第十一話 貴婦人と雨傘
「あー、もう最低っ、なんなのよ!」
台風の雨風に傘はあっけなく折れ、全く使い物にならなくなった。容赦なく打ち付けてくる雨風を避けようと、すぐの軒下に駆け込んだ。
ウイーン
ピロリンピロリン
「え、なに?」
どうやら入った軒下が店の入口だった様で、自動ドアが開いてしまった。これ以上雨に濡れるのもイヤだったので、誘われるように中に入った。
「いらっしゃせーー」
「タオルある?」
傘が壊れたせいで全身ずぶ濡れ、少しでも拭きたくて店員に聞いた。
「申し訳ありゃーせん、ありゃーせん」
「サービス悪いわね」
ずぶ濡れの人にタオルすらも貸してくれないケチな店からは何も買いたくない。そう思ったが、雨具がなければこの先も濡れてしまう。
「傘か雨合羽ある?」
「傘はありゃーす」
出された傘はシンプルなデザインの傘だった。開いてみるとサイズも大きすぎず小さすぎず、骨も16本あり頑丈そうだった。
「この傘、いくら?」
「5000円になりゃーす」
「私がずぶ濡れで困っているのを見て、足元見てるんじゃないの? 本当はもっと安いでしょ、この傘」
「この傘は5000円でしか売れましぇーん」
「なんなのよ。さっきから、言い方もムカつくわね」
「すみましぇーん」
足元を見てふっかけて来ている店員にイライラが募る。傘を畳み、近くのカウンターの上に置いた時、化粧箱が視界に入った。
「この箱はなに?」
「ネックレスが入ってる箱れぇーす」
「見せてもらえる?」
「こちらになりゃーす」
開かれた化粧箱の中に入っていたのは、ダイヤが付いた金色のネックレスだった。
「素敵じゃない。これも売り物?」
「そうれぇーす。20000円れぇーす」
「そんなに安いのなら金じゃないし、ダイヤもどうせガラスでしょ?」
デザインはとても好みだけど、偽物なんて着けたくないからこれはない。
「金もダイヤも本物れぇーす」
さっきの傘が5000円で、金とダイヤのネックレスが20000円なんておかしい。
「証明書や鑑定書はあるの?」
「ありゃーせん、ぇも本物れぇーす」
「本物なのにどうしてそんなに安いのよ」
「特別なネックレスだからぇーす」
「どう特別なのよ」
しばらくやり取りをして、この店員の頭がおかしいという事だけわかった。
このネックレスは着けたら自分で外せなくて、人の話を遮ったら首が絞まっていく。でも72時間着けたままでいられたら、その先死ぬまで老いる事がなくなると言い張っている。
きっと、小説や漫画の読み過ぎで、現実との境がわからなくなってしまった可哀想な人なのね。
「返品も自由って言ってたわね」
「もちろんぇーす」
「じゃあ傘とネックレスをもらうわ」
鑑定してもらって偽物なら返品すればいい。もし本物なら、とてもお買い得なので、実質損のない買い物になると考えた。
「ありがとうござぁーす」
代金を支払い、化粧箱の入った袋と傘を受け取った。
「紙袋? 防水のものはないの?」
「すみましぇーん、ありゃーせーん」
「はぁ…、ほんと最後までサービスの悪い店ね。返品の時にまた来るわ」
「ありがとうござっしたー」
店を出ると暴風雨は続いていた。買った傘をさして早足で家に向かった。家に着きタオルで体を拭くと、あのサービスの悪い店にいた時と濡れ方に差がない事に気が付いた。
「あの傘のおかげかしら、高いと思ったけど案外悪くない買い物だったのかも」
濡れた服を洗濯機に放り込んでシャワーを浴び、夕食の準備に取りかかった。
日も暮れ、帰ってきた夫と向かい合わせに座り、ビールで晩酌をしながら夕食を食べ始めた。
「ねえ、今日お葬式の帰りに、あなたが迎えに来てくれなかったからずぶ濡れになって大変だったのよ」
「ああ、すまなかったね」
「本当よ。台風のせいでタクシーも駅にいなかったし、電話かけたら台風のせいでかなり待たせるとか言われて。仕方ないから歩いて帰る事にしたのよ。ねえ聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ」
「あ、そう聞いてたのね。それでね、傘をさしても足元が濡れて気持ち悪かったけど、仕方ないから濡れながら歩いてたらね、途中で傘が壊れて、もうほんと散々よ。あの傘それなりに高かったし、お気に入りだったのに。それで、本当ずぶ濡れになるところだったのよ。でもね、運良く開いてる店がすぐ近くにあって入ったのよ。そうしたらその店の店員の喋り方は変だしサービスはものすごく悪いし、なんなのこの店、って思ったわ。でも、傘が壊れてたから傘があれば買ってあげてもいいと思って聞いたらあったのよ。九死に一生だと思って値段を聞いたのよ、いくらだったと思う?」
「え、ああ、うーん、2000円くらい…」
「そうよね、そのくらいだと思うわよね。でもね5000円って、言われたのよ、あの傘が。高いわよね。あの店員、私がずぶ濡れになって傘が壊れているのをわかっててふっかけてきたのよ。その時はさすがの私でも腹が立ってね、だから言ってやったのよ。足元見てるでしょ、高いから安くしてって。それでも5000円です、しか言わないからこっちが折れてあげたわよ。あー、思い出したらまたイライラしてきた、なんで思い出させるのよ」
