本気を出す隙のない俺の日常

橘つかさ

第1話 廃線トンネルにて

「死ぬっ! 死ぬっ! 絶対死ぬっ!」


 廃線となって、手入れも行き届いていない電車のトンネルに、神咲学園の学生服姿の少年――鬼灯ほおずき翔太しょうたの声が虚しく木霊する。

 常夜灯の電球が切れているのか、そもそも電力供給が止まっているのか、深夜を過ぎたトンネル内は闇が満ちていた。

 暗いトンネルを走る翔太は、中肉中背で、外見上に目立った特徴はない。

 あえて言うのならば、十六歳になったばかりというのに、普段からやる気と覇気が感じられない。よく言えば、妙に達観した空気を漂わせている。

 そんな彼は必死の形相で、トンネルを走っていた。

 手足を懸命に動かして走るので、ヘルメットに付けたライトの光が不規則に揺れ、トンネルの闇を跳ね回る。

 常人ならば、すぐに足を取られそうな――錆びたレールや朽ちた枕木以外にも落石や雑草が敷き詰められたような――足場を翔太が、転ばずに走り続けられているのは、足腰の強さやバランス感覚、運だけでは説明がつかない。

 普通に考えて、頼りないライトの明かりだけで、足元を把握することは不可能だからだ。


「……さすがだね、翔太。普通なら、こんな暗闇で、足場が最悪なトンネルで全力疾走なんて出来ないよ」


 澄んだ少女の声がトンネルに響く。

 翔太は、制服のシャツの肩口で、頬を流れる汗を拭いながら、横目で声の主を確認する。意識しないとは気づけないほど、静かに滑るように走る少女の姿があった。


「うっせ! 梓は、目が悪いのか? こんな悪路を、誰が好きこのんで、走るかって、いうんだよ!」

「おぉ、元気いっぱい。これなら暫くは大丈夫」


 パチパチと機械的な拍手をする少女――神代かみしろあずさ

 ライトの明かりで、暗闇にボンヤリと照らし出される姿は、翔太と同じ神咲学園のブレザーに身を包んでいた。

 切れ目の双眸に、スッキリとした鼻筋。白い肌が映える、癖のない腰まで伸びた黒髪。小顔とすらりと伸びる四肢は、モデルでもやっているのかと思わせる。

 十人中八人は、美少女と答えそうな容姿をしている。

 マイナス点は、感情に乏しく、付き合いが短いと何を考えているかわからないというところだろうか。

 梓は、スッと目を細め、翔太の様子を伺う様な気配を見せる。


「翔太、超能力は使いすぎてない?」

「周囲一メートル未満、の空間を、認識するなんざ、超能力を使ったうちに、入らねーよ」


 超能力――常人が持っていない超常の力が、明かりの乏しい暗いトンネルを、翔太が全力疾走できる理由だった。

 翔太の脳内には、言葉の通り、自分を中心とした半径一メートルの空間が詳細に描き出されている。

 レールや枕木だけでなく、 雑草で覆い隠された視界情報でバラスト――線路に敷かれた砂利の一つ一つまで、把握している。

 認識した空間全ての情報に意識を向けるわけにはいかないため、翔太は膨大な情報を取捨選択し、全力で走れるルートを瞬時に導き出すという離れ業を、全力疾走の片手間で行なっている。稀有な才能であるが、そのことを称賛する者はいない。


「梓は、なんで、そんなに、余裕なんだ、よ!」

「ほら、私は魔術師だし、空間認識魔術と飛翔魔術を組み合わせれば、光源なくてもえるし、足場は確保できるから」


 梓は、そう言いながら、自分の足元を指差す。

 地面から十センチほど上を梓が走っていた。いや、走るというより、スケートの様に宙を滑っていた。同じ魔術師が、梓の姿を確認すれば、不可視の魔法陣が梓の足元に展開されているのが確認できただろう。

 翔太は、必死に走る自分と、余裕綽々の梓を比べ、なんとも言えない悔しさがこみ上げてくる。

 

