[2-5 reverse side]夢喰いあやかしは学校に忍び込む

 なにもかも気に入らなかった。

 人間の世話になるのも、普通の夢ひとつさえ弱い自分自身にさえも。




 * * *




 頭の上で、灰色に染まった三角耳が動いている。

 時たま揺れる長い尻尾はふさふさとした長い毛で覆われていて、やっぱり先端だけ灰色に染まっていた。


「……今回は、か。あいつらしい」


 玄関前に置いてある大きな鏡で、おれは改めて自分の姿を見る。

 翼はない。契約を果たした今、夢の中を渡るおれの翼は紫苑しおんの身体の中で眠っている。


 おれたちばくは決まったかたちを持たない。実体がないわけではなく、どういう姿を取るかは人間がおれを初めに見た印象で決まってくる。

 ということは、あいつが初めておれを見つけた時、猫だと思い込んだのだ。白い猫が行き倒れている、と。

 だから今回、おれは猫の姿を取る羽目になった。

 こんなんじゃ威厳もなにもあったものじゃない。ただ可愛いだけじゃねえか。


「まあ。今はこれで我慢してやるけどさ」


 雪火せっかとかいう人間のおかげで怪我は治ったし、あとは妖力を回復させるだけでいい。

 紫苑しおんの悪夢を食べ続けていればじきに全快するだろう。だから、あまり焦りは感じていない。


 玄関の扉を開けて外に出た。


 真上の太陽がガンガンに地面を照りつけている。

 風ひとつありやしない。夏も終わろうっていうのにまだ蝉が鳴いてやがる。めちゃくちゃ暑かった。


 たぶん、紫苑しおんの言う通りおれは家にいた方がいいのだろう。

 おれを仕留め損なった退があのままこの町にとどまっているということは、次の機会をうかがっているということだ。

 九尾きゅうびの結界に覆われたこの家で匿われていれば、少なくともしばらくは安全に過ごせる。


 けど、隠れたままだっていうのが気に入らない。

 九尾の野郎に守られるのも、守られてばかりでいるおれ自身にも、なにもかも気に入らない。


 初めて紫苑しおんの悪夢を食べたあの日から、あいつは前よりもあやかしが多少は平気になった。だが、それはあくまでも多少は、だ。

 紫苑しおんは今もあやかしを怖がっている。

 身体の傷は癒えても心の傷はそう簡単に癒えたりはしない。身近な存在だったあやかしに傷つけられた記憶は膿んだ傷となってまだあいつを苦しめ続けている。

 そんなあいつの目の前に退魔師が現れたりしたら――、無事で済むはずがない。肝心な時に紫苑しおんのそばにいなくちゃ、誰があいつを守るっていうんだ。


 それにあの九尾の野郎が大人しく雪火せっかの家で大人しく留守番なんてするわけがない。

 賭けてもいい。十中八九、九尾は金魚のフンみてえに雪火せっかにくっついて学校に行っているに決まっている。


 田んぼの畦道あぜみちを歩いていると道路に出た。コンクリートがむき出しのでっかい道路。鉄のかたまり――人間達で言う車や軽トラ――が一定の間隔をあけて走っている。

 それらを眺めつつ、おれは身体に力を入れて高く跳躍し、適当に軽トラの荷台に飛び乗った。

 人間がつくった乗り物は面白い。遠くに移動するのに便利な代物だ。

 おれの翼は夢の中でしか役に立たねえし、せいぜい利用させてもらおう。


 土地勘はねえし、紫苑しおん雪火せっかが通っている学校っていうのがどこにあるのかはわからない。

 けど、紫苑しおんに取り憑いている以上、あいつの匂いはたどれる。

 たぶん九尾の野郎とも合流できるだろ。もし紫苑しおんが危ない目に遭っていたら、九尾の力も借りられそうだ。また借りを作るのはしゃくだけど、仕方ない。



――アルバくん。



 初めてそう呼ばれた時は正直何が起こったのか分からなくて、現実を飲み込むのに少し時間がかかった。


「どうせ、人間のそばには長くいられない。あいつはあやかしのおれに名前をつけてどうするつもりなんだか」


 人間みたいな名前を与えて。さらに今日は人間みたいに二人で食事する約束までしている。

 一体、紫苑しおんは何のためにあやかしであるおれと距離を詰めようとするのだろう。

 悪くはない、とは思うが――。


 どっちにしろ、憑いた以上は怖い思い出も痛みもぜんぶ抱えてやるつもりだ。

 いつか一人で立ち上がれるようになるまで。


 ふいに、今朝の見た九尾の野郎が頭に浮かんだ。

 大量のいなり寿司をたらふく食って幸せそうに眠る巨大キツネ。なんだって、紫苑しおんの夢にあいつが出てくるんだか。

 ああ、だんだん腹がむかむかしてきたぞ。

 九尾の野郎がどういうつもりなのか知らねえけど、紫苑しおんは渡さない。絶対に渡すもんか。


「あいつはおれのものだ」




 * * *




 紫苑しおんの姿を見つけるのに、そう時間はかからなかった。


 真っ白に塗られたやたらでかい建物の間を縫うようにできたつくりものの道。人間が土を固め石を敷き詰めて作ったその道沿いで、一人ベンチに座った薄紫色のリボンで彩られた栗色の頭が見えた。

