[6-3]〝覚醒〟の引き金とは

 最悪の事態ってどういうことなのだろう。雨潮うしおくんが言う〝覚醒〟って危険がつきものなの?

 そもそもわたしたち半妖の〝覚醒〟って一体何なのかしら。


 次から次へと頭の中で疑問が浮かんでいく。

 それらすべてをそのまま聞いてしまえばいいのだけど、雨潮うしおくんの顔を見ていると口にできなかった。


 動揺からだったのか、さっきまで大きく揺らいでいたくれないの瞳は、まっすぐわたしの姿をとらえている。

 その意思の強い瞳と毅然とした態度からわかってしまった。雨潮うしおくんはわたしが覚醒して妖刀を持つことに反対なんだ。


雨潮うしおくんは覚醒しているの?」


 やっとのことで口から出たのは、今まで脳内でめぐっていたどの疑問でもなかった。

 口を引き結んでいる雨潮うしおくんが答えてくれるのか不安はあったのだけど、意外にも彼はすんなりと答えてくれた。


「ああ、七歳の時にとうに覚醒済だ。妖刀を出せるのがその証拠。三重野みえの、お前はなぜ俺が覚醒に反対するのかわからないんだろ?」


 雨潮うしおくんはわたしが抱く不安や疑問を察してくれていた。

 口もとを緩め、彼はどこか気遣わしげな目をむけてくる。「こんな重い話、三重野みえのにはするつもりはなかったが」と口にしてから、わたしの目を見返して、こう告白した。


「俺が覚醒したのはじいさんが死んだ時。俺を庇って、父親に──あの鬼に殺された時だ」

「……え?」


 それはあまりに衝撃的な話だった。

 聞いた覚えがあるのは、前にバスの中で打ち明けてくれたから。あの時はあやかしを憎む理由として話してくれた。雨潮うしおくんのおじいさんはあやかしであるお父さんに殺された、と。

 でも今回は違う。新たな事実がが織り混ぜてある。たぶん、わざと言わなかったんだわ。だってこんなデリケートな内容を知り合ったばかりのクラスメイトに言う必要なんて、どこにもないもの。

 お父さんが狙っていたのはおじいさんではなく、ほんとうは雨潮うしおくん本人だったんだ。


 前に雨潮うしおくんは言っていた。

 生まれつきあやかしの血を受け継ぐ半妖の子供は、あやかしたちにとって極上の餌。妖刀すら出せない半妖の子供は特に狙われやすいって。

 あの言葉は、雨潮うしおくんの実体験に基づくものだったんだ。


雨潮うしおくんは実のお父さんに殺されそうになったの?」

「…… 今となっては殺そうとしたのか、連れ去ろうとしたのかよくわからない。父親は人を襲い続ける危険な鬼で、母さんは身体の弱い退魔師の娘だった。だから俺は愛し合って生まれた子どもじゃない」


 詳細を聞かされた今、バスで打ち明けてくれた雨潮うしおくんの話はかなり端折ったものだったとわかる。気軽に話せる内容じゃないもの。


 愛し合って生まれた子どもじゃない、なんて。聞いただけでひどく悲しくなる。

 わたしはなんて冷たいひとなんだろう。あまりに壮絶すぎる彼の過去話を聞いておいて、雨潮うしおくんにかける言葉が少しも出てこない。


 まるで他人事のように淡々と、けれどわずかに声を震わせながら雨潮うしおくんは続ける。


「父親が俺を狙っていたのは確実だ。鬼の首魁の血にはいくら手練れの退魔師でも敵うはずがない。じいさんはあっけなく殺され、それを目の前で見ていた俺は頭に血が昇った……んだと思う。気がつくと、俺は血塗れの妖刀を握っていて、目の前には父親の首が転がっていた。これが俺の〝覚醒〟だ」


