第12話 彼氏さん、負けて悔しくないんですかぁ?

 季節は十月、少しずつ秋の気配が混じりはじめ肌寒さも感じるようになった今日この頃……僕はある一つの約束を果たすべく駅の改札前で立ち尽くしていたのだった。


 と言うのも少し前に葵ちゃんや堂島に対し「今度三人で本屋さんでも行こうよ」なんてでかい口を叩いてしまったのが原因である。あの時は葵ちゃんが初デートでプレゼントした本を気に入ってくれていたことがあまりに嬉しくて考え無しに発言してしまったが、正直今は「本当に紹介なんてできるのか?」と不安でいっぱいだ。

 別に僕は布教能力が大して高いわけでもないし、二人がちゃんと気に入りそうなものを勧められるだろうか……?


 けど葵ちゃんや堂島はかなり乗り気らしく今更「やっぱなし」とも言えず、あれよあれよと日程が決まった結果、今こうして彼らの到着を待っているのだった。


「ええと、本屋の場所は良し。最近の流行りも調べて来たし、大きいところだから品ぞろえも悪くないだろ……」


 彼らが到着するまでの間にスマホでもう一度情報を確認する。今日行く本屋は何度も行ったことがあるところだし、ライト文芸から海外文学、果ては写真集やエッセイや本にまつわる雑貨なんかもあるかなり大きなところだ。今日の目的は「気に入った本があれば一冊買う」だから僕のプレゼンがいまいちでもなにかしら楽しめるんじゃないだろうか。


 とは言え僕の大天使葵ちゃんやなんだかんだいいヤツである堂島が相手なら、そこまで緊張する必要はない、問題は……


「お待たせしてすみませぇん……あ、なんだ。まだ一人だけですかぁ」

「あ、おはよう。醍醐さん」


 後ろからかけられたきゃぴきゃぴとした声に反射的に肩がびくんと跳ねる。おずおずと振り返れば、そこには秋真っ盛りだというのに足むき出しな醍醐さんの姿があった。ギャルの人ってなんでいつもミニスカで大丈夫なんだろう。風邪とかひかないのかな。


「今日はアタシが葵にいいとこ見せるんで、覚悟しといてくださいね? センパイ?」


 なんて僕の勝手な思惑なんてつゆ知らず、醍醐さんはフフンと挑発的な笑みとともに挑戦状を叩きつける。

 親友である葵ちゃんに彼氏ができたのが寂しい彼女はせめて自分の好きな分野である「読書」では僕に勝ちたい、ということで今回葵ちゃんと堂島との用事についてくることになったのだった。

 一体全体どうやって本のおすすめで勝敗がつくかはわからないけど、彼女の一番を譲りたくないという気持ちは僕も同じだ。


「いや、葵ちゃんの彼氏として醍醐さんに負けるわけにはいかない。僕も頑張るよ」

「アタシだってセンパイにだけ葵を独占されたくないし、頑張っちゃいますから?」


 葵ちゃんは「そろそろちゃんとお互いに紹介したかったの!」と言っていたし、コミュ力の化身たる堂島は当然「モチさんせー!」と言っていたのでまあおかしなことにはならないだろう。

 唯一懸念があるとすれば、堂島と醍醐さんの陽キャパワーに挟まれた僕が蒸発しないことを願うばかりだった。頑張って人の形を保たなければ……!


「二人ともお待たせ〜!」


 なんて小さな決意を固めていたところで明るい声でパッと空気が華やぐ。目線を向ければ今日も最高に可愛い僕の彼女が小走りでこちらに駆けて来たのだった。


「おはよう、葵ちゃん」

「うん、おはよ! 理人くん!」


 秋めく季節らしくくすんだブラウンのニットと真白いスカートで大人っぽい可愛らしさに満ちている。普段はハーフアップの髪型だってなんかお団子でふわふわで、いつも以上におめかししてくれたことがわかった。

 ああなんて可愛いんだろう、あんなに可愛い女の子が僕の彼女だなんて!!


「彼氏く〜ん? オレもいっからね!」

「あ、ごめん」


 一目でメロメロになってしまったせいでうっかり彼女と同じタイミングでやってきた堂島への挨拶が遅れてしまう。慌てて「おはよう」と返せば奴は満足そうに「ヨシ」と口角を上げた。


「あ、そっちは初めましてじゃんね? オレ、堂島。葵ちゃんと同じサークルで彼氏くんのマブダチ!」

 おい、勝手な紹介をするな。

 心の中でツッコミつつも野暮な発言を控えていれば、挨拶を受けた醍醐さんは先ほどとはうって変わったローテンションで口を開いたのだった。


「……どーも」


 てっきり同じ陽キャなので気が合うんじゃないかと思ってたので拍子抜けだ。パリピ同士は惹かれ合うんじゃなかったのか?