 そうっと後ろから近づいていく。

 朝早く起きて作った弁当は空っぽだった。膝に置いたまま箸をしまわずに、紫苑しおんはどういうわけかうなだれているようだった。


 朝はあんなにやたら元気だったくせに、おれが目を離すとすぐこれだ。

 だからこいつは放っておけない。


「おい、紫苑しおん。なにぼーっとしてんだ」


 ベンチの背もたれに寄りかかって耳元にささやいてやる。

 予想に違わず、紫苑は文字通り飛び上がった。


「あ、あ、あ、あ、アルバくん! なんでここにいるのー!?」


 紫苑しおんは思っていることがすぐ顔に出る。

 さっきまで憂鬱そうだったくせに、今は顔を真っ赤にして驚いている。面白い顔だな。


「そんな大声出していいのかよ。今は一般人に見えてねえからいいけど、おれの存在が周りに知られたらまずいんじゃねえの?」

「まずいのはアルバくんでしょ!?」

「だから声でかいって。今のお前、一人で百面相しながら喋っている変なやつになってんぞ」


 固まるどころかあたふたと腕をせわしなく動かして、完全にパニクっている。

 見てるぶんには面白いけど、ちゃんとなだめねえとな。騒ぎを聞きつけて、雪火せっかや九尾が来たらつまんねえし。


「どうして来たりしたの。危ないからお家にいてって言ったじゃない。というか、よくここがわかったね?」

「匂いをたどれば、そんなのすぐにわかる」

「に、においって……」


 神妙な顔をして黙り込んでしまった。

 もしかして、今の言葉は人間にとって不可解なことだったんだろうか。


 まあ、いいや。あれこれ考えたって、どうせおれには人間のことはあまりわからない。


 軽くジャンプしてベンチの背もたれを飛び越え、おれは紫苑しおんの隣にちゃっかり座ってみた。

 紫苑しおんはもう何も言わなかった。ただ細い眉を八の字にして心配そうにおれのことを見ている。


「アルバくん、どうして出てきたりしたの。もしかすると学校に退魔師がいるかもしれないんだよ?」


 やけに神妙な顔をしてると思ったら、人のことばっかり心配しやがって。退魔師にでも会ったのか。いや、確信を持ったというより、見当でもつけたんだろうか。

 たしかにあいつ、紫苑しおんとそんな年が変わらねえくらいの子どもだったもんな。

 やたら強かったけど。


紫苑しおんのことが心配だったからに決まってんだろ」


 ここは素直にちゃんと言っておく。

 こいつってやたら鈍そうだから、ストレートに言わねえと伝わらない気がする。


「わたしのことが心配? でも――」

「お前はここにずっといるからわかんねえだろうけど、この町は普通じゃない」


 余計なことを言う前に、紫苑しおんの言葉を遮ってやった。

 突然話題を切り替えたせいか、不思議そうに紫苑しおんの大きな瞳が何度か瞬く。


「山と海に囲まれた、一見どこにでもあるような自然豊かなところだけどさ。山の奥深くは妖力で満ちている。特に雪火せっかの家のあたりには人間の目には見えないひずみがあるんだぜ」

「ひずみ?」

「人間で言うあの世とこの世の狭間っていう感じ。かくりよとも言うっけ。小さなひずみから人ならざるものが出てくるんだよ。だから、この町はあやかしが多いのかもな」

「そうなんだ。やっぱり、ここってあやかしが多い町なんだ」


 妙に納得して、紫苑しおんは空の弁当箱を仕舞い始めた。チャックのついた保冷袋の中に入れてそれを膝の上に置き、ひと息つく。

 一連の動作を見送ってから、おれは再び口を開く。


「それにあやかしが平気になったわけじゃないだろ。心の傷トラウマなんてそう簡単に消えるわけがない。あやかしも、あやかしが関係することに巻き込まれるのも、紫苑しおんにはまだきついだろ」


 紫苑しおんは薄紫色の大きな両目を瞬かせる。このへんに住む人間の目はたいてい黒か焦茶だ。こいつの瞳があり得ない色なのは、片親があやかしのせいなのかもしれない。

 その生い立ちひとつだって、こいつの傷になるかもしれねえってのに。


 そんなおれの思いを知らずか、紫苑しおんはぽつりとつぶやいた。


「アルバくんって、ほんと時々人間みたいなこと言うよね」

「は!?」

「やっぱり、わたしたち人間の夢に入り込むせいなのかな。なんか不思議。でもありがとう。心配してくれたんだよね」


 聞き捨てならねえことを言われたのに。不覚にも、おれは訂正する機会を逸してしまった。


 沈んでいた瞳には輝きが戻っていた。

 花が咲いたように紫苑しおんが笑った。まぶしく見えるのはなんでだろう。真昼の太陽のせいだ。きっとそうだ。

 まったく、いつまで夏気取りなんだか。


 紫苑しおんはおれのものだ。おれが契約を交わし、取り憑いた人間あいてだ。

 誰にも渡さない。

 こいつが強くなって、いつかおれがいなくても一人で立てるようになるその日まで。

 おれが守ってやる。たとえ、九尾の野郎や退魔師が相手だとしても、必ず――。

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