第2話 カミサマ


 そもそも、榛名は世界を作る事に興味がなかった。ほかの人が作った世界の中に入って自由に遊び、時にバグを発見しては修復するのを得意としていた。歌うことがすきで自分の精霊達相手にワンマンライブを開いては楽しんでいた。周りはみんな世界を作り出すことに夢中になっていたのだ。新たな世界が出来上がれば、誰も彼もがそれを見に行く。箱庭のような宇宙に世界を浮かべればそこは命ある別の生命が誕生した。誰も彼もが世界を作る事に夢中になっていた。だから、榛名は作られた星に降り立ち、遊ぶことにした。たくさんの世界を見てきた。作り上げた者の思いが色濃く反映されてた世界。


「榛名は、バグを見つけるのがすごく上手いな。いつも助かってるよ」

「榛名、今度は俺の世界に来てくれ。どうしても微細なバグがあるようなんだが、俺じゃわからなくてな」

「榛名、アップデートしたんだ。そっちが終わったら頼む」

 入った世界の内側からバグを発見し修復する榛名をみんなが呼んだ。榛名はただみんなの手伝いが出来るだけで嬉しかった。ただし、どこの世界でも歌をはやらせてしまうのが難点ではあったが。

「あれ。プログラムが消えてる」

「どうした」

「おっかしいな。プログラムが消えてるんだ。ま、なくても大丈夫なプログラムではあるんだが、一応組み込んでおいた方がいいかなって奴だったんだよね。今ならそのプログラムへの分岐がなくなってるからいらないっちゃ、いらないんだが」

「ええ。本当にあったのか?アップし忘れとかないか?」

「うぅん。し忘れかなぁ」

「中から見てこようか?変な分岐の跡がないかとか」

「榛名、助かる。一応一通り見てくれ」

「よしきた!」


 結局見てきたがアップデートを忘れていただけということもあった。笑い話で済んでよかったなと、告げる。時折起こるこういった事態に対して柔軟に対処できる榛名は重宝されていた。榛名はだからほとんど部屋にいること自体が少なかった。あちらの世界、こちらの世界と飛び回って眺めるのが楽しかった。久しぶりに住居に帰ってきたときに親友が世界を創世している。そのために部屋に引きこもっていると聞いた。

「えっ、天野が?」

 天野は周りの創世ブームを穏やかに見つめていた榛名とは別の意味で創世をしていなかった唯一であった。驚いた榛名は周りのものに腕を引かれ連れて行かれた天野の部屋の前でこっそりとドアを空けた。彼の部屋は暗く、その中で彼の姿をぼんやりと浮かび上がらせるのはプログラムを書いているディスプレイの明かりだけであった。思わず声をかけようとした榛名を引いて扉をそっと閉める。中庭まで引っ張ってくると彼らはベンチに座らせた。


「どうよ」

「どうもなにも、いつの間に。まだ作ってる最中みたいだけれど」

「そうなんだ。君が俺んところに入った直後かな。世界作ってみようかなって言い出して。みんなで天野の才能ならすばらしい世界が、星が出来るだろうって言ったんだよ。宇宙にぜひ君の星を浮かべてほしいって。そしたら、じゃあやってみるっていって。そこからぜんぜん出てこなくて」

「一心不乱に、プログラム組んでるみたいなんだよ」

「榛名も注意してみててくれよ。さすがにぶっ倒れかねない」

「ああ、わかった」

 天野の体をその打ち込みようを不安そうに心配そうに見つめる彼らに頷く。しばらく世界で遊ぶの禁止な。と言われてしまえば創世神の許可なく勝手に生命が誕生している世界に入ることは出来ない。不満を口に出すものの寝静まった夜や、明け方。昼間の人気のないときにそっと様子を伺いにはくるのだが一向に出てくる気配もない。倒れちゃいないかと音を立てずにドアを開ければ机に向かってひたすらプログラムを構築している姿は鬼気迫るものがあり、声をかけるのもためらう。結局どうしたものか。と迷っている内に、だらだらと日数だけが過ぎていった。時折榛名のところに来てはどうだったと聞いてくれる者がいるが正直に声をかけれないと告げれば、肯定を返された。


