第10話 彼氏くんのと比べてどう?

「え、彼氏くん部室で飯食ってんの?」


 やたらめったら明るい声が講義終了後にそそくさと教室を出て行こうとした僕に突き刺さる。

 今日も今日とて堂島の目に痛いくらいの明るい金髪と晴れやかな笑顔はきらっきらとまぶしかった。9月といえどまだまだ太陽はギラついており、堂島のせいでまるで太陽が二つあるみたいなまぶしさだ。勘弁してくれ。


「葵ちゃんが友人と食べる時はそうしてるよ。読みたい本とかもあるし、サークルのメンツと話すのも悪くないし……」

「へーえ、いいじゃん。ねえオレも行ってい? どんなんか気になるし」


 堂島のその言葉に一瞬眉を顰めたものの、火曜日は部室に集まる人数が他の曜日に比べると少なく誰もいないなんてことも少なくない。結城先輩の時みたいに部員を怖がらせてしまう可能性は低いだろう。


「……あんまり騒がしくしないならいいけど」

「おっけおっけ! つってもオレ彼氏くんといる時わりかしおとなしめじゃね?」


 それは本気で言ってるんだとしたら自分の声の明るさを一度見直したほうがいいぞ。

 なんてツッコミはどうにか呑み込みつつ、僕は堂島を引き連れて部室のドアを開く。

 運悪く数人の部員がいて一瞬堂島に対してぎょっとした反応をしたものの、「おじゃましまっす!」という元気のいい挨拶にまばらに会釈を返す。


「ごめん、チャラめの人連れてきちゃって……」

「いや、最近入ってきた一年にギャルギャルしいのがいるからちょっとは慣れた……杉原はまだ会ってなかったか?」


 思わず謝罪をすればまさかの返答が返ってきてこちらの方が驚いてしまう。ギャルギャルしいのがまさかこのサークルに。声色からして迷惑がられているわけではなさそうなので、悪い子ではないんだろうけど……

 顔を出す曜日が合わないといまいち知らない人がいるのは考えものだな。


「うわすっげ。本めっちゃギッシギシじゃん! 図書館みてえでかっけーね! 地震へーき?」

 ただでさえ広くないのに本棚で手狭になっている部室をはしゃぎながら眺める堂島の反応は正直悪くない。


「……椅子の下のスペースにも詰まってるよ」

「やっべ! 一生かかっても読みきれねえじゃん!」

 だから思わず椅子にかけられていた敷き布をめくって詰められた背表紙を見せてみれば、ますます堂島はテンション高めにはしゃいでみせる。

 うん、気分いいな。


「……なんつーか、仲良いのね。お前ら」

 そんな風に鼻高々な気分を味わっていれば、不意に同期の一人から半笑いでそんな指摘を受けてしまった。何言ってんだ田中。周りを見渡せば他の面々もなんだか生暖かい目でこちらを眺めている。


「マッジ? いや〜やっぱオレと彼氏くんのマブっぷりは誤魔化せねえか〜!」

 一方の堂島はそれはもう嬉しそうで喜色満面と言わんばかりの笑顔を浮かべながら肩を組んでくる。


「え、つーかオレも本とか読んでみよっかな。おすすめしてよ、彼氏くん!」

 そのままの勢いではしゃぎ倒す堂島のテンションはうなぎのぼりだ。いつもならきっとそんな彼の発言も気にならなかったんだろうけど……


「……僕のおすすめなんか君には参考にならないでしょ」

 不意にそんな言葉が喉からこぼれ落ちた。

 

 一瞬で静まり返る部室に一拍遅れて我に帰るものの、一度した発言はもう取り返せない。なんてフォローをしようかとまごついてる内に、堂島はへらりと笑うと口を開いた。


「確かに最初だと彼氏くんレベルのはむっずいかもしんねーもんね。ちょっと練習してからにすんわ」

 馬鹿にしたと捉えられてもおかしくない発言をしたのに、やっぱり堂島は優しかった。


 それがますます申し訳なくて自分が惨めで、僕は荷物を引っ掴むと「ごめん」とだけ口にして部室を後にする。


 眩しかったはずの太陽が、どこかくすんだ色に見えた。






「やってしまった……!」

 午後授業がなかったこともあり、まっすぐ家に帰った僕はひたすらにベッドの上で反省会を開き続けていたのだった。


 別に堂島に悪気はなかった。むしろ友人の趣味を自分も分かち合いたいという至って健全な理由での発言だ。責められる所以は微塵もない。


 それでもあの時僕が拒絶を口にしたのは、いわゆる僕の本の好みがメジャーなところから少し離れているからだった。

 

