近くて遠い④


 同時刻。


 宿を確保した後、シールの提案で王城を目指しつつ都市を見て回ることになった。各々荷物を部屋に置いて受付ロビーで待ち合わせ。


 部屋は一人一室。壁も床もベッドもテーブルもほとんどが鉄か石で出来ていた。そのせいか少しばかり冷たい印象を受ける。ここが鉱山都市であることを考えればそういうものなのかもしれない。


 もともと荷物は一つに纏めてあったこともあり、準備にそれほど時間はかからない。軽く身なりを整え、必要最低限の荷物だけを持って、夕姫はすぐに受付ロビーに降りた。


 広いロビーにはあまり人はいなかった。受付嬢が立っていて目が合うとにっこりと大人なスマイルを向けてくれた。なんとなく恥じ入りながら軽く会釈して、隅にあるソファに腰を下ろして窓の外を見る。


 石造りの街をいろんな人が往来している。武器を背負った狩人、子供と手を繋ぐ親子、出店で客寄せをする店員さん、甲冑を着た女性。


 『アルカディア』とはまた違う様々な人たちの生活が垣間見える。


 宿を見つけるまでに所々で目にした瓦礫の数々。惨劇の傷跡。


 人々の表情はそれをあまり感じさせない。想像していたよりもずっと穏やかな風景だった。


 輝くんは、今頃どうしているんだろう。


 やっと輝のいる場所まで来ることができた。この都市のどこかに輝がいる。きっとあの王城にいる。


 そう思うと今すぐにでも駆け出したかった。



(本当に夕姫は輝が大好きだねぇ)



 ウォルシィラにからかわれてボッと顔に火が着いた。



「そ、そんなんじゃ……」


(そんなんでしょ。ボクじゃなくてもわかるよ)


「うぅ……」



 輝に対する想いの全てを知るウォルシィラに何も言い返せず顔を手で覆った。



「あら、早いですね夕姫さん」



 ロビーに降りてきたシールに声をかけられ、反射的に立ち上がる。シェア、ゼロスも一緒だった。


 指先までピンと伸ばして起立する夕姫にシールは口に指を当ててくすくすと笑った。



「どうしたのですか、そんなに畏まって。もっと楽にしてください。私は貴女よりも年下なのですから」


「あ、いえ、つい……」



 年下な上司に気遣われてどうしていいのかわからなくなってしまう。『ティル・ナ・ノーグ』はすごい人ばかりでどうしても気後れしてしまうのだ。


「では、揃ったので早速出かけましょうか」



 四人は宿を出て街に繰り出した。シールに先導される形で歩き始める。



「では予定通り軽く都市を見つつ王城に向かいましょう。とは言っても、アポなしですから王との面会は叶わないでしょうけど」


「あたしたちは旅行で来てますからねえ」



 シェアの合いの手にシールも頷く。


 そっか、近くまで来ても会える保証はないんだ。



「だからって気を落とす必要はないぞ夕姫ちゃん。相手に会う方法なんて世の中ごまんとあるんだからな」


「へぇ、例えば? ゼロスの考えなんてロクでもなさそうだけど」


「失敬な。そうだな……例えば正攻法ならパイプを持つ人物に取り次いでもらうとか。人を辿ってきゃそのうち繋がるだろ。駄目なら侵入するとか待ち伏せするとか拉致するとか」


「やっぱロクでもなかったわね……」



 ゼロスの回答にシェアは眉間を押さえた。



「輝ならいいんじゃね?」


「……それもそうね」



 輝であればそれも許される。二人の輝に対する認識に曖昧に笑うしかない。


 けれどなんとなくわかる気もする。



「よくありませんよ。他国の王相手にそんなことしたら外交問題になりますからやめてください」



 いさめるシールにシェアたちは「冗談ですよ」と肩を竦めた。


 それはそうだよね。正論に納得しながら夕姫は街の姿に目を移した。


 石造りの街並み。鉱山都市というだけあって、建物も、地面も、どこもかしこも石と鉄で作られていた。山のような形をした都市の頂上には立派な城が立っており、城下の街並みを見下ろしている。


 よくよく見れば壊れた建物や瓦礫の山が見受けられるけども、それでもきちんと都市として形を成していた。ニュースで見た凄惨な姿はもうほとんど感じられない。きっと並々ならぬ努力の末、ここまで復興を成し遂げたのだろうということがわかる。


 『アルカディア』とは異なる都市の姿に四人の会話は弾んだ。


 あれはなんだ。これはなんだ。あれが食べたい。これも食べたい。興味と好奇心が刺激されるままに理想郷とは異なる世界を満喫した。


 すれ違う人々の姿は活力に満ちているように思える。笑顔が多い。少なくともそう見えた。


 けれど時々、王に対する不満の声が聞こえてくる。


 輝のことを悪く言われていると思うと不快だったけれど、惨劇で知り合いが亡くなったという話が聞こえると胸が締めつけられるような苦しさを覚えた。


 上に行くほど不満の声が耳に届く頻度が多くなった。


 王のせいで家族を失った。王のせいで恋人を失った。王のせいで友人を失った。王のせいで家を失った。王のせいで財産を失った。


 王は残虐だ。王は非情だ。王は人の心が理解できない。あの囚人たちのように歯向かえばきっと殺される。


 王のせいで。王のせいで。王のせいで。


 そんな声が聞こえる度に四人の口数は減り、笑顔が消えていく。


 やがて王城の目の前にやって来た。大きな城門がある広場。


 城下の活気が嘘であるかのように広場は閑散としていた。中央にある噴水で水の弾ける音がやけに大きく聞こえる。


 ここが同じ都市であることを疑いたくなるほど目の前に広がる光景は異なっていた。



(……寂しい場所だね)


