「え?S1グランプリ?」


 久々に美味いコーヒーが飲みたいなんて言う鉄を連れ、俺と美音と充はいつもの親父の飲み仲間のマスターがいる喫茶店に入った。密談や【捜し屋】のヤバいほうの仕事の話をする時はこの喫茶店はすこぶる勝手がいい。マスターはこちらに全く干渉してこない。


「左様。インターネット上の投票になり、あくまでも非公認のものらしいが」

「そのグランプリに、【NACK】は出るっていうの?」

「あくまで口コミによるもので、出る出ないは関係ないらしい。うちの鯵川は並々ならぬやる気を出している」


 鉄はせっかくの美味いコーヒーに角砂糖を4つも入れて音を立てながらカフェスプーンでそれを掻き回す。チャリチャリという音に混ざる角砂糖が崩れていく音。


「俺んとこはあんまり、賞レースには興味ないんだけど、それって凄いの?」

「グランプリには賞状が贈られ、何より抜群の人気店の称号がつく」

「待ってくれ。仁」

「どうしたんだ、ぽてちゃん」


 髭面の鉄が真顔で【ぽてちゃん】と充を呼ぶ様子はじわじわと俺に笑いのボディブローを喰らわせる。


「そもそも、なんで君があの鯵川のところで働くことになったんだ?全く似合ってないぞ。君とクレープ屋さんは」

「話せば長くなるんだが、よいか?」



 鉄の話を要約するとこうだ。いかんせん鉄は時代錯誤なところがあり、言い回しがやたらと堅苦しいが、そこは現代風にアレンジさせて戴く。

 武者修行の全国行脚を終え、数年ぶりに音路町に帰ってきた武道家の鉄仁は、あまり変わらない音路町の様子に感動しながらふらふらと街を歩く。とりあえず、3日も何も食べていないのはしんどい。

 すると、路地裏でガラの悪い男に絡まれている小柄な顔がよさそうな男を見かけた。ふらりとそちらに鉄は向かう。


「おい、如何された?」

「あっ……」

「なんだ手前ェ、コイツの知り合いか?なんかコ汚ぇ奴だな」

「訳を聞かせてくれないか?」

「こ、この人が、おれが彼女に色目を使ったって」

「そうじゃねぇのか?ンじゃなきゃ彼女がオレにお前ェの話なんかしねぇよ!」

「痴話げんかか?」

「ッせぇなゴラ、お前ェは引っ込んでろ!」

「明らかに分が悪い。我が相手になってやるぞ」


 ガラの悪い男は鉄に掴み掛かったが、鉄は腕の関節をあっという間に極める。


「いててててて!」

「彼にも言い分があるだろう。聞いてみたらどうなんだ?」


 何だかんだで和解したらしい。早とちりだった事に気付いたガラの悪い男は一言悪かったなと謝って去って行った。


「ねぇ、キミさ」

「我か?」

「そう。見たところ、お腹空いてそうだね。うちの店、すぐそこにあるんだけど、来ない?」

「我は金を持っていない」

「いいって、助けて貰った御礼だよ」


 男は鯵川と言った。黄色のキッチンカーに入り、パラソルの立った席に鉄を座らせ、一杯のコーヒーを出した。そしてキッチンカーの中で何かを作っている。


「何の店なんだ?」

「クレープだよ。おれ、色んなとこで色んなクレープ食べ歩いて、店を出したかったんだよね」

「ほぉ、我には馴染みのないものだ」

「何してる人なの?」

「我は武道家だ」

「じゃ、強いんだ。はい、とりあえずお腹にたまりそうなもちチーズクレープ」


 鉄はチーズの香りがする暖かいクレープに齧り付く。3日も何も食べていない鉄の体にこの絶品クレープはまさに雷のような衝撃を与えた。


「なっ、なんて美味いんだ!」

「そんな喜んで貰って嬉しいよ」

「あっ、厚かましいとは思うが、もう1枚戴けないか?」

「いいよ、甘い奴だね。イチゴホイップでいい?」


 鉄はもちチーズとイチゴホイップのクレープをあっさり片付けると、深々と鯵川に頭を下げた。


「この恩は一生忘れぬ」

「いや、キミ、働いてみない?」

「何と?」

「さっきみたいな奴、意外にけっこういるんだ。だからキミみたいな強そうな人、欲しかったんだよ。どうかな?うちで働かない?」



 鯵川との出会いはこういうものだったらしい。美音はぽかんと口を開けて興味深げに聞いていた。


「なるほどね、それで、話は戻るんだけど、そのS1グランプリがどうしたんだ?」

「お、その話か」


 むしろその話をしに来たんだろうという言葉を飲み込む。


「この街はスイーツ激戦区らしい」

「まぁな。それは聞いてる」

「我はスイーツには疎い。しかも鯵川はこの街に来て間もなく、あまりこの街のスイーツ事情には詳しくないのだ」

「なるほど」

「この街に来たのも、どうやら其方の噂を聞いてからだそうだ。昔ながらの今川焼き1本で、やたら人気を博していると」


 面映ゆい気分を隠し、そりゃどうもと返す。


「だから、この街のスイーツ事情に詳しい其方に、色々御教授を賜りたく馳せ参じた訳だ」

「待ってくれよ、俺はここのスイーツ事情にはあんまり詳しくないんだ」

「なら、誰か詳しい人は……」


 充はぽんと手を叩いた。


「アマさん、うってつけの人がいるじゃないですか?」


 俺にもぱっと、一人の姿が浮かんだ。姿というよりも、ウサギのナップザックが。


 

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