[3-5 reverse side]夢喰いあやかしは全力で約束を守ろうと奮闘する(前編)

 身体が灼けるように熱い。風が運んでくる焦げた匂いに、気持ちだけが焦っていた。

 一太刀浴びてみて分かる。

 相手の力量が上なのもほぼ確実。何もかも絶望的で、もう笑うしかない。


「妖力って、どういうこと?」


 まったく。逃げろって言ってんのに、ひとの言うことを聞きやしない。

 目の前にいる紫苑しおんは薄紫色の瞳を大きく揺らすだけで、動く気配がなかった。


 この国に住む人間達はどいつも雪火せっかのように黒髪に黒い瞳をもっている。ごくまれに染色によって髪の色を変えているやつもいるけど。

 

 顔を上げて退魔師を睨みつける。


 金属みたいな銀色の髪に黒い瞳の男。だが、その瞳もいつわりのモノだろう。なぜならわずかに目の縁が赤く発光している。

 手がかりが妖刀ひとつじゃ、どのあやかしとの子供なのか判断はつかない。


「……おれの、この刀は自分の妖力をって作り上げた代物だ。つまり、あやかしにしか顕現させることができねえんだよ。この妖刀を出せたってこと自体が、あやかしの力を持っているという紛れもない証拠なんだ」


 そばで紫苑しおんが息を呑むのが分かった。

 力が流れ出ていくのが嫌でも分かる。涙に濡れた薄い色の瞳を向けてくるたびに、胸がきしむように痛んだ。


 せめて、九尾きゅうびの野郎さえ来てくれれば。


 助けを借りるのは癪だけど、手段を選べるほど余裕のある状況でもない。

 九尾の狐はばくのおれなんかより、妖力も経験も格上だ。あいつの妖力を喰わせてもらえれば、失った分は補える。


三重野みえのも……半妖、だと……?」


 ぽつりと退魔師がつぶやいた。

 草を踏み分けて、そろりそろりと近づいてくる。ニセモノの黒い瞳を見開いて、愕然としている。

 その動作にはもう獣のような激しさは失われていた。


 なんだ、わかっていて近づいたわけじゃなかったのか。


 おれの身体を支えようとする紫苑しおんの指先が震えた。

 背中が焼けるように痛いけど仕方ねえ。身体の向きを変えて、庇ってやらなくては。


 そう思っていたのに、不意に紫苑しおんたぬきのちびをおれに押しつけ、立ち上がった。


 細い両腕をいっぱいに広げ、紫苑しおんは退魔師を前に、壁のように立ちはだかる。

 なんと脆い壁だろうか。


 怖くて怖くてたまらないくせに。

 だからさっさと逃げていればよかったんだ。

 なのに、なんでだろ。いつのなく気丈に立ち上がった紫苑しおんが頼もしく思えた。


雨潮うしおくん、アルバくんもたぬきの子ももう傷つけるのはやめて」


 足もとを見ると、紫苑しおんの膝は震えていた。やっぱり怖いんだ。

 だが、こいつは一歩も退く様子を見せずに、退魔師をまっすぐに見返したままだ。


「アルバくんが言ったとおり、わたしのお母さんは鎌鼬かまいたちよ。ピアノを弾くと、わたしはあやかしたちを癒やすことができるの。この力でわたしはアルバくんやたぬきの子を治したいの。だからお願い。今日はもう帰って」


 言葉だけで相手が退くとは思えなかった。話が通じる相手なら、初めから攻撃されることもないしたぬきのちびだって連れ去られることはなかっただろう。

 だが、意外にも退魔師は動きを止めて紫苑しおんに問いかけてきた。


三重野みえの、解っているのか。そいつらはあやかしだぞ。化け物なんだ」

「わかってる。わたしだって、あやかしのことを初めから好意的に見てきたわけじゃないもの。こわいと思った時は何度もある。だけど、今のわたしはこの子たちの味方でありたいと思っているの」