 今なら、雨潮うしおくんがあやかしを憎んでいて当たり前だとわかる。

 だって彼は生まれる前からあやかしそのものに人生を狂わされていたんだもの。同じ退魔師の仲間からも半妖ってだけで嫌われて。


 覚醒のことを口走った時、雨潮うしおくんが辛そうな顔をした理由がようやくわかった。大切な家族を亡くした記憶を思い出すからだったんだ。

 そう思ったら、目頭のあたりが熱くなる。胸もとが大きなものでふさがれたみたいに苦しくなった。

 自覚したらもう止まらない。感情があふれ出してくる。


「ちょっ……なんでお前が泣くんだ!?」


 まるでお化けでも見たかのように雨潮うしおくんが肩を震わせ、ぎょっとした。


「だって、雨潮うしおくんが可哀想で……」

「俺のことはいいんだ。今はお前の話をしてるんだが」


 文句を言われたって、止まらないんだから仕方ないじゃない。

 手で拭っても次から次に涙が出てくる。泣きやむまでずっと雨潮うしおくんは待っていてくれた。

 最後の涙を拭い終えると大きなため息をつかれた。


 銀色の頭をがしがしと掻いて、彼はわたしから目をそらした。日焼けした肌はわずかに朱の色がさしていた、ような気がする。


「いいか、三重野みえの。〝覚醒〟には痛みがともなう。俺は成り行きでたまたま覚醒したが、お前がわざわざ辛い目に遭う必要はない」

「それは、そうかもしれないけれど……」


 結局のところ、雨潮うしおくんが覚醒に反対するのはわたしのことを思ってのことだったんだ。誰だって友達に辛い思いをして欲しくないもの。

 わたしは守られてばかりでいいのかな。巻き込まれてるだけなのに、雪火せっかだって時間をたくさん使って協力している。わたしだって力になりたい。


 もともと隠し事が苦手なタイプだから、言いたいことが顔に出てたんだと思う。わたしからなにか言う前に先回りして、雨潮うしおくんは口を開いた。


雪火せっかからある程度事情は聞いた。お前は妖怪にトラウマを持ってたんだろう? 最近までぬえのせいでピアノだって手放す羽目になってたんじゃないか。せっかく好きなものを取り戻したばかりなのに、みすみす危険をおかすことはない。お前は今自分にできることを精一杯すれば、それでいいと思う。ピアノの能力ちからだって三重野みえのにしかできないことだし」


 今日の雨潮うしおくんはいつになく饒舌だわ。

 いつも口数が少なくって、彼とはたぬきくんの事件以来は必要最低限の会話しかしてこなかった。嫌われてるのかもと思っていたけど、彼はわたしのことをちゃんと考えてくれていたんだ。

 ふさいでいた胸が熱くなってきた。雨潮うしおくんのこと、友達だと思ってもいいのかな。


「うん、そうだね。わたしにはわたしにしかできないことがあるもんね」


 一緒に戦いたいって気持ちは嘘じゃない。でも危険を侵すような真似をしたらアルバくんや雪火せっかたちに心配をかけてしまう。〝覚醒〟に至る過程が聞けば、きっとみんな反対するわ。


 今、わたしはわたしにしかできないことを精一杯やっていこう。

 アルバくんだってできることが限られている中、一生懸命打開策を考えているんだもん。わたしも無理のない方法でがんばらなくちゃ。


 うなずいてみせると、雨潮うしおくんは鋭い目を和ませた。たぶんホッとしたんだと思う。


「そうだ、だからもう思い悩むな。心配はいらない。お前のことは、俺が必ず守ってやるから」


 力強いその言葉に、とくんと胸が高鳴った。他意はないってわかってるはずなのに、優しい言葉に心を揺さぶられる。

 形のいい唇を引き上げ、珍しく雨潮うしおくんが笑っていた。いつも無表情でにこりとも笑わないのに。こんなやわらかく笑う時もあるんだ。


「さあ、行くぞ。河野かわの先生の言うように時間は有限だ。早く音楽室へ行こうぜ」

「う、うん」


 手を取られて、そのまま握られる。雨潮うしおくんの手は少し汗ばんでいて湿っていた。てのひらからのぬくもりが、わたしの思考を現実へと引き戻す。

 そうだ、今は音楽室に行かなくちゃ。先生の話を聞かなくちゃいけないし、久遠くおんさんにわたしのピアノを聴いてもらわなきゃ。


 前を向いたまま雨潮うしおくんが再び歩き出す。手を引かれるままにわたしは彼について行った。

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