第12話 悪い人

 ……程なくして、オフィスに荘厳なヴァイオリンの音色が鳴り響いた。ドヴォルザーク作曲、交響曲第9番『新世界より』第二楽章。日本では『遠き山に日は落ちて』として知られる旋律とともに、奥の部屋からゴスロリ姿の少女が姿を現した。

「アンタたち、終業時間よ。遊んでないでさっさと帰りなさい」

「待って社長。遊んでないんだけど」

「つべこべ言わない。それと、この場の全員に連絡事項があるわ」

「ん、なーに? 社長」

 正座したままだった紅羽がぴょこりと立ち上がる。無邪気に首をかしげると、捻じくれたポニーテールが尻尾のように揺れた。カノンがきょとんと唯を見返し、千草が何となく居住まいを正す。唯は一同を見回し、最後に霧矢を見据えて口を開いた。

「――来週木曜。元々とあるテロ組織を掃討する案件が入ってたんだけど、丁度いいからアンタも参加しなさい。夜久霧矢」

「……は? ンだよ、そんな急に」

 三白眼を軽く見開き、霧矢は拍子抜けたような声を上げた。背後で千草と真冬が頷き合う気配。怪訝そうに眉を顰める霧矢に、唯はさも当然といわんばかりに新しいクリアファイルを差し出す。

「アンタが現場でどこまでやれるか見ておきたいの。適性や戦闘スタイルなんかも正確に把握しておきたいし、他の社員との連携も試させたいからね。あとこれ資料。今夜にでも目を通しておいて」

「おい、俺はお前らにつくとは言ったが、入社するとは――」

「うちに身を寄せるなら社員になるのが一番自然じゃない。それに社員として申請できるなら、公安部に認められた犯罪対策会社の一員として大っぴらに庇えるもの」

 ぐうの音も出ない正論に、霧矢は苦々しげに口を閉ざした。ナイフを握る手がかすかに震える。彼が反論するのを待たず、唯は矢継ぎ早に指示を出した。

「残りの平社員は今夜八時に召集かけるから、話はその時にするわ。千草、夜久霧矢を社員寮に案内してやりなさい。報告書の提出は後日でいいわ。常務は別件で少し手伝ってもらうことがあるとして、紅羽はさっさと帰りなさい。いらなく残られたら残業手当出さなきゃいけないじゃない」

「そういう問題なの? ……まぁいいや。霧矢くん、さっきはうちの紅羽がごめんね。あとでちゃんと叱っておくから機嫌直してほしいな」

「…………チッ」

 派手に舌打ちし、霧矢はようやくナイフをホルダーに突っ込んだ。クリアファイルを乱暴に奪い取り、椅子を蹴立てて立ち上がる。苛立たしげに頭を掻く彼を一瞥し、唯は冷ややかな視線を紅羽に投げた。

「……紅羽。アンタ何したの?」

「たっ、大したことしてないよ!? ひなのんの時みたいに初対面で齧ろうとかしてないし!!」

「……は!? おま、齧っ!?」

「はいはいはいはい霧矢くんは気にしないでいいからねー。とりあえず社員寮行こうかぁ僕が案内するよー」

「は、ちょ、おい!」

 追及しようとする霧矢を無理やり遮り、千草は彼の肩を押してオフィスの出口に連行してゆく。


 ◇◇◇


「さてっと。もう案内する場所はないし……どう、霧矢くん? これで社員寮の中は大体頭に入ったかな」

「一応はな……」

 温かみのある照明がベージュを基調とした内装の廊下を照らし出す。完璧に管理された空調も相まって、MDC社員寮は居心地がよさそうな空間ではあった。が、霧矢は相変わらず険しい目をしたまま、千草を見もせずに雑な返事を返してくる。当の千草は人当たりの良い笑顔を崩さずに、頬を掻きながら彼の方に向き直る。

「そりゃよかったよ。……君たぶん疲れてるだろうし、とりあえずご飯食べない? 適当に何か作るよ」

「要らねェ」

「即答!? ……じゃなくて、ほら明日の任務、君も来るじゃん? 今のうちに体力つけとかないとダメだって」

「やかましいわ! 気が向いたら勝手に食うからほっとけや」

「えぇ……」

 理不尽に噛みつかれ、千草は困ったように頬を掻く。彼は警戒心が強いというか、攻撃的というか……狂犬のようだ。こちらに背を向けて足早に自室に向かおうとする霧矢に慌てて追随すると、即座にきつく睨みつけられた。

「ついてくんじゃねェ」

「いやでもほら、流石に心配だって」

「テメェに心配される筋合いは無ェ。……胡散臭ェんだよ、その顔」

 棘を含んだ声で言い放たれても千草はとってつけたような笑顔を崩さない。その程度のことは言われ慣れている。彼は軽く肩をすくめただけで、変わらない調子で口を開いた。

「あはは、よく言われるよ。……残念なことに、昔からこんな顔しかできなくてさ」

「知るか。興味ねェ」

「えぇ……」

 粗野に一刀両断され、千草は疲れたように肩を落とした。金色の瞳が困惑したように瞬く。そんな彼を冷ややかに眺め、霧矢は手を振り払うように言い放つ。

「とにかく、やたら関わってくんじゃねェ。飯は気が向いたら勝手に食う。あと間違っても寝首掻こうとすんじゃねェぞ!」

「そんなことしないよ!?」

 たじろぐ千草を捨て置き、霧矢は乱暴に自室の扉を開けた。部屋の中に消えていく彼を見送ると、内側から鍵が閉められる音が無慈悲に響いた。にべもなく拒絶された千草は少し目を伏せて……切り替えるように息を吐くと、身を翻す。