「あれは無理だったよ。一回休憩させたいんだけどさ、やっぱり声かけれないんだよな」

「うん」

 二人でため息をつくことしか出来ないのだ。榛名の精霊達も心配そうにしていた。全体がどことなく天野に遠慮していて静かにすごす。みんなの気分を読み取ったのか天候はゆっくりと崩れていき、か細い雨が降り続いていた。

 そんなある日、うとうととまどろんでいた榛名をたたき起こしたのは興奮冷めやらぬ仲間の誰かであった。寝ぼけている榛名を引きずってつれてきたのは宇宙の前につながる渡り廊下。騒がしい人の合間を無理やり抜ける。


「なんだよ。まだ眠いんだよ」

「天野、榛名連れてきたぞ!」

 人ごみの間から榛名をつかんでいる男が声を上げる。その言葉に眠そうにしていた榛名は目を覚ました。

「えっ」

 人垣が割れて榛名の目の前が開かれる。その人垣の中心にいたのは、紛れもない親友天野であった。

「榛名」

 人相が違うといわれるほどに酷い顔色とくまを作って、それでも彼は春の訪れのようにやわらかく嬉しそうな色を含ませて友の名を呼んだ。

 その両手に美しい丸い星を掲げて。

 


 「あま、の?」

 眠気はいっぺんに吹っ飛びましたという顔で、しかしあまりにも彼の顔色が、目の下のクマの酷さが、そしてその両手に持たれた美しい星が。何もかもが突然のようで榛名は周りを見て、天野を見て、天野のもつ星をみて天野の顔を見た。

「忙しいな、お前は。さっき完成したんだよ。お前、立会人になってくれ」

「えっ、いいのか」

「いやなのか?」

 ぶんぶんと首を横に振る。大役を与えられたことにやっと頭が理解を示す。


「大役じゃないか。嬉しいよ。いや、それよりもさ、オマエ、大丈夫な顔してないけど大丈夫なのか?休んでからがいいんじゃないのか?」

「無理だ。今寝たら一週間は起きない自信がある」

「それは自慢できない自信じゃあないか。いや、すごい酷い顔してるぞ」

「これを宇宙に確定させたら寝るさ。さあ、行こう」

 するりと渡り廊下へ踏み出す。周りを囲む野次馬はついてくる気配はない。離れのそこは宇宙と呼ばれていた。彼らが何かを作って浮かべる遊び場でもある。そこは今自分たちのいる宇宙よりも下層にある第ゼロ層と呼ばれる宇宙だ。自分たちより下位の宇宙があることは知っているのに自分たちよりも上位の宇宙があることを知っているものはいない。自分たちを創った誰かがこの下位層へとつながる箱庭を作って設置した。自分たちの上があってそれは何層になっているのか、榛名には検討もつかないがそれでもまだ層があることは間違いないだろうというのが榛名と天野の見解であった。それを言っても荒唐無稽だと笑っているものが多かったが。自分たちの住む場所が第一層であり下から二番目なのだ。下にはこの宇宙しかない。そして上位がどれほど自分たちよりも高い次元にいるのかと思えばぞっとする。下位層を設置できる程度の力はこの第一層にはないのだから。


「いつ見ても不思議なところだ」

「誰も、これが下位層だと思ってないところがな」

 苦笑しながら二人一緒に宇宙の部屋に入る。ドアは精霊たちが自動で開閉してくれるのだ。部屋のドアを閉めてしまえばそこは宇宙の真っ只中。上下左右宇宙だけが広がっている。

「天野」

「ああ」

 少し緊張した面持ちで、天野は両手を差し出した。美しい青い星とその衛星。そっと、水に浮かべる笹船のようにやさしく宇宙に置く。恒星のそばに置かれたそれ。

「地球よ、光あれ」

 不思議な響きを持つ星だと思った。

「この衛星には名前はないのか?」

「月、という」

 天野の声がそれの存在を確定させる。そして、星は回りだした。あまりにも美しく豊かな丸い星は、最初からそこにあるのが当然といわんばかりに回りだした。プログラムが起動しているのをモニターでチェックしながら天野はうなずく。