「なんで、そこまでしてこいつらを庇う必要がある!?」


 細い肩がびくっと震えた。


 そろそろまずい。なんとかしなくては。

 守られっぱなしでいるのは性に合わない。それに紫苑しおんとは約束をしている。絶対に何があっても守ると――。


 無理やりに身体を動かすと節々が痛んだ。

 腕の中のタヌキを落とさねえように気をつけながら立ち上がる。

 『兄ちゃん……』と声をかけられた気がした。悪いが今は返事をしてやる余力がない。


 豆狸まめだぬきなんか人間にとって特に害となるあやかしじゃない。九尾のように人間が恐れを抱くような力を持ってもいない。ましてや、まだこいつは子どもだ。退魔師たちにとってみれば下級以下のレベルの低い妖怪だろ。

 なのに、この男はそんな小さなあやかしさえも目の敵にして、根絶やしを誓っている。

 どんな事情があるのかもわからない。だが、こいつがあやかしすべてに対して恨みを持っていることは理解できた。

 邪気による身体の浸食を加速させるほどの怨念を、自分の妖力に混ぜ込んでいるんだ。嫌でも分かる。


「……アルバくん!」


 立ち上がったおれを見て、紫苑しおんが悲鳴に近い声をあげた。一瞬だけ目眩がした気がするけど気のせいだろ。

 紫苑しおんの肩を抱いて退魔師を睨みつける。


 先に相手が動き始めた。


三重野みえの、お前だって少なからずあやかしどもに傷つけられたことがあるはずだ。人ならざるものが人間の縄張りテリトリーに入っていいはずがない! 何か起こる前に、この俺が――」


 まるで仇敵を見るような目で睨み、退魔師は炎をまとった鈍い光を反射する刃を振り上げる。

 炎は退魔師たちが使う呪力ってやつからきてるんだろうか。よくわからない。

 だが、何が起ころうとも、おれは紫苑しおんを守ってみせる。あの時――、


 ――いつまでも一緒にいて。わたしがそうして欲しいの。


 一介のあやかしにすぎないこのおれにそう言ってくれた、こいつの思いに応えるためにも。おれは――。


「そんなこと、この私がさせやしないよ」


 りん、と鈴の音が鳴った。


 いつになく声が低いのは気のせいか。やたらでかい真っ白なかたまりが退魔師に体当たりをかますのが、かろうじて見えた。


 大きさは熊ほどの巨体。

 先っぽがきんいろにグラデーションがかった九本の尻尾が不規則に揺れるさまはなんとも不気味だった。

 橙色に染まりゆく逢魔が時。きんいろの鋭い目を爛々と光らせて、その獣は牙がのぞく大きな口を開け、退魔師に覆い被さっていた。


 ふいに尻尾の動きが止まり、先端が退魔師へと狙いを定める。その瞬間。


 なんと、尾の先端が二つにぱかりと割れた。


 それはたとえるなら、大口を開けたワニのようだった。あくまでたとえるなら、の話だが。

 鋭い牙がびっしりと並んだ口の中から、だらんと長い舌が垂れ下がっている。その舌や牙の間から大量の唾液がぼたぼたと滴り、足もとの芝生をじゅうと焼いた。って、怖っ!


「し、尻尾から、口が。牙が……っ」


 紫苑しおんの身体の震えが加速する。

 しまった、と思った時にはすでに遅く、意識を飛ばしたあとだった。慌てて抱きとめたから全体重が片腕にかかる。

 豆狸まめだぬき豆狸まめだぬきで片手で抱えるにしたら意外と重みがあるってのに。冗談じゃない。


「……ぐっ」


 背中は焼けるように熱いし、ナイフで裂かれたような痛みが走る。いや、実際斬られてんだけど。

 まずい、足まで震えてきた。とてもじゃねえけど立っていられねえ。

 視界まで霞んできやがった。


 ふと顔を上げると、退魔師に覆い被さる巨大な狐っぽいなにか。口を開いた九本の尾はそれぞれが獲物に狙いを定めている。

 それを見たとたん、胃がむかむかしてきた。


 たしかに助けに来てくれると信じてはいた。おれも九尾をアテにしていたのは事実だ。

 なのに、お前は何しに来やがったんだ。ああ!?


 震えているのは怒りのせいだ。

 おれはそのありったけの感情を、馬鹿でかい狐にぶつけた。


「馬鹿野郎、九尾! やりすぎだ!! 少しは状況を考えやがれぇぇぇぇ!」

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