[5-4]退魔師への疑惑と天狗の父娘

「……紫苑しおん、お前ってほんとに鈍いよなあ」


 そうぽつりとつぶやいて、アルバくんは深いため息をついた。


「ええっ、なに言ってるの? 鈍いってどういうこと!?」


 言ってることが抽象的すぎてわけがわからなかった。だから聞いたのに、アルバくんってばなぜか目を細めて不機嫌そうに眉をきゅっと寄せる。

 人のことを言えないけれど、アルバくんもわたしと同じでよく表情が変わる。怒ったり呆れたり、不機嫌そうになったり。

 けど彼ははだんまりを決め込むタイプではない。基本的に親切だ。今回も腕を組んだままちゃんと教えてくれた。


「なんで人間に化けたのかって、理由は一つだろ。おれは他の人間たちが千秋とお前をつが……恋人として認めてるのが嫌だったんだよ!」

「あれ。今、つがいって言おうとした?」

「い、言ってねえよ! 未遂だ!! 話そらすんじゃねえ!」

「ごめんなさいっ。……ふふっ」


 人間のことを理解していても、やっぱりアルバくんもあやかしなのね。九尾きゅうびさんが口にする同じニュアンスの言葉を使ってる。

 それを口にすることで、どうしてわたしたち人間側が固まっちゃうのか。ちゃんと分かってるから、焦るんだよね。

 そんな彼がおかしくて、勢いで謝ったものの笑ってしまった。


「……ったく、笑うんじゃねえよ」

「でも、噂は噂でしょう?」


 わたしとしても校内で流れている根も葉もない噂はなんとかしたいところだ。

 けれど、人の噂も七十五日というように、ずっと続いていくわけじゃない。雨潮うしおくんと私が付き合っているという話題はいつまでもみんなの記憶には残らないだろう。ほとんどの場合、新しい噂が飛び交うと忘れ去られてしまうもの。


 あ、そうか。だからアルバくんは公衆の面前で「おれのもの」だって宣言したんだわ。


 月夜見つくよみ市内に高校は一つしかない。

 校外の人とお付き合いしている生徒ってだけですごく珍しいのよね。


 アルバくんはまだ不満げな顔だった。

 肩にかかった雪色の髪を払いのけ、彼を覗き込んでいたわたしの顔を見返してこんなことを言ってきた。


「そりゃそうだ。だけど、おれとしては千秋のことをそういう意味では信用してねえんだよ」

「そういう意味って?」


 また曖昧な言い方をしてる。

 雨潮うしおくんだって今回の被害者だよね。こんな会って間もない田舎の女子高生なんかとカップル疑惑を持たれちゃってるんだもん。ほんとうに申し訳ない。

 そういえば噂のことで迷惑かけてるのに、わたしってば雨潮うしおくんにまだ一言も謝ってないわ。


「…………」


 とうとうアルバくんは黙り込んでしまった。

 口を引き結んで、目を険しくさせる彼にただならぬものを感じた。


「え、なに? 雨潮うしおくんになにかあるの?」

「これは絶対にお前には言いたくなかったんだけどさ。千秋のやつ、たぶんお前のことを意識し始めてる……、と、思う」


 ――はい?


「ええーっ、ないない! それは絶対にないよー!」


 いきなり真剣な顔でなに言い出してるの。


 もちろんわたしは、顔の前でぶんぶんと手を横に振って否定した。

 あり得ないよ。アルバくんの考えすぎだよ。


 だって。お互い和解してから、雨潮うしおくんとは何もないもん。

 彼はいつも無表情で、笑うのが珍しいくらい。少なくともわたしに笑顔を向けたことは一度もない。

 同じクラスで隣の席だけど、ここ二週間で個人的に話したのは数えるほど。むしろわたしより雪火せっかと一緒にいることが多いくらいだもん。

 絶対にあり得ないよ。


「なんで、そんなこと言い切れんだよ。なにかにつけて千秋のやつ、ちゃっかりお前の隣にいること多いじゃねえか。この間のバスの時も、普段の教室でも」


 たしかに仲直りした日、バスの中で雨潮うしおくんは隣の席に座っていた。けど、バスに乗っていたのはわたしだけじゃない。雪火せっかだっていたわけなんだし。


「バスはあの一度きりだけだったじゃない。それに教室はほら、たまたま同じ席なだけだよ!」

「……それに、あいつはお前との仲をはっきり否定しなかった。紫苑しおんは他意がないから、すぐに否定しただろ? だから千秋はお前に対して下心があるんじゃねえかと思ってる」


