとそのあとを追う。
「くれぐれも頼んだよ!」
去って行く背中に声をかけ、振り返った田場くんにまた睨まれる。背後から見ると、彼のランドセルが深緑色だという事に気づいた。いい色だなぁ、としみじみして緊張を落ち着けようとしてみる。けれど結局、少年たちが角を曲がるまで心臓は暴れ続けていた。
「ふぅ……無事に終わってよかったですね!」
路地に戻ると、ピンクは弾んだ声で僕に言った。「レッドさんすごいです!」と続けられ、反応に困る。「い、いやぁ、全然」と答えつつも、僕は今一つ喜べなかった。
僕の演技は、あまりにもぎこちなかった。台詞も途切れ途切れになってしまったし、口調だって安定しなかったのだ。佐藤が「いいよなぁ」と評したヒーロー像には程遠い。
『うむ、よくやったぞ! これであの少年ふたりにも、メキメキと友情が芽生えることだろう』
総司令が嬉しそうに声量を取り戻す。メキメキとなってくれたらいいのだが……。ユウタくんと田場くん、二人のたたずまいを思い出す。
従順で自己主張のなさそうなユウタくんと、反抗的で声の大きそうな田場くん。そんな二人に友情が生まれるなら、本当に漫画みたいな話だ。少なくとも、僕の過ごした現実にそんな出来事はひとつもなかった。
『よぅし! では、今回はこれにて解散! 次の任務まで、おのおの英気を養っておいてくれ!』
分厚い雲の下、暗く色のない路地に、総司令の声が響いた。
――佐藤は、僕と友達でいるのが不満なのかもしれない。
高校時代、僕はときどきそんな不安に襲われていた。今ではほとんど考えなくなったが、当時の僕にとってはとてつもなく身近で、重大な問題だったのだ。
僕らは、いつも教室の隅っこにいた。といっても、黒板の脇やロッカーの前に集まっていたわけではない。教卓の目の前に座っていても、四角い教室のど真ん中に位置どっていても、僕らのいるところはいつだって「隅っこ」だった。僕たちとは真逆の、声が大きくて華やかで、適度に不真面目な人たちのいるところが、教室のほんとうの「中央」だった。
テレビや雑誌やフィクションは、よく高校生を取り上げる。イマドキ、青春、キラキラ、次世代。爽やかな言葉で飾られるのは、いつも「中央」の人たちだ。恋愛映画に出てくる「隅っこ」の女の子は、クライマックスで必ず「中央」の女の子になった。
メディアに注目される「高校生」は素敵な青春の象徴で、けれどその素敵な「高校生」になるためには、「中央」にいなければならなかった。
高校の制服は詰め襟だった。中学の制服も詰め襟だった僕は、校章だけをつけ替えて、高校三年間でもずっと同じ一着を着続けた。中学の頃から、「中央」にいる人たちはみんな制服を着崩していた。けれど、僕は六年間、ついに一度も着崩せなかった。
いつも首元のホックまで留めて、校章だってつけっぱなしだった。制服だけ着崩してみても「中央」には行けないのだと、諦めていたからだ。決して華やかではなかったけれど、佐藤だって同じ着方なのだからこれでいいと思っていた。
けれどある朝、佐藤の様子は違っていた。詰め襟のボタンが全て開かれ、首元からは、白いパーカーのフードがはみ出していたのだ。
おはよう、と言いかけた僕の声は詰まって、時間が止まったように感じられた。よう、と頬を引きつらせた佐藤の不自然な前傾姿勢を、今でもはっきりと覚えている。
結局、僕はそのパーカーに言及できないまま一日を終えた。その翌日、佐藤はまた真っ黒な詰め襟姿に戻っていた。
買い物袋の牛乳が重い。日曜日。曇り空にわずかな晴れ間の見える町を、僕はひとりで帰っていた。特売があるというので遠くのスーパーを選んでしまったが、買い込んだ品物を徒歩で運ぶのはやはり疲れる。運転免許は持っているけれど、車は持っていないのだ。
よたよた歩いていると、小学生らしき女の子が脇を駆け抜けていった。普段の買い物帰りにはあまり子どもを見かけないが、道が変わればすれ違う人も変わってくる。