 なんて内心で首を傾げながらも僕は今日の目的地である本屋まで葵ちゃんと肩を並べて向かう。


「でも嬉しいな。万里菜まりなちゃんと理人くんが仲良くなってくれて。二人とも本が好きだから気が合いそうだなあって思ってたんだ!」

 

 醍醐さんの本の趣味がどういうものかは知らないけど、意外と純文学とかだろうか。もしくは葵ちゃんと同じような女性向けジャンルとか……? 一番好きなのはSFだけど他のジャンルが嫌いなわけじゃないし、葵ちゃんとの仲を認めてもらうためにも少しは話せたらいいな……もちろん、本のことだけじゃなく。


「……うん、そうだね。話ができたらいいな。趣味が合う人がいたら嬉しいし……葵ちゃんの大事な友達だから」

「! ふふ、ありがとう」


 自分にしては精一杯勇気を出して伝えた甲斐もあって、葵ちゃんはまだ本屋に着いてもいないののいつも以上に楽しそうだった。僕もそんな彼女を見ると自然と口角が緩む。が……


「へー! 醍醐ちゃんってそんな前から葵ちゃんとマブなんだ? やべーね! 大大大親友ってやつ?」

「……まあ、はい」



 すぐ後ろで繰り広げられる会話のあまりのテンションの温度差にもう心が風邪をひきそうだ。ちらりと後ろを窺えばいつもの世裕ありげな笑みはどこへやら、醍醐さんは完全に心を閉ざした状態で相槌を打つだけのマシーンと化していた。


「あっ……ほら! 本屋着いたよ!」


 空気の重さに耐えきれず思わず大きな声を上げて指をさせば、彼らもつられて僕の視線の先を辿る。そこに広がっていた都内でも有数の蔵書数を誇る大型本屋姿に不慣れな二人はあからさまな驚愕の表情を浮かべた。


「えっ、やば! 広! 漫画コーナーだけでこんだけあんの初めて見た!」

「すごーい! ブックカバーとか読書ノートとか……あ、インクも売ってる! なんで?」

 

 思った通りの反応に優越感を刺激されつつ、僕はチラリと醍醐さんの方を盗み見る。彼女も何度かこの本屋を訪れたことがあるのか驚きはなかったが、それでもどこか浮かれているのが目に見えてわかった。

 分かる、分かるぞ。本屋はいるだけでなんかテンションが上がる回復ポイントだからね……!


 とりあえず話題の新刊コーナーやポップアップコーナーに彼らを誘導し、葵ちゃんと堂島にはそこでしばらく時間を潰してもらうことにする。その間にこっそりと僕は醍醐さんに近寄ると耳打ちをしたのだった。


「その、醍醐さん大丈夫? 堂島の奴、なんか変なこと言った?」


 実際、アイツがそこまで変なこと言うとは思えないけど万が一があるかもしれない。明るい雰囲気の二人で話し上手な二人があそこまで会話が弾まないとなると、きっと何か原因があるんだろう。


「えっ! いや、その……別に堂島センパイが悪いわけじゃないんです。ただ聞いてたイメージだとああいうチャラい感じだと思って無くて……別にアタシの問題だし、大したことじゃないんですけど」


 対する醍醐さんは一瞬ぽかんと目をみはった後、気まずそうに視線を逸らしながら苦笑いを浮かべた。彼女がなんでもないと言う以上、僕の方からこれ以上つっつくのもあんまりよくないだろう。

 ひっかかるものを感じながらも「ならいいけど」と言おうとして口を開いた瞬間、心から嬉しそうな声が耳をくすぐった。


「万里菜ちゃん、見て! 怪盗マジョリーナの最新刊、サイン本あるよ?!」

「うそっ、ほんとに?!」

 

 本を両手に抱えてこちらに駆けて来た葵ちゃんに対し、醍醐さんが今まで聞いたことのないくらいはしゃいだ声を上げる。僕が「え」と声を漏らすのと、彼女が「あっ」と我に返ったのは同じタイミングだった。

 葵ちゃんが手にしている「怪盗マジョリーナシリーズ」……小中学生の女子を中心に人気の児童小説だ。もう随分長い間連載している名作と言うこともあって、大人の間でも愛好者は多いと知ってはいたけど……


「…………その、違いますから!」


 例に漏れず醍醐さんもその魅力にハマっていた一人だったらしい。なんとなく意外な気もするけれど、実際あのシリーズって僕ら世代が小学生だった時に特に流行ってたからなあ。きっと特別なんだろう。別に隠すようなことでもないとは思うけど彼女にとっては恥ずかしいことだったらしく、耳まで真っ赤に染めて誤魔化そうとしていた……葵ちゃんから受け取った本は大事そうに抱えながらだけど。