「くそッ! これだから、魔術師ってヤツはズルいんだ。超能力は一人一種類なのに、魔術は何個も使い分けるだけじゃ飽き足らず、これ見よがしに同時に使いやがって」

「魔術師から言わせてもらえば、なんの準備もなく強力な力を使える超能力ワン・オーダーの方が、ズルい」


 無表情な顔で、頬を膨らませる梓。

 超能力と魔術、表の社会ではオカルトとして、扱われるものだが、裏の世界では『異能力』と一括りに表現され、ヒトの身でありながら、超常現象を引き起こす秘術と定義されている。

 二人は、そんな異能力を持つ生徒を集めた神咲かみさき学園の隠秘科(表向きは特待生)に所属しており、深夜を過ぎた時間帯に、廃線のトンネルを走っているのも、神咲学園の特殊なカリキュラムのためだった。


「それより翔太。追いつかれてない?」

「マジかよ。通販の高評価だった護符だぞ。そんな護符で作った結界が、簡単に破られる、わけないだろ」

「高評価? あの護符はインチキ霊媒師が作ったものだから、効果なんてないよ」

「嘘だろ。阿知無動の直筆なんだぞ、一枚五千円もしたんだぞ」


 懇願する様な翔太の視線に、梓は無表情のまま、左右に首を振る。

 そして、ここまで走って逃げることになった原因、背後から迫ってくるモノを指差す。

 光源がなくても、普通なら何も見えない闇の中を、ヘドロの様な不定形なモノが這いずりながら追ってきていた。

 それは、無数の瞳をギョロギョロと動かし、無数の口からは怨嗟のこもった音が溢れ続ける。一目で生き物ではないとわかり、常人ならば本能的な恐怖で絶叫してしまうだろう。


「キショい! キショい! キショい! なんなんだよ、あれは!」

「オカルトチックに言うなら地縛霊の集合体。私たちの業界的に言うなら『偶発的精神転写体』。たまたま異能力の素養が高いモノが、たまたま地脈などのパワースポットで絶命すると、精神体がパワースポットのミラクルが創り出した器に転写さ――」

「それくらい知ってるわ! 不完全なコピーだから、生前に執着したことや、絶命直前の行動を繰り返したりするんだろ。行動が一定のパターンを繰り返すことが多いんだろ!」

「おお、勉強嫌いの翔太が即答した」

「……バカにしてんのか?」

「素直に驚いてみただけ」


 表情を変えず、淡々と答えた梓に翔太は、疲労感が倍増していくのを感じる。

 翔太は、溢れそうになったため息をグッと堪える。ここで心が折れてしまっては、今までの時間が無駄になってしまう。

 翔太は、気を持ち直し、追跡者の姿を再確認する。

 触手の様なパースの狂った無数の手足を動かし、這いずりながら追ってくる地縛霊。全ての目は血走り、赤い涙を流し、身の毛のよだつ様なうめき声は、翔太の精神に対してダイレクトアタックを繰り返す。

 一刻も視界から消し去りたい、おぞましい姿に翔太の心は一瞬で、砕かれそうになる。


「なんで複数混ざってんだよ! 一体でもいっぱいいっぱいなのに、混ぜるな危険すぎるだろ!」

「……何が?」

「そんな涼しい顔を、なんで出来んだよ! あの姿! あの声! 気持ち悪さ全開だろ! あの呻き声は、精神蝕まれそうだろ!」

「翔太、本気で言ってる?」

「なんだよ、その人を哀れんだ様な顔は!」

「だって、アレは不完全な転写体。生物みたいにカタチがあるわけでもないから、混ざってしまうこともある。そもそも人の常識の範疇に収まる存在じゃない。見た目が人のカタチをしてないのは、おかしいことじゃない。むしろ人の姿を闇の保っている方がレア」

「なんでドヤ顔なんだよ! 親指立てんな! あーもー、だから物理攻撃無効系は嫌いなんだよ!」


 こみ上げてきた向け先のない怒りに、翔太は反射的に頭を掻きむしる。が、かぶったヘルメットに邪魔され、爪がカツカツと情けない音を立てる。

 しかし、翔太の怒りは最もかもしれない。地縛霊に実体はない。そのため、殴ってもダメージはなく、追いかけ回しても体力がなくなるわけでもない。なんの対策をしていない遮蔽物は、透過されるため足止めにも使えない。