 えええ……。

 たしかに雨潮うしおくんは否定をしなかったけど、それは単にめんどくさいだけだったんじゃないかな。クラスのみんなにも「くだらない」って言ってたもん。


 雪火せっかはいつも穏やかだし、心の内をちゃんと言葉にしてくれる。

 アルバくんはわかりやすくて、大事なことは直接伝えてくれる。

 けれど雨潮うしおくんはいつも同じ表情だから、なにを考えているのかいまいちわからない。ちゃんと聞いたら教えてくれるかな。転校初日は尋ねたら色々答えてくれたものの、表面的な答えしかくれなかった。


「ほんとにそうなのかな。雨潮うしおくんはわたしのことを、その、恋愛対象として、見てるのかな」

「知らねえよ。気になるなら思いきって聞いてみればいいだろ」


 またこれだ。直接聞いてみろ、か……。

 言っていることはわかる。胸の内でああだこうだと悩んでも、結局は本人の口から言葉にしてもらわないと解決しないもの。

 だからと言って、こんなプライベートなことを雨潮うしおくんに聞けるわけ――、


「いや、やっぱりだめだ! あいつに聞くな!」

「どっちなの!?」


 アルバくん、言ってることが秋の空みたいに移り変わりが激しいよ!?

 なにをそんなに心配してるんだろう。わたしが好きなのはアルバくんなのに。


 想いは言葉にしないと伝わらない。でもちゃんとわたしは言葉にして伝えてる。

 もしかしてアルバくんには雨潮くんのこととは別の、なにか大きな不安を抱えているのかな。


「ねえ、アルバくん。もしかして——、」


 聞くなら今だと思った。口を開きかけたとき、ふいに車の窓をノックする音が聞こえた。


三重野みえのさん」


 声は聞こえなかったけど、大きく口を開いてパクパクしてくれたから、名前を呼ばれたとわかった。先生が戻ってきたんだ。


 先生はツインテールの女の子を連れていた。

 笑顔で手招きしている。車の外に出てきてほしいってことなのかな。


「お待たせ、三重野みえのさん。紹介するわね。私の夫と、娘の小夜さよちゃんよ」


 先生のそばにいる女の子は胡桃くるみちゃんのところにいるたぬきくんとあまり変わらない年頃だった。六歳くらいかな。艶やかな黒髪をツインテールにして青いリボンで結んでいる。

 くりっとした大きな瞳は鮮やかな青。背中から小さな黒い翼が生えている。かわいい。

 明らかに人間じゃない。あやかしの子どもだ。


 けれど、小夜さよちゃん以上に、わたしは先生の隣にいる男の人から目が離せなくなっていた。


 彼の背には翼がなかった。完璧な人間に化けた男の人だった。

 もともと黒髪だからか、青い瞳をのぞけばあまり違和感はない。


 先生の旦那さんは、アルバくんよりも背が高くて姿勢がよかった。

 薄い色のTシャツの上から黒い革ジャンを羽織り、首もとには派手なシルバーアクセサリーをジャラジャラとつけている。

 あやかしだけあって顔立ちがきれいで、鋭い印象の目をしていた。目元にある泣きぼくろが大人っぽい。


 隣にいる先生は淡い色のロングスカート姿で清楚な感じなのに、隣に立っているのはごついシルバーアクセをいっぱいつけた派手な男の人。

 なんていうか、イメージと全然違っていて、声が出なかった。

 中に着込んでいるTシャツは襟ぐりが深いから、胸もとが見えそう。

 すごく色っぽい。というか、チャラい?


 このひと、ほんとうに先生の旦那さん……なのかな。


三重野みえのさん?」

「……あっ、ごめんなさい! えっと、わたしは三重野みえの紫苑しおんと言います。よろしくお願いします」


 旦那さんがあまりに先生のイメージとかけ離れたひとだったから、頭がフリーズしちゃってた。

 あわてて挨拶したら、大きな声をあげて笑われた。


「お前が彩の教え子か。俺様の名は久遠くおん。薬屋までの案内、頼んだぜ?」


 顔を上げたら、思っていたより声が近くでびっくりした。

 その人は腰に手をそえ、わたしたちを見下すような態度でそう言った。いや、実際には誰よりも背が高いから、見下ろすようになっちゃうんだけどね。

 口を開けて笑うと白い歯がきらりと光った。まぶしいくらいにカッコいい男の人だ。


 初めて顔を合わせるカラス天狗はすごく派手で、色っぽい大人で、存在感がすごかった。

 そして極めつけが「俺様」だ。


「……また濃いやつが現れやがった」


 最後に、顔を引きつらせたアルバくんがそう言った。

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