第139話 ロックンロール

ポーハタン号に乗船拒否された吉田松陰は、野山嶽に幽囚された。


「僕は、知らない世界を見たかったんだ」


「私の天命は、松陰先生のお船であったようですわ」


高須久子は、明治になって野山獄が廃止されるまで自由になる事はなかった。

しかし、彼女は、ホトトギスの聲を聞いたのだ。

彼女の袖へおめく聲を。




★☆★


何故これが〖ロックンロール〗かと申しますと、


先ず、ロックンロールの語源については、古くからアメリカ英語の黒人スラングで「性交」及び「交合」の意味もあるそうです。


そして、

(ロックンロールといえば、エルヴィス。エルヴィスといえば『監獄ロック』だね)

と、思ったのです。


でもって、『監獄ロック』の和訳を読んでたら、3番(?)の歌詞が、囚人番号47番が3番に対して「あんたみたいな可愛い囚人を見た事ない」って、まぁ、口説くような歌詞だったんです。

それを読んだ私の脳味噌は、野山嶽の囚人であった吉田松陰と高須久子に飛んだわけであります。


二人が、そうであったかなかったか。

そんな事は知りませんが、もし、そうであったなら………

「リアル監獄ローー(゚∀゚)ーック!!」

と、思ったわけであります。


そんなわけで、そう、私が思ったんだから、しかたない。f(・_・;)



ちなみに、


吉田松陰が1回目の野山嶽から出獄する時に、久子が松陰に送った句

しぎ立ってあと淋しさの夜明けかな】

* 松陰のあざな子義しぎ


2回目の野山嶽から江戸送りになる時の別れの句

久子【手のとはぬ雲におうちの咲く日かな】

松陰【一声をいかで忘れんほととぎす】

* 樗=栴檀せんだん 

(栴檀は双葉より芳しという事で、松陰とかけてあるのかなと…自信はない)


久子作とされる茶碗に刻まれた句

【木のめつむ そてニをちくる一聲ニ よをうち山の ほととぎすかも】

<木の芽摘む 袖に落ちくる一聲に 世を宇治山の ほとときすかも>

この句の"ほととぎす"が、↑の松陰の"ほととぎす"を受けているのではないか、と考えられているそうです。


私解釈は…割愛。


最後になりますが、吉田松陰先生を敬愛されている方々には、お詫び申し上げます。

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