「美しい星だな。なあ、遊びに行ってもいいか?」

「榛名、触れるな。まだ遊びに行ける状態じゃないんだ」

 星に触れようとした榛名がびくりと手を止める。あわてて引っ込めて天野に視線を向けた。


「どういうことだ?」

「この星は、バグも込みで発展していくんだ。こうなったら私はもう何も出来ないし何もするつもりはない。プログラムのすべては恙無く起動している。安定するまではまだ何もしなくていいから。そうだな、俺が眠って起きたら入っていい」

「バグ込みって、そんな」

「それでいいんだよ。大丈夫。酷いバグはすべて消去してある。小さなバグはこの星では奇跡だの、妖怪だのなんだのって事になるだろう。それでいいんだ。それを踏まえた上でこの星は発展していく。自分たちの力で、滅ぼすのもさらに飛躍させるのも、自分たちの力で。カミサマの仕事はもう終わった。それでも、中で遊んでくれるのは嬉しいから、だから、もう少し待てっ?」

 突然、警告音が鳴り響いた。天野の言葉を真剣に聞いていた榛名も驚く。

「なにっ?」

「何でっ、まて!」

 地球のプログラムをすべて表示させた天野は酷い顔色を隠せない。


「なんで、なんでだ。これはっ」

 警告音はプログラムを赤に染めていく。くんと、袖を引っ張られるような感覚に、榛名はえっ?と振り向いた。自分と天野以外いないはずの宇宙空間。引っ張られた。と思ったときには、ごうと音を立てて風が吹く。

「天野っ!」

 強い力で引っ張られる。

「榛名っ!」

 風に引っ張られ、たたらを踏み、そして片足が滑った。浮いた瞬間、地球に引っ張られるのがわかる。目の前を埋め尽くすアラームに恐怖を覚える。体は木の葉のように翻弄される。天野が小さくなっていく。そこに帰れなくなるのが怖い。と必死に手を伸ばす。気づいた天野がダイブしてくる。がっつりと握られた手首。それでも引っ張られる力が強くて、榛名はあせる。どうにか踏みとどまろうとしている天野の足がついに滑った。引き込まれるその強さに、小さくなっていく天野の背後に、榛名は助かる術を考えるしかなかった。今ならまだ、間に合うかもしれない。


「天野、オマエだけはっ!」

「榛名っ?」

 天野の手を引き剥がし、彼を自分たちのいる第一層へと突き飛ばす。反動で加速していく榛名の目に、絶望した表情を浮かべる天野の体がもみくちゃになって、消えた。

「天野おおおおおおおおおおおおお」

 目の前で、絶対に助かると信じて離した手を伸ばす。その指先に触れるものは何もなかった。


 地球の中は今、文明が始まろうとしていたところであった。進化するプログラムはバグさえも取り込んだり、排除したりしているようにも見えた。榛名がここに紛れ込んだ事がこの先この地球にどのような影響を与えてしまうのか、それが不安であった。天野の望む方向にこの地球が進んでいるのか、それすらわからない。地球のあらゆるところを見て回ったが天野が地球にいるという痕跡はなかった。

「神が不在の、星」

 そもそも最初から天野は手を出すことはないと言っていたのだが、ほかの仲間たちは頻繁にではないが時折手をだしていた事を思い出す。それは神の奇跡と呼ばれていたのだが、ここにはそれがない。天野の痕跡は一切なく、彼が次元の狭間に落ちていったのかもしれないと、推測を立てるしかなかった。


「天野、すまない」

 自分が殺してしまったのだと、地球の隅々まで見て回った榛名は空を仰いだ。あの時助けようと手を離した。天野さえ向こう側にいてくれたら、自分の助かる確率は跳ね上がる。だからこそ、手を離して、そして失った。