「うん」



 人のいない場所。活気に溢れた場所を見てきただけに、王城の周りに誰もいないことが余計に寂しく感じられた。


 まるで輝の周りには誰もいないように思えて。



「さて、それでは交渉するだけしてみましょうか」



 暗い空気を払拭するようにシールは両手を打ち鳴らし、城門に向かって歩いていった。


 大きな門の両脇には二人の門番が立っている。武器は持っていないが、その身体には幾何学的きかがくてきな刻印が浮かび上がっていた。


 神名。転生体であることを示す神の刻印。神名が全身に広がっているところを見るときっとあの二人は覚醒体だ。


 覚醒体の門番。それだけできっと誰も近づこうとしない。


 近づいてくるシールに気がつくと門番の一人が彼女に声をかけた。



「王城に何かご用ですかな?」


「はい。事前の連絡もなく失礼とは存じますが王にお目通り叶いませんか」


「生憎ですが王はお忙しい。政策に対するご要望やご不満の声でしたら、指定の書類にてお届け頂けますか?」


「要望ではありません。現王の黒神輝とは旧知の仲なのです。この都市には旅行で訪れたのですが、せっかくなので彼と思い出話ができればと思いまして」



 門番の二人は互いに目を合わせた。


 人間であるシールに対する門番の対応はとても丁寧だった。



「誠に申し訳ないが、それが事実だとしても確証が得られないことには王にお会いさせることはできない。つい先日も暗殺を目論んだ良からぬ輩がいたのだ。どうかご理解頂きたい」


「ではせめて私が訪ねてきたことを伝えては頂けないでしょうか。私はシール=ヴァーリシュと申します。私の容姿と名を伝えて頂ければ旧知であるか否かは明らかになるかと」


「わかった。後ろの三人も王のご友人であるなら名を教えて頂けるか? その方が王も判断しやすいだろうからな」


「わかりました」



 それからシールは夕姫、シェア、ゼロスの名前を門番に伝えた。門番は全員の名前と特徴をメモすると確かに申し伝えると約束してくれた。



「どうかよろしくお願い致します」


「確かに承った。王が面会をご希望なさったら宿に遣いの者を向かわせよう」


「ありがとうございます。それでは本日は失礼させて頂きます」



 門番が頷くのを確認してシールたちは城門に背を向けた。


 後ろ髪を引かれつつ夕姫もシールの後を追う。



「思ったよりも友好的だったわね」


「だな。対応も丁寧だったしな」



 会えないことがわかりきっていたシェアとゼロスはこの結果をポジティブに捉えていた。



「どうでしょうか。あのまま握り潰されることもあり得ますよ?」


「シール様……発想が荒んでますよ」


「仕方ありませんよ。大人の思惑と参謀術数が渦巻く世界を知っているのですから。まずは疑いを、警戒心を、抱いてしまう習慣が染みついてしまっているのです……悲しいことにね。ふふふ」



 遠くを見るシールに三人は何も言えなかった。


 簡単に輝に会うことはできない。頭ではわかっていたことだけれど、実際に会えないとなるとやっぱり気分が沈んでしまう。


 ここまで近くに来たのに。



「ほらっ、そんな顔しないの!」


「わあっ!?」



 後ろからシェアに抱きしめられた。後頭部に感じる柔い感触にこんな時でも嫉妬してしまう。



「半年間、会えないのを我慢して訓練してたのは何のため? 置いていかれないように、ついていけるように、するためでしょ?」



 そうだ。あの時、力がないから置いていかれた。自分では何もできず、守られるばっかりだったから残された。


 戦う覚悟がなかったからウォルシィラが戦ってくれた。追いかける覚悟がなかったから輝に選択を委ねてしまった。


 その結果、日常に輝はいなくなった。会いたくても会えないほど遠くに行ってしまった。



「ずっと受け身じゃだめですよね」


「受け身? どのあたりが?」



 自嘲気味な呟きにシェアはこてんと首を傾げた。



「『アルカディア』に居た時は毎日のように輝に会いに行ってたんでしょ? 手料理作りに。今だって学校辞めてまで『ティル・ナ・ノーグ』に入って輝に会いに来てるし、あたしは凄く積極的だと思うんだけど?」