「あ、ああ、それでその傘は買ったの?」
「買ったわよ、傘が壊れてたって言ったわよね、買うしかないのくらいわかるでしょ。元はと言えば、あなたが迎えにきてくれなかったからこんな気持ちになってるのよ、わかる?」
「すまないね、連絡があった時、ちょうど手が離せなかったんだ…」
「あなたにはあなたの都合があるから仕方ないわよね。でも次は台風の日くらい迎えに来てほしいわ。そもそもお葬式の日に台風が来るのが悪いのよ。そうよ。でね、あなたが迎えに来てくれなかったから、これ買っちゃったのよ。安かったし偽物だったら返品していいって言ってくれてね。店員が金もダイヤも本物だって言い張るのよ、だから鑑定してもらって本物ならすごくお買い得で偽物だったら返品してくるつもり。今日のお詫びとして、あなた明日これを鑑定してもらいに行ってきてね、頼んだわよ」
「ごめん、前にも言ったけど、明日から二泊で出張だから行けない。帰って来てからでいいなら…」
「はあ……、いつもタイミング悪いわね。早く知りたいから明日、私が行ってくるわ」
「ありがとう、気をつけて」
食事を終えた夫は、食べ終えた食器を洗って入浴に向かった。雨に濡れた上、イライラさせられたせいもあって余計に疲れたので、早く寝る事にした。
*
翌日、出張に出かける夫を見送った後、ネックレスの鑑定に歩いて向かった。台風が去った翌日で日差しが厳しく風も強かったため、昨日買った傘を日傘として持って行った。
偽物だったらその足であの店に返品に行くつもりでいたが、鑑定の結果は金もダイヤも本物という事だった。
「本物だったのね、嬉しい!」
本物だと知り、早速ネックレスを着けた。帰り道、ご近所さん達から声をかけられた。
「こんにちは、釜本さん。素敵なネックレスですね」
「あら、わかる? 昨日たまたま見つけて買ったのよ」
ネックレスの自慢話をしたかったところにちょうどいい相手が来た。服が肌にべったりと張り付く汗の気持ち悪さを感じ、話を切り上げる。
「暑いからそろそろ家に入るわ、またね」
「え、ええ、はい、それではまた」
家の中に入り、シャワーを浴びるためにネックレスを外そうとしたが、うまく外すことができない。
「暑い場所に長く居たから、熱中症になりかけているのかしら」
心配になったため水分を多めに取り、ネックレスは着けたまま、ぬるめのシャワーを浴びた後、ソファーで横になった。
トゥルルルルル……
トゥルルルルル……
電話の音に目を覚ました頃、窓の外は暗くなりかけていた。
「はい、もしもし」
「ああ、よかった。私だよ、」
「あら、あなた。どうしたの?」
「ちょっと頼みたい事が、」
「あ、そうそう! あのネックレス本物だったの!」
「あ、ああ。よかったね。頼みなんだけど、私の部屋の窓を、」
「窓?」
「ああ、窓を今日の朝開けたまま出てしまったので、」
「わかったわ、閉めておいてあげる。うっ……」
何か細いもので首を絞められる感じがしたため、首を触るとネックレスを着けたままであった事に気が付いた。
「何かうめき声みたいものが聞こえたけど、」
「ネックレスに首を絞められてるみたい……ううっ」
「おいっ、なんだそれ、大丈夫か、」
「大丈夫じゃない……」
首の絞め付けが段々と強くなっていくことに恐怖を感じ、電話の受話器を机に置いた。首に両手を当てて絞め付けているネックレスを外そうとするが、外す事が出来ない。外せない事で焦り、どんどんと恐怖が強くなっていく。ふと、昨日のおかしな店員が言っていた事を思い出した。
――人の話を遮ったら首が締まっていきゃーす
――72時間付けたままでいたら、その先死ぬまで老いる事がなくなりゃーす
「あの店員が言っていた事は本当だったのね……。誰とも話さないで、ネックレスが外れるようになるまで待てば……」
時間が経てば解決すると希望を見出した。すぐに電話線を抜き、インターフォンと携帯電話の電源を切り、二階の寝室に籠った。昼寝をしてしまったせいで深夜になっても眠くならなかった。
小説を読んだり、テレビを見たりしながら時間が過ぎるのを待つ。日が昇るまで、とてもとても長い時間に感じた。一睡もできないまま朝食を済ませて寝室に戻ると、急激な睡魔が襲ってきた。
*
異様な暑さを感じ目を覚ました。寝ぼけ眼で辺りを見ると、火に包まれていた。
「火事!?」
すぐさま携帯電話を手に取るが電源が入っていない。急いで電源を入れ、消防署に連絡をする。
「救急ですか、火…」
「火事よ! 助けてくださ……うぅぅ」
首が一層強く絞めつけられ、呼吸が辛くなった。火事の所為ですっかりパニックになってネックレスの事を忘れてしまっていた。
苦しさのあまり声が出せなくなり、床に倒れ込む……。
消防車が近づいてくる音が聞こえる。誰かが呼んでくれていたのだろうか……。
苦しくてその場所から動けない……。
息が出来ない……。
段々と意識が薄くなっていく中、部屋が黒煙で埋まっていくのを見ていた。
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