「私が、殺した」

 受け入れがたい絶望とともに榛名は認めざるを得なかった。認めたくはない。彼が消えてしまったなんて。死んだなんて、唯一無二の友人を、この手で殺したことを。

「天野」

 広大な荒野の人も動物も何もいないその場所で、榛名は彼の名前を叫び、そのまま崩れ落ちた。空は彼の痛みを受け入れたように雲が空を埋め尽くし激しい雨を降らせた。彼の嘆きと悲しみと張り裂けんばかりの痛みを具現化したような激しい雨が降り止むことはなく、崩れ落ちた榛名を隠していた。


◼︎


 榛名が救出されたのは、彼の生命維持が危険水域に達したからであった。飲まず食わずでずっと雨に打たれ続け、結局倒れたところで一次元の仲間がエラーを知り、そこから榛名を救出したのだった。目を覚ましたときには、仲間たちが泣きそうな顔でよかったと安心したように言ってくれて戻ってきたことを実感した。どうなっていたのかと聞けば、エラーが鳴り響いていたのでドアを開けようとした。ドアの精霊が頑なに開けず、助けに入れなかった。開けてくれたときには二人とも宇宙の部屋から消えていたので、あわてて捜索していた。地球にエラーが出ている事を突き止め、地球にて榛名の生存を確認、こちらに戻そうと地球のプログラムに干渉しようとしたがロックがかかっており、助けることができなかった。内部からどうにか助けを求めてくれればあるいは、と思ったがそれを伝える手段もない。何よりも作った天野の生態反応が失われていた。何があったのか聞きたいのはこちらだ、と仲間たちが告げる。ベッドに体を起こし、榛名は水を飲んでのどを潤してから口を開いた。


「何が起こったのか私にもわからない。突然エラー音が鳴り響いて、天野がエラー対策に乗り出した。気づいたら、地球に吸い込まれるような。強制転移させられるような感じだったよ。あの時次元の狭間に落ちた天野がどうにか地球に落ちていないかと隅々まで探し回った。探して、居なかったんだ。あいつの気配がなかった。無論、こちらに向かって緊急信号を出してはいたけれど、打ち消されたんだ。だから、もう天野は」

「榛名のせいじゃない。何かしら外的要因だったのか、天野のプログラムに致命的な欠陥があったのかできる限り調べて見る。こちらのシステムが要因かもしれないからな。天野の作った地球のプログラムはロックがされていて俺たちじゃ太刀打ちできない。さすが天才だよ。こっちのシステムの点検しかできないが、お前はちゃんと休んでくれ。まだ本調子じゃないだろ」

「ああ。すまない」

「大丈夫だ。天野のこともお前のせいじゃない。自分を責めるなよ」


 口々にいたわりの言葉をかけられる。天野が二度と戻ってこないだろうことを彼らは自分が戻る前からわかっていた。この次元にすむものたちは良い人ばかりだ。根が善いのだ。だから、嫉妬をしていても明るい。この次元の中でもトップである天野はみんなの憧れであった。打倒天野!を掲げていてもそこには嫉妬とともに深い畏敬があった。そんな彼が悲しまないはずはない。ここの天候は基本穏やかだが今はずっと雨が降り続いている。榛名の精霊たちが慰めるようにベッドの周りに集まってきた。今は彼らに微笑むこともできない。横たわり、両手で顔を覆って後悔と喪失と罪の重さに涙を流した。


◼︎


「私は、地球にいくよ」

 ひどく疲れたような表情で榛名が告げる。

「榛名」

 雨の上がったうす曇のある日、榛名は中庭のベンチに座って、友の一人に告げた。

「しかし、地球へのアクセスもできないだろう。プログラムはロックさせている」

「大丈夫だ。たぶん。中から天野の世界を守っていくよ。あいつが残した唯一の作品だから」

「しかし」

 するりと立ち上がった榛名は宇宙の部屋へと向かう。友があわてて追い、二人が入ったところでドアが閉まる。パネルを操作して地球のプログラムを映し出す。


「あれっ」

 ロックは外されていた。

「なんで」

「一度吸い込んだ私だからかな。なぜか行けると思ったんだ」

「それにしても」

「とりあえず私のプログラムを共存させて、と」

 もってきたデスクを差し込む。

「大丈夫なのか?」

「わからん。これで弾かれたらあきらめる」

 ディスクはするりと飲み込まれ、榛名のデータをインストールしていく。それとともに榛名の足元にプログラムのサークルが出来上がる。それは足元から頭上へと上がり、榛名の姿を変化させた。その姿に驚いた友を置いて、地球へとダイブする。そうして榛名は地球に降り立った。二度目のことである。