「……仕方ないか。社長が選ぶ人材なんてそんなもんだよね」

 あの人、狂ってる人ばっかスカウトするんだから。そんな言葉は口に出さず、軽く伸びをしながら廊下を歩いてゆく。


 ◇◇◇


 午後八時、青みがかった間接照明がオフィスを照らし出す。唯と平社員たちが待機する中、自動ドアが音もなく開いた。青と橙と白。三人の少女がオフィスに足を踏み入れる。


瀬宮せのみやしずく、帰還しましたっ」

 長い青髪をなびかせ、長身の少女が自分のデスクに歩み寄った。セーラー服の上に羽織られたレインコートに間接照明の青白い光が反射する。雫は大きな瞳をおどおどと左右させながら椅子を引く。隣の席の千草に軽く手を振られ、彼女は小さく頭を下げた。


「同じく三枝さえぐさ雛乃ひなの、帰還っスー」

 褪せた橙色の髪をした少女が無造作に戦闘用ゴーグルを外し、首にかけた。迷彩グレーの軍用コートの裾を翻して着席すると、重い音を立ててデスク脇にライフルケースを置いた。ガチャリと音を立ててデスクの引き出しを開け、中から眼鏡ケースを引っ張り出す。そばかすのある小さな顔を赤縁の眼鏡が彩った。


「……白魔はくま真冬まふゆ、今来た」

 最後にオフィスに足を踏み入れたのは純白の髪を三つ編みにした少女だった。入院服を思わせるデザインの黒いワンピースの裾が翻る。青白い照明に照らし出された姿はどこか人間離れした雰囲気を纏っていた。彼女は補強された回転椅子に静かに腰を下ろし――彼女らの社長の姿を冷淡な瞳に映す。


「皆、任務お疲れ様。疲れてるとこ悪いけど来週の任務について説明するわ。総員よく聞いて」

 全員の視線が自身に集まるのを確認し、唯は堂々と口を開いた。青白い光を受けて鮮やかな金髪がきらめく。奇人変人狂人悪人揃いの職場でも、社長である彼女には一応全員従ってくれている。それこそ僥倖、と唯は片手を社員たちへと広げてみせた。

「来週木曜は平社員総員でテロ組織の掃討に向かう。敵は五十数名、ライフルやマシンガン等で武装している模様。常務が調べてくれた情報によると、爆弾や火炎放射器、催涙ガスの類も使うはずよ。天賦持ちは五名。この辺は各自資料を確認すること。決行は木曜の早朝四時。ここまではいいわね?」

「うん。問題ないよ」

 代表して千草が頷き返す。他の社員も特に異論はなさそうだ。それを確認すると、唯は一つ頷き、胸に手を当てた。

「以前から話していたけど、今回の任務には夜久霧矢の実力をはかる目的もあるわ。同時に彼にも、あなたたちのやり方を見せてやってほしい。だから全員、やりたい放題やって構わないわよ」

「ほんと!?」

「訂正。紅羽は自重しなさい」

「えー!? なにそれひどーい。キャベツだキャベツー」

「差別ね……」

 むっと頬を膨らませる紅羽に千草が軽く突っ込む。真冬の薄紅色の瞳が、不満そうに足をばたつかせる紅羽を冷ややかに見つめていた。周囲の様子を窺うように見まわしてから雫がおずおずと声をあげる。

「……えっと、あの、社長……やりたい放題やって、本当に大丈夫ですか……?」

「大丈夫に決まってるじゃない。後始末はちゃんとするから安心して暴れていいわよ。その方がきっと、夜久霧矢も懐柔しやすいし」

「懐柔って……社長、まあまあひどくない?」

「言葉の綾よ。要するに、夜久霧矢がうちに心を許してくれればそれでいいの」

 肩をすくめる千草に、唯は涼しい顔でそう返した。間接照明に照らされたマリンブルーの瞳からは目立った善意も悪意も見てとれない。目を細めて彼女を一瞥し、雛乃はデスクに頬杖をついて薄く笑った。

「……どーだか。どーせ社長のことっスし、、伝えてないんしょ?」

「……そうね。現時点では伝える必要がないもの」

「つくづく悪い人っスねぇ、社長って」

「否定はしないわ。善人がのうのうと息をしてられるほど、この世界は甘くないもの」

 皮肉げな雛乃の言葉を軽くかわし、唯は社員たちを見回した。集った社員たちも、かく言う唯自身も決して善人ではない。千草の胡散臭い笑顔も、雛乃の皮肉げな視線も、遠慮がちな雫の表情も、紅羽の光のない瞳も、何も感じていないような真冬も……誰も彼も善性をかなぐり捨てたか、もしくは最初から持ち合わせていない。青白い間接照明に照らされながら、唯は堂々と言い放つ。

「さぁ、今日はここで解散。各自十分な休息をとること。……いい結果が出ることを、デストリエル様に祈っておくわ」

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