4章 強くなるきずなとたぬきのリクエスト
[4-1]星空と提灯と甘いキス
夢なのかな、と思った。
真っ暗な夜空に、きんいろのお月さまと銀砂をまいたような星が瞬いている。
川のせせらぎの音に、鈴の音のような声で鳴く秋の虫たち。
ぼんやりと淡いオレンジ色の光に照らされたアルバくんの精悍な顔が、間近に迫っていた。
「
背が高くなり実をつけ始めた稲穂が、風で揺れた。
頬を撫でる残暑のぬるい風は、間違いなくほんもの。
鼻がつんとして、一瞬でアルバくんの顔がにじみ始める。
「ほんとうに……?」
「おれがお前に嘘を言うかよ。冗談でこんなこと言わない」
瞬きしたら、ひとつ涙が流れていくのがわかった。それをアルバくんの指が拭ってくれた。
「お前も知ってると思うけど、あやかしは人間と同じ時間を生きることができない。寿命の長さが違うからな。けど、それでもお前がおれと一緒にいることを望むなら――、」
大きな手のひらがわたしの顔に触れ、夜空みたいな藍の瞳をまっすぐに向けて、言った。
「おれは
今度こそ涙が決壊した。
触れてきた指先からぬくもりが伝わってくる。
わたしが涙をこぼすたびに、アルバくんは丁寧にぬぐってくれた。嗚咽をもらすばかりで返事のひとつをしなくても、この時ばかりは不機嫌な声を出さずにずっと待っていてくれた。
「……わたしも……っ、わたしも、アルバくんが、好きだよ」
歪んだ世界の中、わたしは手探りでアルバくんをつかむ。
すべすべした手触りのいい布。たぶん、いつも袖を通しているアルバくんの着物だ。
「ずっと、そばにいて欲しいの。今のままじゃなくて、元気な姿でいて欲しい。わたし、がんばるから。ピアノの練習も、アルバくんが邪気をためこまないでいいようにいい夢も見て、がんばるから……っ」
まさか、アルバくんも同じ気持ちでいただなんて思わなかった。
だからこそ、不安になる。
このままだと、邪気の
もしも、彼を失うようなことがあれば、耐えられない。
「お前はもう十分頑張ってるだろ」
なぜか、額にこつんと小突かれてしまった。
こっちは必死なのに。どうしていつもアルバくんは楽天的なのだろう。
「だって、このままじゃアルバくんの身体が……っ」
「すぐどうにかなっちまうってわけじゃないんだ。
「そうかも、しれないけどっ」
淡い光の中、アルバくんの笑った顔がとけて、すっと真顔になる。
どきりとして、思わず彼の服をつかんでいた手に力を込めれば、暖色の光に照らされた白い着物が目の前に迫ってきた。
おでこになにかやわらかいものが触れると同時に、ちゅ、と小さな音が聞こえる。
その正体に気付いた途端、顔がかあっと熱くなっていった。
「あ、ああああ、ある、ある、アルバくんっ。いいいい、今、今……っ」
「ん? 嫌だったのか?」
「いや、じゃない、けど……っ」
「不安や心配事が吹っ飛んだだろ」
「……う、うう。うん」
悔しいけどその通りだ。なにもかもぜんぶ頭の中からとんでいってしまった。
胸の奥でずっと、とくんとくんと心臓がうるさく鳴っている。心のどこかで喜んでいる自分がいる。
だって、今この瞬間。熱を帯びた彼の瞳が見つめているのは、わたしだけなんだもの。
「おれはもう一人じゃないし、
「……うん」
アルバくんはどこまで気付いているのだろう。
さっきの
きっと、わたしが自分から話すのを待っているんだわ。
突然不機嫌になる時もあるし、ちょっと意地悪な時もある。けれど、わたしが動けるようになるまで待ってくれるのは、優しさの表れだ。
九尾さんだとこうはいかない。お母さんだって、ここまで細やかなことにはまず気付かなかった。
アルバくんは今までに見たことないくらい、とても優しいあやかしだと思う。
「アルバくん、わたしだけの恋人になってくれる?」
さっきの「好き」という言葉を確かめるために、口から出た言葉だった。
すると、アルバくんは目を丸くして「はあ!?」と声をあげたのだ。
「
「うん、聞いてた。けど、お付き合いするってことで、いいのかなと思って……」
「当たり前だろ。おれの一世一代の覚悟をなんだと思ってんだよ」
一世一代だったんだ。もしかして、アルバくんが告白した相手はわたしが初めてだったりするのかな。
「……ふふっ、よかった。すごくうれしい」
不思議。あんなに凍りそうだった心が、今じゃ浮き上がりそうなくらいに軽くてぽかぽかとあたたかくなってる。
アルバくんといるといつもそうだ。
どんなにつらくて苦しくても、沈んだ心をすくい上げてくれるの。
「さ、行こうぜ。帰って
「うん、いいね。
身体を離したあと、やさしく手を握ってくれて嬉しかった。指を絡めて手をつなぐ。それだけで浮き足立つような気持ちになる。
はやる心をおさえつつ、空いた手でわたしはアルバくんの着物にもう一度触れた。
くいっと引っ張って、それでも届かないからつま先立ちになって。もどかしくなって、つないでいた手をはなす。最後に、アルバくんの太い首に自分の腕をまわした。
初めてのキスはやわらかくて、甘かった。一気に顔が熱くなる。熱中症で倒れた時以上に、たぶん今のわたしは顔が赤くなっていると思う。
平常心でいられなくなったのはアルバくんも同じだったみたい。
ふいに、淡いオレンジ色の光が遠ざかっていく。提灯が彼の手から離れてしまったんだわ。
「……び、びっくりするだろっ」
足もとにはほのかな光を照らし、再び闇に覆われたアルバくんの顔はよく見えなかった。
けど、彼のうわずった声だけで、アルバくんがどういう顔をしているのかわかる気がした。
照れ隠しだ。
「さっきのお礼。アルバくんの気持ちが聞けて、ほんとうに嬉しかったの。ありがとう」
恥ずかしいのはわたしも同じだけど、後悔はしていない。
告白するのは勇気が必要で、しかも彼はあやかしでわたしは普通の人間だ。色んなしがらみがあるはずなのに、アルバくんはためらわずに気持ちを伝えてくれた。
それなら、わたしもずっと彼と一緒にいるためにがんばらなくちゃ。
アルバくんの身の内にたまる邪気とか、
考えることはいっぱいあるし、不安がないと言えば嘘になる。
けれど、アルバくんと二人なら、どんなことだって乗り越えられそうな気がしてきた。
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