 地球は文明の繁栄を極めようとしていた。成熟期に入ろうとしている世界は最初に降り立ったときよりも高度で榛名は驚く。日本の一角に居を構え、世界中を飛び回っている。地球人の年齢で六十かそれよりも若いぐらいだが、若いとは言いがたい。漆黒の髪と賢者の叡智をつかさどる瞳は夜に落ちる寸前の濃紺。静かな瞳は老成しているようで若くも見える。不思議な人だといわれ続けていた。便利な世界を十分に満喫しながら表向きはプログラマーとして働いている。プログラムが継承されていることに榛名は少しだけ笑った。それは天野がそこに居たという証明になるような気がしていたから。そして何よりうれしかったのは音楽という文化が根付いていた事だ。在宅で多様なプログラムを作り出していく。あまりにもマルチで作り出すものだから、プログラムのカミサマと呼ばれていた。サーバーセキュリティにいたるまでジャンルにとらわれなさ過ぎて気持ち悪いと呼ばれるのだが本人は一向に気にしていない。


 ただ、天野を探すためだけに榛名は人間の中に埋没していた。年の半分以上は海外を飛び回っている生活が十年以上続いていた。老いたような、老いてないような。住処をかえ、時に死去したデータを作り、名を変え、時々姿も変えて、それでも一縷の望みを地球にかける。戻ってくるなら地球しかないだろうと、榛名は思っていた。生命反応が消えたとはいえ次元の狭間。何があるかわからない。すいこまれて、ひょっこり吐き出されたのが自分たちの住む場所であったり、地球かもしれないのだ。だから世界中を飛び回り、辺境の地にも行くことがある。地球人と同じ制約のなか、地球人と同じように生きて動き回るのは新鮮で楽しいと榛名は思う。


◼︎


「は?」

 ある日、榛名の友達が尋ねてきた。ロックが外れている地球には接触しようと思えば誰もが接触できる。榛名に許可を取った友が地球に下りてきた。リビングにて彼を通し、久しぶりに見る顔に懐かしさを覚える。お茶を出しながら用件を早速切り出した。目の前のテーブルに置かれたパッケージもののソフト。

「榛名、頼む。これ使ってみてくれないか。今、向こうでは前の創世のアップデートしようぜって感じで、新しいプログラム、作ったんだよ。これの感想を聞かせてほしいんだよ。それに、お前ぜんぜん帰ってこないだろう。みんな、寂しいって思ってる。お前の精霊たちも、しょんぼりしてるぞ」

「あ、ああ。しかし。これは」

「頼むぜ。榛名。感想とともに変なバグあったら教えてくれよな。それにしても、本当に人間らしく暮らしてるんだな」

「そりゃあ、そうさ。人間じゃない暮らしをしたら一発で退場だ」

 気難しそうにソファーに座りながら足を組んでパッケージを眺める。


「うん。前よりも元気になったな」

 言われた言葉が理解できずに、きょとんとした表情を浮かべ、あわてて取り繕うようにひとつ咳払い。

「そりゃあ、そうさ。向こうで何年になる」

「十年」

「ああ。それは、確かに長い」

 言われて気づいて、思わずうなだれた。今まで地球に流し込んだプログラムは地球側からも書き換えができたため、何度もプログラムを流しては微調整していた。榛名たちには明確な寿命というものがない。あるのだが、気にするほどではない。あまりにも長い生は寿命を意識させるほどではないが、それでも向こうで十年もたっていればこちらでは百年や二百年たっているのはざらだ。おおよそだがたぶん三百年ほどは経過しているはずだと榛名は計算する。

