慈愛と混沌のスープ
「おいふざけるな誰がこんなことしろって言ったおい」
煙が張れた青空の下、ぐつぐつ煮える大鍋の前、長い列の先頭で、ウォルが愚痴っていた。
目線は手元、抱えてる大きめの木のボウルの中身へ、白い湯気に蒸されてる表情は苦々しかった。
「そんな、私は、良かれと思って」
その正面には老修道女が、ぐつぐつ鍋の向こうでおろおろしていた。
服装から宣教の旅の一団、皺だらけの手でオタマの柄を握る姿に、ウォルはボウルから顔を上げてぎろりと視線を向ける。
「それがこれか? 思って、じゃない。考えろ。どうすんだよこれ、これひょっとして全部か? あったの全部使ったのか?」
「そうですが、あの、そんな、あの、その」
「ウォルさん!」
声と共に飛んできたのはパロスだった。
足早な登場に老修道女も列もみな一歩引いて一礼する中、逆にウォルは前に出る。
「おうちょうどいい、見ろよこれ」
そう言って手のボウルの中身をスプーンですくい、傾けると、七色の液体が滴り落ちた。
「腹ペコだから食べ物が全部燃えてしまいましたどうしましょっていうから、ならあの流動食出せっていったらこれだ」
「……流動食、あの瓶のですか?」
「あぁその瓶のだ。それを全部、水と一緒に放り込んで鍋で煮込んでスープにしやがった。ジャムだぞこれ、それを正気かよ」
「悪気があったわけではないんですパロス様!」
堪らず老修道女、悲痛な声を上げる。
「一人一瓶で配るには量が少なすぎて、だったら一人分は減るけど薄めてみんなでと思ったんです! 以前パロス様のお話でみんなで分け合う食事の話を思い出して、それで」
「だとしても、だ。分けろよ。持ってきた鍋一つだけじゃないだろ? なのにまとめやがって、この臭いでわかるだろ。この、イチゴとレバーと、後なんだ?」
「それは、急いだほうがいいかと思って」
「……大丈夫、ですから」
パロスの優しい言葉と肩に置かれた手に、老修道女が伏せていた顔を上げる。
「あなたのその機転、優しさ、素晴らしいことです。確かにウォルさんのおっしゃる通り料理としては、不格好ですが、ですがこの非常時に精いっぱいできた温かいスープなんです。この温もりは、素晴らしいんです」
ホォ、と感心の息遣い、感涙の老修道女、そこに足を踏み馴らし踏みつぶしたのはウォルだった。
「感情論とか語るのは陪審員相手だけにしろよ。やらかしはやらかし、罪は罪、だったら罰は罰、違うか?」
「ちがいますウォルさん。罪や罰を飛び越えて、許す心が」
「ハッ!」
響き渡る音量でウォルがはき捨てる。
「それで許されるなら、俺の首にこんなもの着けたりしないよなぁ?」
「それは……」
カチリと首輪を掻くウォルにパロスは口ごもる。
その様子、見てていてウォルは何かを思いついたかのようににやりと笑う。
「……なんです?」
「そこまで強気で言うなら、まずは自分からだ」
ウォル、その手のスープを差し出す。
「どうした? 暖かくて優しいくて素晴らしいんだろ? だったら笑顔でグイッとやって見せろよ」
挑発を隠さないウォルの物言いに、集まる視線、立ち上る湯気の向こうでパロスの表情が笑顔で固まり、そして青白くなっていった。
「……おい」
この反応に眉を顰めるウォル、その手のスープへ、パロスは恐る恐る、やや震える手を伸ばしていく。
そして袖から現れた指がボウルに触れる前に騒音が響いた。
「お待たせしました! これより救済を行います! 楽園への入園券をお求めの方はこちらにお並びください!」
「パンゲアです! パンゲア女神教会です! 皆様をお救いするためパンゲア女神教会がやってまいりました!」
「祟りじゃあ! これは祟りじゃあ! 小麦をパンに回してうどんをないがしろにした祟りが起こったんじゃあ!」
「配給に手を付けないでください! 宗教は精神を蝕む麻薬です! 一時の満腹のために魂を汚さないでください!」
「パロス様!」
追い立てられてやって来たピコー、その後を追うように雑多な大群がやってきた。
揃いの服装で固まるのが三つか四つのグループ、年齢層はやや高め、子供の姿は見られなかった。
