[4-5 reverse side]夢喰いあやかしは見知らぬあやかしをストーカー呼ばわりする

 今朝のことは完全におれの失態だった。

 まさか姿を消していたおれの存在に犬が気付くなんて思わなかった。こんなことだったら、幻術で人間の男に化けるんだった。


 心の傷トラウマは何がきっかけで大きく広がるか分からない。

 最新の注意を払わなくちゃいけなかったのに、この様だ。


「ごめんね、アルバくん」


 不意に紫苑しおんが謝ってきた。視線を落とすと気まずそうに両手を握りしめている。


「謝ることのほどじゃねえだろ。動物好きのお前のことだ。ただ犬が怖いってワケじゃなさそうだし。嫌なこと思い出したんだろ?」


 なにしろ昨日の夜にぬえの話をしたばかりだ。紫苑しおんが不安定になっても仕方ないと思う。

 まあ、そのあとはいろいろ……あったけど。今朝は珍しく悪夢を見なかったみてえだし。


 一体、昨夜はどんな夢を見たんだろうな。


 ふと気になって聞いてみようと思った矢先、紫苑しおんと目が合った。

 おれの姿を映した薄紫色の瞳が上目遣いに見る。


「わたし、アルバくんに話さなくちゃいけないことがあるの」


 自分の両腕で抱えていると分かる。華奢な身体を紫苑しおんが緊張で固くした。

 ついに自分から話そうと勇気を奮い起こしたんだ。


 ――嫌なら無理に話さなくてもいい。


 そう言おうと口を開きかけてやめた。


 まっすぐ見上げてくる揺るぎない瞳は、今まで臆病だった紫苑しおんのものとは思えないくらいの強さを感じた。

 今はこいつなりに前に進もうと必死にあがいている。なら、おれは手を引いて一緒に進んでやればいい。


「わたしがピアノをやめたのは五年前にあやかしに襲われたからっていうのは知ってるよね」


 頷いてみせる。

 そもそもその事実を知ったのは、初めて紫苑しおんの悪夢に入り込んだ時だった。


「赤い瞳をもつ毛むくじゃらのあやかしだったの。ピアノの練習をしていたらいきなり部屋に入ってきて、わたしは襲われたの。あのあやかしが何なのか、最初は知らなかった。けど、いつだったか九尾きゅうびさんと雪火せっかの会話を聞いて知ってしまったの」


 黙っておれは紫苑しおんの言葉に耳を傾ける。


 昨日の朝も言っていたな。紫苑しおんが九尾が怖くないと感じるのは、そのあやかしを退けたのが九尾だからだ。

 退魔師があやかしの名を出した途端に雪火せっかが顔色を変えたところを見ると、あいつは知っていたんだ。紫苑しおんを襲ったあやかしが何なのかを。


 口にしてしまうと確信に変わる。いや、もう知ってしまっているのだから今更か。


 小さな勇気を奮い起こして、紫苑しおんは震える声でおれに告白した。


「たぶん、あの時襲ってきたあやかしは、雨潮うしおくんが追っている鵺だわ」


 やっぱりそうか。


「鵺は九尾が退けたんだろ?」

「うん、そのはずなの。もう二度と月夜見つくよみ市に入れないようにしたから大丈夫だって。あれからずっと現れてない。でも、どうして雨潮うしおくんが……」


 大方予想はついていた。紫苑しおんも顔色を変えていたし、帰り道は様子がおかしくなり不安定になったいた。


「理由はおれにも分からない。退魔師や雪火せっかに直接聞いてみるしかないな」

「うん。そう、だよね……」


 小さく頷いたあと、紫苑しおんは消え入りそうな声でぽつりとそう言った。


 怯えて震える姿を見るのは可哀想だった。こいつにはいつだって笑っていてほしいのに。

 鵺もなんで紫苑しおんを襲ったんだ。

 半妖だからか。あやかし由来の特殊な能力を持っているからなのか。


 どういうわけか、紫苑しおんはあやかしの知識には乏しい。たぶん母親があまり教えていなかったんだろう。鎌鼬かまいたちはマイペースな性格のやつが多いからな。あえて教えなかった可能性もあるが。