「一度帰りますか」

 諦めて、つぶやいた。

「時間が癒してくれたんだな」

「まだ、見つからないけれど」

「気長に探すしかない。俺たちも宇宙の隅まで捜索範囲を徐々に広げていっているから。だいぶ、顔色もよくなったし、明るくなった。安心したよ」

 友の言葉にそれほどまでにひどい顔をしていたのかと、地球の時間になれてしまった榛名は自分の顔をぺたぺたと触って詰めていた息を吐いた。


「わかったよ」

 精霊たちが寂しがっているといわれれば顔を出さねばと思う。それに長いこと居すぎた。三百年前の写真に写っている顔と同じ顔が今いるのだから。極力写真を残さないようにしてきているのだが、それでも写ってしまうときはある。今生はネットで音楽配信をしている覆面ミュージシャンとして生計を立てていた。うっかり音楽をプログラムで作ってしまったばっかりに、それが大ヒットしてしまったのは痛恨の極みだと榛名は思う。自分の作った曲がみんなに受け入れられるのはとても嬉しかったのだけれど。そろそろ一度潮時なのは感じていたのだ。だから躊躇いはなかった。


「先に戻っててくれ。後でいく。身辺整理を終えたら、いくから」

 と、告げた。身辺整理を終えて、最後の新曲を配信する。そして、この時代では不可能な空中にモニターを開き、プログラムを表示させた。自分に関する音楽以外のデータを削除する。地球のプログラムが榛名と共にプログラムを排出する。そして彼は十年ぶりに帰ってきた。

「ただいま」

 十年ぶりの部屋は照れくさく、それでいてどこか懐かしい。塵ひとつなく、出て行ったときと変わらず美しい部屋は精霊たちが毎日手入れしてくれているからだろう。大喜びする精霊たちに、ごめん。と詫びた。


 十年ぶりに訪れる天野の部屋の前で一瞬ためらう。どれほど荒廃しているか、わからない。精霊たちの姿が消えたのは知っていた。一人につき複数の精霊。本人が死ねば、精霊も死ぬ。精霊たちは主人の世話をするために生み出された彼らは主を大事にする。天野の精霊の気配が消えているのは助け出されたときに気づいていた。誰も居ないそこを開けてしまえば、認めるしかない。今まで延々と引き伸ばしてきた事実を。


「天野」

 声をかける。頼りない声は扉に跳ね返って足元に転がり落ちた。そっと扉に触れて、開ける。がらんどうの、でも家具はそのままの荒れ果ててもいない室内に驚いた。中に一歩思わず踏み入れて、立ち止まる。声にならない、あ。が空気としてもれた。きれいな部屋は家具もそのままになっている。彼の寝室も今すぐにでも使えそうなほどきれいに整えられていた。塵ひとつ落ちていない部屋とテーブル、使用していたディスクモニターには布がかけられている。プログラム用のそれは今でも起動できると精霊が教えてくれた。使われていた食器もそのままに、マグですら毎日洗われて彼が作業していたデスクモニターの脇に置かれていた。窓には水の入ったグラスに朝摘み取ったばかりだろう一輪の花が活けてある。まるで、彼が居たときの部屋そのままのように。今にも扉が開いて、天野が入って来て榛名が居ることに驚いてから微笑を浮かべる。


「榛名、来てたのか」

 実際に声がして榛名は飛び上がらんばかりに驚いた。

「ひえっ」

「えっ?」

 扉を開けて立っていたのは友達だった。思わず無言で駆け寄り胸倉をつかむ。

「すまんすまん。何に驚いたんだ。幽霊だとおもったのか」

「おどろかせるな!」

「いやぁ、ドアが開いていたから。誰だと思ったんだ。驚かせてしまってわるかったな。綺麗だろう」

 室内に視線を向ける男の視線を受けてつられるように室内に視線をめぐらせる。手を離せばしわのよった胸倉をぱたぱたとはたいて直し、微笑んだ。

「お前の精霊が十年、毎日欠かさず部屋の掃除や手入れしてくれてたんだぜ。お前も居ないからって。大事な場所だから、掃除するって」

 驚いてまとわりついている精霊たちを見れば恥ずかしそうに顔を隠す。


「榛名が帰ってきたときに悲しくないように。って。お帰り、榛名」

 言いたいことはたくさんあるだろう、それでもお帰りといってくれるそのやさしさに、言葉が出てこない。

「ありがとう」

 詰まった言葉は、搾り出すように告げられた。自分がどれほど心配させていたのか、痛感する。何よりも天野が死んでいることを認めたくなくて十年もあがいた。その間何も言わずに待っていてくれたのだと、気づいて。精霊たちをぎゅうと抱きしめる。