それぞれ仲間同士というわけではないらしく、小競り合いを起しながら足早に、村の奥へと突き進み、そしてパロスを見つけるとその目を吊り上げた。
「いたぞ聖女だ!」
誰かの叫び声を合図に一斉にパロスへとなだれ込む集団、その前にずらり並んで壁となるは宣教の旅の修道士修道女たちだった。
「パロス様を守れ!」
そして激突、押し合いへし合いが始まった。
「なんだよ、こいつらは」
「異教徒共だよ」
あっけにとられながらも空いてる左手で釘を抜き持つウォルへ、ピコーは苦々しく吐き捨てた。
「東から流れてきた『葉緑寺』にドワーフ発祥の『パンゲア女神教会』いかれたカルトの『大うどん教会』と、最後のは思想集団の『クリムゾンベァ党』までいやがる。忌々しいゴミどもめ」
「ピコーさん! そんな言い方はいけませんとあれほどお教えしたじゃないですか! 彼らはただ通る道が違うだけで志は同じ、人を助けようとの思いは同じです!」
「違いますパロス様。逆らって申し訳ありませんが、こいつらが考えるのは売名です。今回の事件にかこつけて救済することで実績にぢようとしてるのです。しかも我らが行った善行を奪おうという魂胆、見過ごせません」
「そんな考えすぎ、疑いすぎです」
「いたぞこの偽聖女! その血で聖なるうどんで〆てやる!」
物騒な叫び声がパロスの言葉を台無しにしたところで反対側からも騒音、飛び出してきたのはガヴァ―ジュだった。
「パロス様!」
「ガヴァ―ジュさん、今度はどちら様ですか?」
問いかけに応えるようにガチャガチャと現れたのは揃いの鎧の騎士団だった。
板金の装甲に白いマントと頭巾、手にはメイスを持ち、そして首からは二重らせんのペンダントを吊るしていた。
あからさまな重武装、日常生活ではまず見ないような武装集団の出現に、これまで押し合いへし合いしていた有象無象がその手を止めて列に向き直っていた。
そこへ、一際大柄で鎧に細かな細工の施された騎士一人、前に進み出て、メイスを振り上げ、そして振り下ろした。
「滅せよ」
「やめてください!」
ザッ、と踏み出された騎士団の一歩をパロスの声が止める。
「私の目の前で人を傷つけること、許せません!」
騎士団相手に一歩も引かないパロスに、進み出た騎士が出迎え、向かい合う。
「自分は『東部フォーマル騎士団』の団長のレオです。この村での爆発事件の調査と、犯人への天誅を命じられています」
「ゴシック教会のパロス・ベンゲラです。この宣教の旅のまとめ役をやらせていただいております」
「これはパロス様、初期対応を?」
「やらせていただきました。その上で、聞き込みの限りこの爆発は事故の可能性が出てきました。本格的な調査はお願いしますが、天誅は少し待っていただけませんか?」
「それに従うわけにはいきません。爆発の犯人はおらずとも、今目の前に異教徒共が沸いています。駆除しなければ、これはパロス様の命令でも止めるわけには」
「これは命令ではありません。立場や地位などではなく、一人の人としてのお願いです。どうかその物騒なものを納めて、話し合いから始めてください」
「申し訳ありません。我ら騎士団が属するのはフォーマル教会、パロス様の下ではありません。なので命令に従うわけには」
「わかりました。フォーマル教会の担当はサメロさまでしたね。こちらに?」
「ご案内します」
レオがアイコンタクトを飛ばすと騎士の一人がザッと前に進み出て、奥へ、その案内に従いついていくパロスと、その後ろに続くピコー、ガヴァ―ジュ、立ち去る。
残されたのは騎士団とそこに混ざり始める宣教の修道女修道士、身を寄り添いひそひそ話してる村人たちに、連帯取れず引くも進もできない異教徒たち、そしてこれらの話についていけてないウォルだった。
現状維持、硬直状態の中、ウォルは、その手のスープを覗き込み、臭いを嗅いで、息を止め、そして一気に飲み干した。
「まっず」
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