第95話
***
母親に似て小柄だった上条は、高校に入学してもクラスで一番背が低かった。父親似で背の高い兄には幼い頃からいじめられてきたし、いまだにチビと呼ばれて嘲笑われる。
背が高いというだけで何か偉いのか馬鹿野郎、と思う。小さくて弱そう、というだけで、高校生になってまでくだらない嫌がらせをしてくるクラスメイトのことも嫌いだった。
「おい、やめろよ。返せ」
その日も筆箱を取られて、頭の上でキャッチボールされていると、二年生になって同じクラスになった町山が止めに入った。いつもは部活の朝練でこの時間は教室にいないのに、その日はたまたま朝練が休止になったらしかった。
自分より小さい上条を狙っていじめるような輩に、空手部所属の町山を敵に回す度胸などあるはずがない。町山は優しげな顔立ちで、実際に性格も非常に穏やかだが、鍛えられた肉体からは武道を嗜む者の貫禄が漂っていた。いじめっこはすごすごと退散した。
それをきっかけに、上条は町山と仲良くなった。
町山は普段は非常に穏やかな性格で、少し付き合うと会話や行動の主導権は上条が持つことの方が多くなっていた。
土砂降りの日に、町山の様子がおかしくなることに気づいたのは、何時頃だっただろうか。
顔色が悪く、具合が悪いのを耐えるようにしていた。
大丈夫か、と尋ねても、大丈夫だとしか言わない。
けれど、ある土砂降りの日のことだ。
正面玄関で町山を待っていると、傘を忘れたのか一人の男子生徒が雨の中に走り出ていった。
その直後、やってきた町山の様子が変わった。走っていく生徒をじっと見つめていたかと思うと、ぶるぶると震えだした。
寒いのでも、怯えでもなく、怒りの震えだと一目でわかるほど、町山の形相は凄まじかった。
彼は上条の見ている前で雨の中に飛び出し、走っていく生徒を追いかけようとした。
「町山っ!?」
思わず叫んだ上条の声が届いたのか、町山はびくっと震えてその場に立ち尽くした。
慌てて傘を広げて駆け寄ると、町山は呆然とした表情で上条を見た。
「……あれ? 俺、なんで雨の中に……?」
いきなり走り出ていったと説明しても、町山は何も覚えていなかった。
土砂降りの日にだけ、町山はおかしくなる。
だから、土砂降りの日に何か嫌なことでもあったのかと尋ねた。すると、町山はわずかに口ごもってから、「去年、土砂降りの日に妹が殺された」のだと教えてくれた。
上条は不思議に思った。そんな大変な事件があったなら、学校中で噂になるはずだ。
けれど、真剣な町山が嘘を吐いているようにも見えず、上条はこっそり一年時に町山と同じクラスだった者に訊いてみた。
「事故だったって聞いたよ。うちのお母さんが近所の噂で聞いたって。お風呂で溺れたんだってさ」
上条にわかったのは、事故で死んだ妹を、町山が殺されたと思いこんでいるということだ。何故、そんな思い込みをしたのだろう。
不思議に思っていたある日、町山にまとわりつく小さな黒い影を目撃した。
高校を卒業して大学に入ってからも、町山との付き合いは続いた。上条は町山には小さい影の話は一切しなかった。
相変わらず、土砂降りの日には様子がおかしくなる。
だけど、上条はそんな町山を受け入れていた。
町山は、これでいいのだ。
土砂降りの日が、少し楽しみになった。
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