 メジャーな名作が嫌いなわけではない。むしろ好きだと思うし文豪たちの作品も気に入っているものはたくさんある。

 けれど例え著名な作家でも自分が一番気に入っているものを挙げると「なんでそこ?」とか「好みが合わない」と言われる確率がかなり高いのだ。


 堂島のことは友だ……知り合いの中ではかなりつるんでいる方だとは思う。理解を示してくれるかもしれないという淡い期待もある。

 だからこそ「いやちょっとこれ面白くないわ」とか万が一言われたら確実に傷つく自信があった。

 知らない人に言われるのと知り合いに言われるのでは雲泥の差なのである。


「……葵ちゃんにも悪いことしたなあ」

 一度反省会が始まると際限なく過去のやらかしまで思い出してしまうのが陰キャの性。

 初デートで寄った本屋で舞い上がっていた僕は彼女に好きな作家の新作を二冊買って一冊プレゼントするなどという愚行を犯していたのだった。


 あのあと聞いたところによると、彼女の好みはいわゆる御伽噺タイプのキラキラハッピーエンド。僕の好む少しシニカルな作風やSFものは明らかに当てはまらないだろう。

 きっと今頃持て余しているに違いない……


「うわっ!?」

 そんな風に延々と自身の行いを悔い続けていれば、不意に高らかな着信音が暗い部屋へと鳴り響く。スマホの画面を見れば、そこには「堂島」と表示されていた。どうやらビデオメッセージらしい。


 少しの葛藤のあと、恐る恐るボタンを押せばそこには堂島の姿はなく、代わりにソファに座って恥ずかしそうに顔を俯かせている葵ちゃんが映っていた。


「葵ちゃん?」

『彼氏くん、見てる〜? 今日は彼氏くんに見せたいものがあって葵ちゃんに協力してもらってま〜す』


 堂島のその言葉に慌てて葵ちゃんがパッと顔を上げる。画面越しでも分かるくらい真っ赤な顔の彼女は「ほんとに見せるんですか?」とどこか不安げに口を開いた。


『だいじょーぶ、だいじょーぶ。ぜってー喜ぶから』

 堂島のあっけらかんとした言葉に葵ちゃんは少し瞳を揺らしていたものの、不意にこくりと頷くとごそごそとリボンのあしらわれたトートバックから何かを取り出した。


『……ごめんね。大事にしてたんだけど』

 さくら色のブックカバーに包まれていたそれはまごうことなく僕が初デートで葵ちゃんにプレゼントした文庫本である。

 

『おー、めっちゃ気に入ってんね。彼氏くーん、彼氏くんのと比べてどう?』

 僕だってこの本は何度も読み返したけれど、それ以上に彼女の本は少しくたびれていた。

 お気に入りの部分なのだろうか、いくつかのページには少し癖がついている。彼女は普段は書店の紙のカバーを使っているのに、わざわざ可愛らしいブックカバーを用意してくれたことからも彼女がいかに気に入ってくれたのかが窺えた。


『やばくね? も〜めっちゃハマってんのよ。だからオレも彼氏くんになんか選んでほしくってさァ。もち彼氏くんチョイスってのもあるけどやっぱおもしれーもん読みてえじゃん?』

 その言葉にようやく僕は気づく。葵ちゃんのことも堂島のことも、僕はやっぱりいつもどこか色眼鏡で見ていたのだ。


 けど二人は違った。ちゃんと僕と接して僕だからこその答えを待ってくれていた。

『彼氏くんオススメすんの上手だって! 自信持とうぜ』

『うん。私理人くんのお陰でこの作家さんが好きになったの。今度またいろいろ教えてね!』


 プツ、と音を立てて動画の再生が終了する。だから僕は乱暴に袖で顔を拭ったあと、勢いのままにメッセージを送ったのだった。



『それなら今度三人で本屋さんでも行こうよ』




 


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