第十六話 前哨――狐面の男(2)
「通りすがりの祭り客だよ。打ち上げ花火を見る絶好の穴場スポットを探してたら偶然こんな妙ちくりんな状況に出くわしちゃっただけのね」
「俺のことは誰から聞いた?」
「さて、誰だったかな。あー、そうそう、確かそこの女の人だった気がする」
そう言って狐面の男が指を差したのは、涅槃の傍らで絶命している浴衣の女だった。
問答は無駄だな、と涅槃は思った。
そもそも涅槃にはそんな戯れ言に取り合う必要性はなく、さっさとそのふざけた安物の狐面ごとその頭を撃ち抜いてしまうという選択肢もあった。この男が何者であろうと誰から涅槃のことを聞いたのであろうと、殺してしまえば何の関係もない。
……が、この狐面の男が纏う、感染者とも反乱分子とも異なる一種異様な空気感。どれだけ冷静に見直してみても変わらず強者の気配は感じないが、しかし異様であることはもはや疑いようがない。
であれば――。
「お前、《絶対零度》が今どこにいるか知らないか?」
狐の面があるせいで表情はわからない。しかし突然の闖入者は、
「《絶対零度》? それって二週間くらい前に死んだっていう感染者のことじゃないの? そうニュースで見たけど。それが今どこにいるかってどういうこと?」
「…………」
表情は、わからない。
そのせいで表情筋や目線からその言動の真偽を推し量ることもできない。
しかし、言動のニュアンスにもイントネーションにも虚飾の色がないのは確かだった。確かではあるが……もしも芝居だとすれば、呼吸をするように嘘を吐く男だ。
(とりあえず捕まえて拷問でもしてみるか? 微塵も俺の趣味じゃあないが……)
涅槃に
何よりあれは、真性のドSでもない限り、一人で行うにはなかな骨の折れる重労働なのだ。
「こっちからも一つ訊いていい?」
「なんだ」
余計な情報は与えまいと言葉少なに徹しているのかと思っていただけに、涅槃は想定外の狐面からの質問を怪訝に思いながらも応じる。
「あんたのことは戦闘狂だって聞いてるけど、なんで感染者を殺して回ってんの? 強いヤツと戦うのが好きだとか? 俺が一番強いんだー、ってヤツ?」
だからそれは誰から聞いたんだ、と涅槃は呆れていると、想定外な第三者の声が割って入ってくる。
「そ、その人! 感染者は殺すのが決まりだって!」
浴衣の少女だった。つい先ほどまではビクビクとまるで蛇に睨まれた蛙状の様相だったにも関わらず、唐突にこの状況に横槍を入れてきた。心なしか、その恐怖心も和らいでいるように見える。
(なんだ? どうして急に気が強くなった?)
正義の味方が乱入してきたといってもその当人の素性が不審だし、状況は何も好転していないはずだが。
「感染者は殺す決まり? 嘘つけ。んなわけあるか。保護法無視して逃げてても原則生け捕りなのを、あんたが勝手に殺し回ってるだけだろ。そう聞いてるぞ」
再三に渡って思う。だからそれは誰から聞いたんだ、と。
感染者を取り巻くこのご時世の裏事情に明るい人間は何も【ICO】関係者だけではないので、必ずしも内通者を疑うには及ばないが……。
あちらは情報を漏らさないくせに、こちらがバカ正直に答える必要はないと涅槃は判断する。
「感染者は社会にとっての害悪だ。害虫は殺すもんだろう?」
口の端を鋭くつり上げ、残忍な笑みを浮かべて。
しかしお面男は、それすらも意に介した様子を見せない。
「そっか。ま、こっちだってそっちの質問にまともに答えてないんだから、素直に答えるはずないよね」
すべて折り込み済みか、と涅槃は胸中で舌を打つ。
いけ好かない。
……が、いけ好かないどころではなかった。
「けどまぁ、裏を返せばそれは本当のことを言ってないっていうことなんだから、今あんたの口から出たその一つだけは事実である可能性から外れたわけだ」
まさか、駆け引き、心理戦においては目の前の男のほうが
こんな脅威も経験値も感じられない、成人しているかどうかも怪しい男が?
強者の気配を欠片も感じられないこんな男が?
やはり、涅槃のことを知っているという事実も含めて、諸々聞き出すため拷問にかけてみるべきか――。
「…………」
そこまで考えて、込み上げてきていた苛立ちを冷静に飲み下す。
そう、この男は
その判断基準は、やはり、強いか、弱いかだ。
強ければ相手にするが、弱ければ他の下部組織に任せる。
涅槃に弱者をいたぶる趣味は、ない。
「……興が削がれたな」
涅槃は銃を下ろした。
「あれ? 撃たないの?」
「どうでもいい。俺の仕事じゃない」
「いや、あんたの仕事でしょ……」
「……お前はそんなに殺されたいのか?」
「殺されたくはないけど」
「どの道、ここで俺がお前たちを見逃したところでそれほどお前たちの運命は変わらん。俺が殺さずとも他の奴らが殺す」
「殺されるまでにここで見聞きしたことを誰かに漏らしちゃうかもよ?」
「誰も信じないし、これくらいの風説は普通に流れてる。陰謀論が好きなヤツはいつでもどこにでもいるからな」
「ごもっとも」
「だが少なくとも、そこのメスガキ」
「っ!」
急に水を向けられて、浴衣の少女がビクリと肩を跳ねさせる。
「お前とはもう一度会うことになるかもな?」
意味深な宣告と、目一杯に酷薄な笑みを作って向ける。
少女の顔が恐怖で染まったことに満足して、涅槃はその場を後にした。
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