そういえば、この辺には駄菓子屋があるんだったっけ。古き良き、という風情の店で、見るたびに若干ぎょっとさせられる。最近の子でも、ああいう駄菓子屋でおやつを買うのだろうか。
そんなことを考えているうちに、その駄菓子屋の前に差し掛かった。はしゃいだ声が聞こえ、開け放しの店内では子どもたちが動き回っている。
意外に繁盛しているんだな、と眺めていると、ひとつ異質な影が目にとまった。店の外壁に寄りかかる影は、他の子どもたちとほぼ同じ背丈ながら、明らかに隔絶された空気の中にいた。一人で、俯きがちに棒ゼリーを啜っている。その真っ直ぐに切り揃えられた前髪に、見覚えがあった。
「ユウタくん」
僕は思わず呟いた。つい足を止めそうになったが、堪えてそのまま通り過ぎる。通り過ぎてから、やっぱり気になって振り返った。つやつやとした坊っちゃん刈りは、下を向いたまま動かない。
顔の向きを戻す。あれは恐らく、ほぼ間違いなく、ユウタくんだ。ユウタくんが、日曜日の駄菓子屋にひとりぼっちで佇んでいる。じっと俯いて、寂しそうに。
……いや、前回の任務は、たった一週間ほど前のことだ。田場くんとはこれから仲良くなるのかもしれない。それに、既に仲良くなっていたとしても、いつも二人でいるわけにはいかないだろう。とはいえ、あの雰囲気……憧れの同級生と仲良くなれそうな少年が、あんな雰囲気を身にまとうだろうか。
――僕らの作戦は、本当に上手くいっていたのか?
漠然とした不安感に、早足になりながら帰路を行く。アパートに着くと、僕の部屋の前にひょろりとした男が立っていた。隣人の四ツ谷だ。ポケットに右手を突っ込んで、遠くの空を眺めている。
やや警戒しながら近づくと、四ツ谷が突然こちらを向いた。前触れのない動きに、僕はわっと声を上げてしまう。「あ、すみません」と首を前に出す四ツ谷の表情は、今日も前髪と黒縁眼鏡に阻まれてよく見えなかった。「いえ、こちらこそ」僕も軽く頭を下げ、恐る恐る尋ねる。
「あ、あの、どうかされました? ここ、僕の部屋ですけど」
僕より頭ひとつぶん背の高い隣人を、縮こまりつつ見上げる。彼に挨拶以外の言葉をかけるのは、ほとんどはじめてのことだった。
僕と同じ気まずさを感じているのか、四ツ谷も落ち着かなそうに言う。相変わらず声は小さい。
「や、その……そっちのベランダに、洗濯物を落としちゃいまして。俺のほうからは取れなかったんで、回収してもらえたら、と……」
「あー、なるほど」
頭を縦に揺らしながら、僕は密かに安堵した。そのくらいのことなら警戒しなくてもよさそうだ。僕はポケットから自宅の鍵を取り出す。ドアを開け、「ちょっと待っててください」と四ツ谷を玄関に招き入れた。靴箱の上に置いた通勤鞄の隣に、ひとまず買い物袋を並べる。
部屋にあがり、僕はベランダに出た。四ツ谷の部屋側に目をやると、確かに見慣れない布が落ちている。色落ちした黒のTシャツだ。今日は風もなかったが……まぁ、手が滑りでもしたのだろう。拾ってみると乾いているので、取り込むときに落としたのか。
Tシャツを手に玄関へ戻ると、四ツ谷はやはりそわそわした様子で待っていた。「これですか?」と差し出すと、「あ、ハイ。ありがとうございます」と早口に言って去っていった。なんとも挙動不審な人だ。
が、それよりも、今はユウタくんのことが気になる。放っておけばいいのに、とは思うけれど、壁に寄りかかる姿がどうしても頭から離れなかった。
自分でさんざん否定しておいて、今さらヒーローを気取るつもりか?……いや、僕は「ヒーロー」にはなれない。
ユウタくんの臆病そうな仕草に、寄る辺なさそうな雰囲気に、親近感を覚えただけだ。
ズボンのポケットから、スマートフォンを取り出す。電話帳を開き、深呼吸をしてから、「総司令」の字をタップする。
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