 なんにしても雪火せっかと合流して詳しく聞いてみる必要がありそうだ。


 突然にくいっと衣装の襟元を引っ張られた。

 紫苑しおんの力程度では脱げたりはしねえけど、ちょっと焦る。


「ちょっ、しお……」

「アルバくん、わたしこわい。あやかしはもうこわくないけど、鵺はこわいの」


 再び見上げてきた瞳は涙に濡れていた。思わず抱きしめてやりたくなる。けど、よく考えれば、おれの両腕は塞がってるんだった。


 悪夢にうなされるくらいにあやかしを怖がってた紫苑しおんが、「もうこわくない」って言ったのが意外だった。

 あやかしに対しての見方が変わったのは、間違いなく豆狸まめだぬきの一件がきっかけだろう。

 紫苑しおんは動物が好きだ。あやかしに対するトラウマを克服する上で、豆狸まめだぬきに関わることはいいリハビリになったのかもしれない。胡桃くるみに感謝だな。


 いつだって紫苑しおんには笑っていて欲しい。

 不安にさせないよう口角を上げ、おれは笑ってみせた。


「そりゃ誰だって危害を加えたやつが近くにいたら怖いだろ。人間同士でもそういうことあるじゃん。ほらストーカーとか」

「……ストーカー」


 ここで、どうして紫苑しおんは目が点になってんだ。

 あれ、おかしいな。おれ、またやっちまったか!?


 訳が分からず様子を見ていると、紫苑しおんは頬をふくらませた後、吹き出して盛大に笑い始めた。


「あははははっ」

「今の笑うところだったか!?」

「だって、あやかしなのにおかしいんだもん! アルバくん、よくストーカーって言葉知ってるね」

「珍しくもないだろ!? 今朝の新聞でも書いてあったんだよ。ストーカーに気をつけろって。それに、また同じ鵺がお前を襲いに来たりしたらそれこそストーカーだろ!?」

「あははははっ! 真剣な顔で新聞読んでると思ったら、ちゃんと人間社会の勉強してたんだ。もうもうっ、真面目すぎるよっ」


 そうか? 真面目、なのか?

 九尾だって雪火の家で新聞読んでるって言ってた気がするんだが。


 つーか、話が完全にそれてるじゃねえか。


「ああっ、もう笑うな。つまりだな、おれが言いたいのは怖いって感じてもおかしくねえってことだよ。でもって、そのストーカー野郎からはおれが絶対に守ってやる」


 言い切ったあと、おれは力強く笑ってみせた。


 これは虚勢だ。

 おれはただのばくで、人間の夢を糧とするだけのあやかしだ。九尾みたいな伝説の大妖怪じゃねえし、退魔師からすれば特別強いあやかしというわけでもない。

 他のあやかしより右に出ることといえば、人間の夢に入り込めることくらいだ。


 鵺からすれば、おれなんか驚異にすらならないだろう。


 それでも自分の女はこの手で守りたい。紫苑しおんにはおれの隣でずっと笑っていて欲しい。

 他のあやかしに奪われてたまるか。


「ほんとう? 鵺が来ても、わたしを守ってくれる?」


 紫水晶アメジストのような瞳は不安で揺れていた。

 強く頷いて、おれは紫苑しおんを元気づける。同時に自分の心も奮い立たせた。


「ああ、おれが紫苑しおんを守る。……って、まだ鵺がお前を襲いに来るって決まったわけじゃねえけどな。でも何があってもおれがお前と一緒にいるから。だから諦めるんじゃないぞ」

「うんっ」


 紫苑しおんの心を沈めていた黒雲は散っていったらしい。

 花が咲き誇ったような笑顔で元気よく頷いてくれた。


 それでいい。

 知っているか、紫苑しおん

 人間は諦めなければ道を切り開ける。希望ゆめはいつだって、人が進み続ける原動力になるんだぜ。

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