「すまなかったね」

 精霊たちは嬉しそうにやさしく榛名の頭をなでた。

「天野のディスク使うなら使っていいぞ。おまえ、プログラム用のデスククモニター持ってた?」

「もっては居ないな。いつも内側からだったから。それでも、天野のものはそのままにしておこう。万が一という可能性もあるから。だから、この部屋はそのままに」

「わかってるよ。みんなそう思ってる。じゃあ新しいデスクトップモニター持ってくるから、部屋にいてくれ」


 そう、告げて出て行く友の背を見送る。ドアが閉まり残された榛名は改めて室内を見回した。どこかしこに残る、天野の記憶。ずっと、探していた。自分が殺してしまったと認めたくなくて。

「私が、殺したんだな。君を」

 ポツリと呟く。精霊たちがおろおろと榛名を見上げる。

「私が、殺した。あの時、手を離さなければ良かったんだ。一緒に地球に落ちてしまえばどうにかなったかもしれないというのに」

 すまないとかすれた声で呟く。涙があふれる。本当に失ってしまったのだと心が受け入れてしまった。そして自分の罪も。認めたくは無かった。自分のせいだと、助かるかもしれないなんて、甘いことを考えた自分がおろかだったのだ。だから、永遠に唯一無二の親友を失った。自分の手で殺した。

「天野、すまない」

 すまないと何度も何度も繰り返し、謝る。精霊たちはひざを着いて泣く榛名をおろおろとしながら慰めるだけであった。


「つき物がおちたか」

 デスクモニターを抱えてきた友に言われ、榛名は泣きはらして赤くした目元をごしごしとこする。見られるのは恥ずかしかったがそれ以上に顔つきが違った。泣いてすっきりしたのだろう、絶望と悲しみにとらわれていたあのときとは違うと友は笑う。

「ああ。そうだな」

 照れたように肯定する榛名をしげしげと眺めながら口を開いた。

「ところでそれ、地球で過ごしてる姿だよな。なんで解かないの」

「解けなかったんだ。それでももうこの姿に慣れ親しんでしまったから気にはならないのだけれどね」

 デスクトップモニターをテーブルに設置し、友は口の端を吊り上げて笑う。

「まあ、うん。なんだろうしっくりくるよ。じゃあ、よろしくな」

「わかった」


 起動させてキーボードを展開させる。ディスクを読み込ませて、立ち上げた。アップデート版された創世するためのソフトを。画面を立ち上げ、梱包版の説明書を読む。それからキーボードに指を滑らせる。ためしにと色々作りながら気になったプログラムを抽出していく。リアルタイムでやり取りしながら榛名は頼まれた作業をこなしていく。このソフト自体は創世しやすくなっていた。自分の世界を位置から作り出すもよし、素材があるなかで組み合わせて作るもよし。初めて触る榛名でもわかりやすかった。書き換えや数値の入れ替えなども簡単にできるのは魅力的だ。ついつい色々な小物を作ったりためしに大地を作ってみたりと、触れば触るほど自由で、でも迷いやすい初心者にも細部を作りこむのが苦手な人でも十分に対応できる。いつしか榛名はそれに夢中になっていた。改善点を送り、またアドバイスをもらいながら。ソフト制作チームからお礼を言われて、このソフトで何か作ってみるかと、榛名は打診する。快くそれはあげるよといわれて、榛名は久しぶりに微笑を浮かべた。息を吸ってはいて。キーボードに触れた指先がリズミカルに動く。彼もまた寝食を忘れるほどにのめりこんだ。