 遮蔽物を通過できるのに、なぜ地面に立っていられるのか。

 逃げる速度を落とさずに、翔太は頭の片隅で地縛霊に対する不満を連ねていく。

 そんな彼の心情を察しているのか、先ほどまでの無表情とは打って変わって、梓は優しい笑みで、ポンポンと並走する彼の肩を叩く。

 神咲学園の男子生徒がいたのならば、梓の稀な笑顔に悶絶していたかもしれないが、付き合いの長い翔太は、含みのある梓の笑顔にイラッとする。


「なんだよ! 不自然すぎるんだよ、その笑顔は! 昔はもっと自然に笑ってただろうが!」

「フッフッフッ……」

「あーもー」


 翔太の中で、何かがプチッと音を立てて切れる。


「なんで俺が逃げまわなきゃいけねーんだよ! 軽く撫でてやるだけで終わりの相手によ!」


 一度、大きく息を吸い込むと、翔太は脚に力を込める。ぐん、と翔太の体が前に押し出され、並走していた梓の前に出る。

 数メートル先行したところで、翔太は反転し、把握していた錆びたレールに乗り、滑るようにして止まる。

 スニーカーの靴底から、焦げたゴムの匂いが立ち込める。

 翔太の視界には、暗闇に青白く浮かび上がる地縛霊の姿があった。翔太と地縛霊までの距離は三十メートルに満たない。

 先ほどまでの騒ぎ方が嘘のように、翔太は静かに地縛霊を見据える。

 ゆっくりと息を吐きながら、翔太は意識をカラダの内側へ向ける。

 静かに、慎重に、自分の超能力を抑えているフタを開き、超能力のチカラの溜まり場から、上澄みだけを導くイメージ。

 翔太は心の中で、自分に言い聞かせる。


 慎重に異能力を抽出しろ。

 『アレ』に汚染されている異能力ちからは、俺の異能力ちからであって、俺の異能力ちからじゃない。

 劇薬と同じで、触れただけで無事では済まない。


 嘔吐した時のような感触が、喉の奥からこみ上げてくる。

 本来であれば、意識せずに使えるはずの超能力ちからを、意識し過ぎてカラダが悲鳴をあげる。

 翔太は自分の現状に舌打ちをしそうになる。

 事象に影響を与えない空間の把握程度なら、内側から滲んできたくらいの超能力ちからで済むのに、少しでも影響を与えようとすると途端に制御が難しくなる。

 脂汗を滲ませながら、翔太はカラダの内側から、慎重にわずかな異能力ちからを右手に導く。右手に集まる異能力ちからの確かな感覚。

 翔太は額に脂汗をにじませながら、地縛霊に対して、不敵な笑みを向ける。


「四散しやが――げはっ!」

「翔太、ダメ」


 衝撃が翔太を貫いた。

 地縛霊に突撃しようとした翔太の鳩尾に、梓の右拳が突き刺さっていた。

 予想外のダメージに、翔太は呼吸どころか体を支えることも出来ず、膝から地面に崩れ落ちる。


「な、なに……しや、がる……」

「それは私の台詞。翔太が超能力を使いすぎると後々面倒になる。こんな低級な地縛霊に翔太が超能力を使うのはもったいないの。だから、翔太は一回お休み。もう少し、翔太と並んで走りたかったけど、仕方ない」


 梓は黒髪に隠れていた矢筒から、一本の矢を抜き、どこからか取り出した和弓に滑らかな動きでつがえる。


『――咎人の刃よ』


 梓がトリガーワードを呟く。

 言葉が終わると同時に、魔術師としての証、魔術回路が活性化し、大気中のマナが共鳴する。

 梓が矢に魔力を流すと、すでに組み込まれている魔術式が活性化し、淡い燐光を纏いはじめる。


「あるべきカタチにお還り」


 鈴の音の様な梓の呟き。

 ひゅん、と放たれた矢が空を切り、地縛霊の中心に大きな穴が穿たれていた。

 地縛霊は穴の縁から燐光に変わり、瞬きをする間に消えてしまう。トンネルは何事もなかった様な静寂に包まれる。

 ふぅ、と梓は小さく息をこぼすと、魔術回路が非活性へ移行する。


「よし、駆除完了。実習終了」

「終了、じゃねーよ! あっさり終わらせ過ぎだろ。一瞬過ぎるだろ! あの地縛霊を見たとき、梓は何て言ったか覚えてるか? 『状況を踏まえて、戦略的撤退するべき』って言ったよな?」