「そ、そんなことは……」



 事実だけれどそう言われると恥ずかしくてたまらない。



「そういや、輝から夕姫ちゃんに連絡取ることってほとんどなかったんだっけ」


「そう、ですけど……」



 ゼロスの言う通り輝から連絡なんてほとんどない。あるとしたら約束の変更か事務的な連絡ばかり。「いま何してる?」的な他愛のないメールなんて来たことがない。


 輝がそんな連絡をしてくるタイプじゃないのはずっと前からわかっていたことだけれど。



「輝のやつ、許せん」



 ゼロスは割と本気で怒っていた。あぁ私の気持ちをわかってくれるんだ、とゼロスのことを見直そうとした矢先――



「こんな可愛い子が通い妻までして私を見て! ってアピってんのに構ってやらねぇとか。俺だったら昼夜問わずいくらでも構ってやるのによぉ! そんな全世界の男が垂涎すいぜんものの羨ましい待遇を受けていながら手を出さんとかあいつ馬鹿だろ!?」


「そんなことばっか考えてるアンタが馬鹿よ!」


「うごぁっ!?」



 シェアの後ろ回り蹴りがゼロスのあごにクリーンヒット。もはや見慣れたやり取りにゼロスの評価をまた一段階下げる。


 通い妻アピールなんて言われて羞恥で顔が真っ赤だ。



(そこは別に間違いじゃないとボクは思うけどなー)



 違うの! 輝くん料理できなくて栄養が偏ったものばかり食べるからなるべく作りに行くようにしてたの! それにちゃんと美味しいってゆってくれるし!



(それを通い妻と言うんじゃないかな?)



 心の耳に蓋をしてウォルシィラの指摘を無視。通い妻だなんてそんな事実はありません。



「けど女の子の立場からするとやっぱり酷くないかしら?」


「え?」


「だって連絡くれない。頻繁に約束を破る。全然自分のこと話してくれない。アピールにも気づかない。一人で勝手に決めて勝手にやっちゃう。こっちの気持ちなんて全然考えてない」


「…………」



 指折りシェアが挙げていく事柄に思い当たる出来事がたくさん脳裏に浮かび上がってくる。


 確かにそうだ。いま挙げられたこと全部に当てはまる言動を輝はしてきた。シェアの言っていることに間違いは何もない。


 けれど他の誰かが輝を悪く言っていると何だかムカムカする。



「輝の何が良いの?」



 あの男に良いところある? そう言われた気がして我慢がならなかった。



「輝くんにだって良いところはいっぱいあるもんっ! 輝くんはセンター街じゃはぐれないように手を繋いでくれるし! さりげなく歩くペースを私に合わせてくれたり! 人混みから守ってくれたり! 私が料理失敗したときだってちゃんと残さず食べてくれた! 落ち込んだときは黙って愚痴を聞いてくれて! イライラして八つ当たりしちゃったときはそーゆーときもあるだろって笑って許してくれた! ……なんてことない、会話で私が欲しいって……ゆったものを覚えてくれてて……誕生日にプレゼントだって、してくれた! 『アルカディア事件』でだって……わ、私のために……輝くんは……たくさん、たくさんの、人を……」



 一度吐き出してしまうともう止まらなかった。感情がどんどん昂ぶって、心の堤防は決壊して、輝との思い出を口にすればするほど涙が溢れてくる。嗚咽としゃくりのせいで上手く回らない舌が恨めしい。


 否定なんてさせるもんか。悪者になんてさせるもんか。輝の言葉も行動も、すべて思いやりからくるものなんだから。


 結果がどうあれ、その心まで否定なんてさせない。



「輝くんは誰よりも優しいの! 誰よりも優しい人なの! 輝くんに良いところが無いなんて! そんなことゆわないでよぉっ!」



 私の大好きな人を否定なんてさせてたまるもんか。


 ぎゅっとさらに強くシェアに抱きしめられる。



「ごめん、ごめんね。そうよね。アイツにも良いところはたくさんあるわ。それがわかりにくいだけで、良いところはたくさんある。ごめんね。そんなに思い詰めるとは思わなかったの。あたしたちは輝のことを悪くなんて思ってないわ。彼の力になるために『ティル・ナ・ノーグ』にいるんだから」


「……ほ、ほんとに?」


「本当よ。誰も輝を悪く思ってない。輝に良いところがあるのはみんな知ってる。ね? 二人とも」



 シールとゼロスも微笑みながら同意した。



「だから泣かないで。やっと近くまで来たんだから。彼と会うときは笑顔で会いましょ?」


「……うん」



 鼻をすすりながら夕姫は頷いた。母親に諭される子供のようで、冷静になってくると少し恥ずかしい。


 そんなときだった。



「すごい嬉しい言葉が聞こえたんだけど、流石に大声すぎやしないか?」



 聞き慣れた、それでいて懐かしく、待ち焦がれた声が聞こえた。信じられないという思いを抱き、しかし期待が大きく膨らんだ。


 涙でにじむ視線の先にいるのは白髪の青年。蒼い瞳がこちらを見ている。


 照れくさそうに。あるいは困ったように。大人びた微笑みを浮かべて。


 その顔をもっとよく見たくて涙を拭っても、さらに溢れる涙で滲んでよく見えない。


 だから、夕姫は叫んだ。呼び慣れた名を。ずっと会いたかった彼の名を。



「輝くん!」


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