「できた」

 時折精霊たちに強制的に眠らされたり食事をさせられながら、榛名はひたすらプログラムを編んでいく。それは榛名の世界を作り出していた。円筒状の世界は一番底に美しい海を抱いた大地。そして空をゆっくりと螺旋状に連なる九つの大地と三つの群島。天野以降誰も彼もがこぞって天野の真似をした。丸く美しい星を作る。その中で榛名は円筒状の世界を作り出した。これが一番作りやすかったのと、管理しやすかったのだ。その世界は榛名にとってはじめての作品だった。珍しいなとみんなに言われて、でもとても美しい青の世界だとほめられた。一人、宇宙の部屋に入り作り上げた世界を定着させる。緊張していたのだろう。扉が開くまで息を潜めていた。何事もなく榛名の世界は動き出す。そしてほっと息を吐いた。

「天野、初めて星を作ったよ。君に見せたかった」

 見てほしかったよ。そして、君に立会いを頼みたかった。寂しそうに微笑み、榛名は部屋を出た。仲間たちからあたたかい祝福の声がかけられる。照れながら返事をする。部屋に帰って疲労のあまり、ベッドにダイブをした。直後。すさまじいアラームが鳴る。榛名が地球に吸い込まれたときと同じ音。宇宙の部屋に飛び込めば姿を崩し始めた榛名の世界が浮いていた。

「やめっ、なんっ」

 とっさにプログラムを開く。プログラムの三分の一がウイルスに汚染されていた。パネルを開き、あわてる。前の二の舞にさせまいと誰もが入ってきた。

「ウイルスだと!そんなばかな!」

 急いで宇宙から遮断させ隔離させようとするが遅い。円筒状の世界はもはや円筒ではなくなった。丸く平たい世界へと変貌し、次々に大陸が落ちる。榛名や友人らがプログラムを解析し、ワクチンを打つが効果が見られない。とっさに流れていくプログラムの赤黒く変貌した部分に触れる。それを摘み取り、引き剥がそうとしてバチンとはじけた様な音が響いた。悲鳴を上げる暇もなく、しかし少しだけはがれた部分がショートして、進行が止まった。どこ部分かはわからないがつまめるのであればと誰もがプログラムに手を伸ばす。しかし指先はプログラムの文字列をすり抜けるだけだ。榛名はもう一度手を伸ばした。触れる前に攻撃の意志をもったプログラムが針のように突き刺さる。

「うぐっ」

 痛みにうめく。そして、対処すらできずに世界は崩落した。大地はすべて落ちてひとつの塊となる。中央に巨大な砂の海を抱いた大きな大陸がひとつ。そして海と空。それだけになってしまったのだ。すべてを侵食したウイルスは変貌させた大陸を作り上げて今度は榛名自身を捕らえた。とっさに振り払い弾いたものの無数のロープのように絡みつく。体が痛みに悲鳴を上げる。

「榛名っ!」

「むりっ、はがれない。くるなっ。触るなっ!私は中に入る。中から修復して出てくるから、誰も触らないでくれっ!頼む!」

 悲鳴のように声を上げて、榛名は自分の世界に取り込まれた。


「あま、の?」

 引きずりこまれる最中、ウイルスに侵食されたプログラムを読む。それは紛れもなく死んだはずの友人の文字であった。しかし本人にたどり着くことができない。それでも書き方は天野のそれで間違いない。動揺する榛名はきつく締め付けられて意識を失った。

「あまの」

 最後の呟きは誰にも聞こえることは無かった。

 榛名はこうして自分の世界に組み込まれた。ウイルスによって変質した世界を元の自分の作り出した世界に戻すべく、長い長い旅をしなければならない。何よりもウイルスプログラムを作った本人を確かめねばならない。死んだはずの、友なのかそれとも彼と同じ書き方をする別人なのか。ウイルスは今なおじりじりとあちらこちらでバグを引き起こしている。榛名は本来この内部からバグを取り除くことができるプログラマーを作り出して配備していた。彼らに混じってプログラム術式者として世界を旅することにしたのだ。もしプログラムを作ったのが天野本人であれば、彼もこの世界も何もかもを取り戻すために。

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