「うん、提案した。一目で低級な地縛霊だとわかったから。ぶっちゃけ素手でヨユーで倒せるくらい弱かった。翔太は強さを推定するの苦手だから、私の見立てを絶対信じてくれると信じてた」

「うぉい! 俺に嘘ついたのかよ」

「嘘、ついてないよ。霊障駆除実習でカリキュラムの一環とはいえ、翔太と二人っきりになれる機会は大事。だから、ちょっとお茶目な回答を選んでみただけ。すぐ解決できるから、逆算して、めいいっぱい制限時間を使うことにした。切ない乙女心が原因だから仕方ない」

「めっちゃくちゃ真剣な顔してたじゃねーか。今すぐ逃げなきゃいけない、みたいな感じで」

「私の一言で、翔太の行動が決まる。当然、真剣な顔にもならざるおえない。でも、カリキュラム中に私利私欲を挟むのは良くない、今は反省している」

「……反省している様に見えないんだが」


 梓は明後日の方向を向くと、吹けない口笛を拭いて誤魔化そうとする。

 翔太は額に手をあてながら、ため息をつく。

 霊障駆除実習は、神咲学園の隠秘科で行われる特殊なカリキュラムだ。

 『異能力』協会にきた依頼から危険度の少ない霊障などを選定し、神咲学園へ駆除を委託している。それを生徒が授業の一環で解決するという流れだ。

 成功報酬等々は代行手数料として二割を引いた額が生徒に支払われる。

 協会は依頼を片付けることが出来、神咲学園は生徒に程よい実戦を経験させることが出来、生徒は臨時収入を得ることが出来、で良い関係を築いている。

 少なくとも神咲学園の生徒からは、臨時収入が手に入る授業として人気がある。


「はぁ、もういい。さっさと帰って寝るぞ。明日も朝から授業だし」

「深夜に霊障駆除実習あるのに、翌日の授業が免除にならないには理不尽……」

「一般社会に順応するために、夜間に活動しても明るいうちに活動する癖をつけるため――ッ!」


 不意にノイズが奔る。

 視界でもなく、音でもなく、空間に。

 即座に臨戦態勢に切り替わる翔太と梓。

 先程、地縛霊が消えた辺りに人影があった。

 着物の下に詰襟シャツに袴、短めのマント――大正時代を彷彿させる書生姿の色白の青年が立っていた。


「久しぶりだね、二人とも。五年ぶりくらいかな。大きくなったね」


 柔和な笑みを浮かべる青年は、誰にも好印象を与えるに違いなかった。

 しかし、翔太と梓の表情は強張り、怒りと恐怖が入り混じっていた。


「……タカ、マサ」

「よかった。僕の名前を覚えてくれていたんだね、梓。嬉しいよ」


 大げさに腕を広げ、喜びを表現するタカマサ。

 それに対して梓の表情は険しさを増す。


「なん、で、お前が生きているんだよ。あの時、『アレ』が降りて来たとき、死んだはずだろ」

「お前ってつれない呼び方だね、翔太。僕が死んだことを翔太が確認したのかい? 違うだろ。原形を留めていない肉片と遺留品から僕が死んだと協会が断定しただけでしょう」


 タカマサは口もとを右手で隠しながら、上品に笑う。

 奥歯を噛み締め、自制を保つ翔太と梓。

 二人の様子など気にせず、タカマサは話を続ける。


「そう警戒しないで、二人とも。今日は準備が整ったので挨拶に来ただけなんだ。『アレ』を翔太から返してもらうためのね。『アレ』じゃわからないかな? えーっと、協会はなんと呼称したっけ。『世界の終わりを告げるモノ』、『終焉者』だったかな。僕としては『世界喰い』が一押しかな。『アレ』の性質をよく表してるよね。おっと、残念だよ。そろそろ時間だね。またね、二人とも」


 タカマサが無邪気な笑顔を見せた瞬間、再びノイズが奔る。

 トンネルからタカマサがいた痕跡が一切消え失せていた。


「……翔太」

「帰ってから、考えるぞ……」


 翔太の言葉に梓は小さく頷く。

 しばらくして、二人は力なく帰路についた。

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