「え、なになに? うゎなっつ!」


 僕らがわいわいとはしゃいでいたのが気になったのだろう、雑貨コーナーを眺めていた堂島もこちらに向かってくるなり彼女の持っていた児童書に気づいたらしい。「クラスの女子とか読んでたよなぁ」なんて懐かしそうに話す堂島とは正反対に、醍醐さんはますます委縮して自分を守るようにぎゅうと本を抱きしめた。


 その反応は見覚えがある。というか経験がある。自分の大事なものが大事にされない悔しさ。自分の価値まで貶められるみたいな虚しさ。尊厳の否定なんかじゃないって頭では分かってるのに、心が追い付かない惨めさ。

 そしてなにより、理解できない相手への恐怖。

 醍醐さんってもしかして……


「そうなんです。私この本、大好きで!」


 僕の思考を切り開くみたいな楽し気な声だった。うつむきそうだった醍醐さんも僕と同じようにパッと声の主……葵ちゃんを見つめる。

 葵ちゃんはただただ心から嬉しそうな笑みを浮かべたまま、大好きな本について教えてくれた。


「主人公が可愛くて頑張り屋さんで、とっても面白いんですよ! ……なにより小さい頃は勉強ばっかで中々本を読む時間が無かった私に、読書って楽しいんだよって教えてくれた大事な本なんです!」

「へー、いーじゃん! オレでも読めっかなあ?」


 葵ちゃんの言葉に今度こそ醍醐さんが小さく息を呑む音が聞こえて、僕はなんだか自分まで救われたみたいな気持ちになる。


 自分の好きなものが否定されたら悲しいし、自分の好きなものが肯定されたら嬉しい。あんまりにも単純な話だ。そんな単純なことを堂島はちゃんと大事にしてくれる奴なんだって分かってもらえたのが、なんだかやけに嬉しかった。


「うわ文字でけえ! これなら読めそー! つか魔女なのに怪盗なの? なんで? 魔法界からなんでわざわざこっち来たん?」

「えっとですね、それには理由が色々あって……」


 購入を検討しているのか、一巻を手に取ってパラパラとめくりながら葵ちゃんに質問をなげまくる堂島。つーかそれ聞いたら読む意味ないだろ、と思いつつ口を挟もうとすればそれよりも早く醍醐さんが解説を始めた。


「そういう設定への疑問点とかは五巻までにちょこちょこ解消されてくから大丈夫ですよ。つかそこらへんわかんなくても最初からちゃあんと面白いし、読みやすいんで」

「へー! つーかこの子さぁ……」


 醍醐さんの解説に真面目に耳を傾けながら堂島もあーだこーだと質問を投げかけて、彼女が答えを返す。

 ようやっと二人がまともに会話をしているのを確認してホッと安堵の息を吐けば、いつのまにか隣に立っていた葵ちゃんがツンと僕の腕をつっついた。目線を向ければなんだか誇らしげな笑みを浮かべた彼女と目が合う。


「この本があったから私、本を読むのが好きになって……理人くんと仲良くなれたのかもしれないね」


 葵ちゃんの手には先ほど醍醐さんに手渡したのと同じ「怪盗マジョリーナシリーズ」の最新刊が抱えられている。確かにこの本があったから葵ちゃんも読書のきっかけが出来たし、僕の本の話も受け入れられたのかもしれない。

 そう思えばなんだか有り難ささえ覚えてしまって、思わず僕はぽろりとこぼしてしまったのだった。


「そんなに面白いなら、僕も読んでみようかな」

「じゃあ今日はみんなでおそろいで買っちゃおう!」


 本当はもう少し色々吟味したり布教しようかとも思ってたけど、僕の方から彼女の好みに合わせてみるのもきっと楽しいだろう。


 葵ちゃんが堂島に話しかけに行ったのを見計らったタイミングで、入れ替わりで醍醐さんがこちらにずんずんと近づく。葵ちゃんとの会話が聞こえてたのだろう、醍醐さんは勝利への確信とほんの少しの申し訳なさを織り交ぜた表情で僕の顔を覗き込んだのだった。

 

「その……彼氏さん、負けて悔しくないんですかぁ?」


 ……確かに正直彼女への理解度が低いのはちょっと悔しいけれど、それでもまた一つ葵ちゃんや葵ちゃんの大切な人について知れたのだ。それになんだかんだ言いつつ、僕の体面とかを気にしてくれる後輩のことを思えば不思議と笑みがこぼれた。


「次は負けないようにするから大丈夫」


 僕が精一杯の負け惜しみを口にすれば、ちょっぴり安心したように息を吐いてからやっぱり醍醐さんは不敵に笑ったのだった。

 

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