第416話 義妹嫁騎士と隣国領主

 私、カリーナ・ブロンダンは少しばかり緊張していた。夕食の後、長姉であるアガーテ姉さまに呼び出されたからだ。久しぶりの里帰りで浮ついていた私だけど、これには冷水をぶっかけられた気分になった。知らないうちに何かをやらかしていて叱られるんじゃないか、とか。あるいはリースベン軍の機密を探ってこいと命じられる、とか。嫌な想像が頭の中を駆け巡る。


「よく来たな」


 アガーテ姉さまは、穏やかな声で私を出迎えた。私がやってきたのは、ズューデンベルグ城の最奥部にある姉さまの居室、かつては母様の部屋だった場所だ。領主の寝室だけあって、置かれている調度品は一流のものばかり。でも、それらの品々は、母様がこの部屋の主だった頃から一切変わっていない。アガーテ姉さまはどうやら、模様替えの類は全くやっていないようだった。


「う、うん。こんばんは、姉さま」


 私はそう挨拶してから、姉さまに勧められるまま椅子に腰を下ろした。……はあ、やだなぁ。気が重いなぁ。今頃、お兄様はソニアお姉様と添い寝してるんだろうなぁ。うらやましいなぁ。そっちに混ざりたいなぁ……。


「お前ももう十五歳成人か、早いものだな。……お前も大人になったんだ、一杯飲むか?」


 そんなこちらの心情を知ってか知らずか、アガーテ姉さまは穏やかにほほ笑みながらワインのボトルを私に見せてきた。けれどわたしは、首を左右に振る。大人になったんだから、ちょっとくらい良いでしょ、とも思うんだけど……。こういう時、私みたいな若輩者が勧められるがままお酒を飲んだら、だいたいマズイことになるのよね。私も今やブロンダン家の娘、実の姉相手とはいえ油断をするわけにはいかない。

 ……これはほんの先日の話だけど、私はアデライドお姉様とダライヤおばあちゃんから、"悪い大人のやり口"を実演で説明されたのよね。二人によって言葉巧みにお酒を飲まされまくった私は、酔い潰された挙句ゴミを高値で売りつけられそうになった。アレはあくまで"実演"だったから、お金も失わず単に二日酔いになるだけで済んだけど……まあ、お酒の怖さはしっかり理解できたからね。お兄様みたいにカパカパ飲むような真似はとてもできない。


「お堅いことを言うんだな。まあいいや」


 肩をすくめつつ、アガーテ姉さまは自分の酒杯にお酒を注ぐ。そして、召使いを呼んで豆茶を持ってくるように命じた。すでに準備されていたようで、数分後には黒々とした豆茶が私の前に差し出されてくる。召使いが部屋から出ていったあと、私はカップにミルクを注ぎながら姉さまの方をちらりとうかがった。


「そんなに警戒するなよ、姉妹だろ? ……少し見ないうちに、お前も成長したもんだな。少し前だったら、平気で気を緩めてただろうに。少しばかり寂しいが、まあ貴族としてはその態度は間違っちゃいない。ブロンダン卿からは、なかなか良い教育を受けているようだな」


「……うん、そうだね。お兄様もみんなも、私を大切にしてくれてるよ」


 なんとかお兄様の愛人になれないものかとあがいていたら、気付けば婚約者の一人になっていた自分の身の上を思い出しつつ、私は小さく頷いた。苦手だったソニアお姉様やアデライドお姉様とも、この頃はすっかり打ち解けつつある。いつもの"添い寝"にお邪魔することも、珍しくはなくなっていた。


「フゥン、そうか。……不自由をしてるなら相談してくれと言うつもりだったが、その様子じゃ無用の心配だったようだな」


「う、うん。全然大丈夫だよ。最近、充実してるし。いちおう、騎士にもなれたし……」


 ほんの少し前にあったばかりの誕生日を思い出しつつ、私は頷いた。あの日、私は晴れて騎士見習いから正規の騎士へと昇格することができた。まあ、ガレアでは本来、"幼年騎士団"なる組織を卒業しないと騎士位は与えられないので、いささかズルをしてるような気分にはなったけどね。でも、今さら十歳くらいの子供たちに混ざって訓練するわけにもいかないから、仕方が無い。


