03
今住んでいる物置小屋からすべての荷物を持ったパレットは、ルビィの家へと向かっていた。
とはいっても、彼女の荷物はせいぜい二着ほどの着替えと、オーディションで使用する楽譜くらいだ。
大家であった老夫婦には、仕事先で寝泊まりできるようになったことをすでに伝えている。
そのときの老夫婦は寂しそうな顔をしていた。
だか、彼らも生活に余裕があるわけではないので、パレットを無料で住まわすことはできない。
老夫婦はそのことをすまないと謝りながら、彼女を見送ったのだった。
パレットも本音では寂しい思いをしていた。
天涯孤独の彼女を、まるで我が子のように良くしてくれた老夫婦だったのだ。
おそらくパレットが無理をいえば、家賃を払わなくてよくなった可能性もある。
だが、そこまで迷惑をかけられない。
独り身で経済的に余裕のあるルビィとは違い、老夫婦は貧しいのだ。
そんな彼らに甘えてはいけない。
パレットはそう思っていた。
「それに、やっぱお金はあるところからタカらなきゃね」
そう言いながら歩く彼女は、急に表情を変えた。
その顔は、まるで悪知恵を働かす妖精のようだ。
「ムフフ。なんだったらヴァイオリンで食べれるようになるまで、ルビィの家に住んじゃおっと。別にいいよね~。ルビィはたくさんお金持っているんだしぃ」
ルビィがこの言葉を聞いたら、そのあまりの厚かましさに引っ越しの話はなくなっていただろう。
パレットはこう見えても結構打算的なのだ。
まあ、幼い頃から天涯孤独のためにお金で苦労してきた彼女なら、そうなってもしょうがないことなのだが。
ルビィの家は劇場街を抜けた端にある。
パレットは、街中を進みながらその肩を落とした。
「やっぱりここも誰もいないなぁ。いつもなら演劇や演奏を観に来る人がいっぱいいるのに……」
それは、劇場街も港や商店街のように人の姿は見えず、酷く閑散としていたからだった。
いつもならパレットと同じような夢を追う若者が、ここで路上パフォーマンスをしていたりするのだが。
やはり空疫病の影響か、街にはその者らの姿もない。
しばらくトボトボ歩くパレットだったが、ふとある建物の前で立ち止まる。
その建物とは、彼女の夢の舞台――。
この空中大陸オペラにある大劇場ステイション·トゥ·ステイションだ。
「あたしもいつかはここで……」
大劇場を眺めなからボソッと呟いたパレット。
すると彼女は、突然背負っていた荷物を地面に落とした。
そして、付けていた指輪に魔力を込める。
「プレイ!」
パレットがそう呪文を唱えると、魔力が込められた指輪が輝き始めた。
その光はいつの間にかヴァイオリンと弓へと変わり、彼女の手に握られる。
「誰もいないんならあたしがやってやろうじゃないの」
パレットは、そう言いながら弓を空へと掲げると、ヴァイオリンを弾き始めた。
この魔法はある魔道具に自分の魔力を込めることで、楽器をいつでも出し入れすることができる呪文だ。
当然、その楽器の音色にも魔力は宿り、聴く者へ様々な感動を与えることができる。
この空中大陸オペラで
「さあ聴きなさい! あたしの奏でる音を!」
勢いよくヴァイオリンを弾き始めたパレットだったが、そのヴァイオリンの音色はお世辞にも上手いとは言えなかった。
たまに途切れる音。
揺れるリズム。
彼女の実力は、たとえ素人が聞いてもわかるほど低レベルである。
しかしそれでもパレットは、憧れの大劇場の前で笑顔のまま演奏を続ける。
その演奏はやはり拙いものではあったが、皆疫病なんかに負けるなと言わんばかりの迫力だ。
人通りのない劇場街には、今パレットの魔法の音が響き渡っていた。
一曲終えたとき――。
パレットの前には、同じくらいの男の子が立っていた。
その様子を見るに、どうやらパレットの演奏をずっと聴いていたようだ。
「ご静聴ありがとう!」
すぐに気が付いたパレットは、お礼を言いながら深々と頭を下げる。
男の子はそんな彼女へパチパチとささやかな拍手を送った。
「けっこうよかったのよ。ま、演奏はヘタクソだったけどね」
どこからか聞こえる女性の声。
パレットは男の子のことをよく見ると、その肩に小動物が乗っていることに気が付いた。
「えッ? リスが喋ってる……?」
「プー! ずいぶんと失礼な小娘なのね! ワタシはリスじゃないのよ! ムササビ! ムササビなのよ!」
驚くパレットと喚き出したムササビを見た男の子は、少し困った顔になっていた。
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