「めでたいことだ。お前が勘当になった時には、どうなる事かと心配してたもんだが……取り越し苦労だったな」


 そう言ってから、アガーテ姉さまは酒杯のワインをごくごくと飲み、ふぅと息を吐いた。私は所在なく小さなテーブルの上に視線をさ迷わせつつ、黒茶のカップを指でなぞる。


「……だからそんなに警戒すんなって。別に、厄介な用件があってお前を呼び出したんじゃないんだから」


 アガーテ姉さまは苦笑しつつ、ため息を吐いた。そして私の方をチラリと見る。


「お説教をしようとか、スパイをさせようとか、そんなことは思っちゃいねえよ。安心しな」


「そ、そうなの?」


「当たり前だろうが」


 ため息をついてから、姉さまはワインを飲みほした。空になった酒杯に、姉様は手酌でワインを注ぎ入れる。


「お前、スパイとか絶対向いてないじゃないか。不向きなことをムリヤリやらせて、挙句ブロンダン家との関係が壊れちゃあ目も当てられねぇ。そうだろ?」


「……そりゃそうか」


 私は深々と息を吐きだした。少しばかり、肩の荷が下りたような気分になった。


「今回お前を呼び出したのはな、礼を言うためだよ」


「……礼?」


 はて、私はアガーテ姉さまにお礼を言われるようなことをしただろうか? 思わず首をかしげる私を見て、姉様は小さく笑う。


「お前は気付いてないようだが、私はお前に大恩がある。……お袋の一騎討ちの一件だよ。冷静に考えてもみろ、お前があそこでお袋を庇ってなけりゃ、私は親の仇と笑顔で仲良しゴッコをしなけりゃいけなくなってたんだ。本当に危ない所だった……」


「あ、ああー」


 そう言われて、やっと得心がいく。私がディーゼル家を勘当されるキッカケとなった出来事だった。リースベン戦争の終盤、ロスヴィータ母様はお兄様と一騎討ちをした。そして母様は破れ、お兄様がとどめを刺そうとした瞬間……私はお兄様に突撃を仕掛けた。当たり前だけど、騎士にとって一騎討ちとは神聖なものだ。それの邪魔をするなんてとんでもない不名誉で、騎士失格と言われても仕方のない行為だった。


「もはや、ディーゼル家はブロンダン家の庇護なしではやっていけない立場だ。お袋がどうなろうが、私はブロンダン卿と笑顔で握手をするほかない。けど、私だって人間だ。憎しみを捨て去るなんてできない……」


「……うん」


 それは、私だって同じだ。もしあそこでロスヴィータ母様が殺されていたら、私はお兄様と今のような関係になることはできなかっただろう。その結果実家から勘当されることにはなったけど、それでも私は一騎討ちに乱入したことは後悔していなかった。……まあ結局、その勘当も先日解除されたんだけどね。


「今のように、ブロンダン卿と隔意なく付き合えるのはお前のおかげだ。いくら感謝してもしきれねぇ。ありがとう、カリーナ」


 アガーテ姉さまは深々と頭を下げた。私は思わず止めようとしたけれど、ぐっと堪える。今や、アガーテ姉さまはズューデンベルグの頭領だ。そんな女が、非公式の場とはいえ頭を下げている。並みの覚悟じゃないわよね。それを止めるのは、むしろ失礼にあたる。


「……ふ、本当に成長したなぁ、カリーナ」


 頭を上げた姉様は、ニヤリと笑ってそう言った。私は気恥ずかしくなって、ふいと目を逸らす。


「実のところな……隔意なくっていうのは、半分嘘だ。別に、ブロンダン卿のことを恨んでいるとか、憎んでるとかいうわけじゃないけどな。ただ……私は、あの人がちょっと怖い。割とマジでな」


「え、怖い? どこが……?」


 いや、確かに戦場に居るときのお兄様はちょっと怖いけどね。けど、普段のお兄様は優しくて甘い男らしい人だし。怖い所なんて全然ない。


「いや、普通に怖いだろ。だってよぉ、あいつの傍にいる人間を見てみろ。大国・ガレアで一番の騎士と称される女に、化け物みてぇなカマキリ女。他にも一筋縄ではいかなそうな連中が揃ってやがる」


 眉間にしわを寄せながら、アガーテ姉さまは深刻そうな声で語る。


「……それなのに、あいつらを見れば一目で理解できる。ああ、あの集団の長はブロンダン卿だ……とな。そういう貫禄があの男にはある。覇王の資質だよ、あれは」


「言われてみれば、確かにそうかも」


 お兄様には、独特の存在感がある。冷静に考えれば、ソニア・スオラハティなんて人間は雲の上の存在だ。血筋に恵まれ、武人として類まれなる才覚を持っている。本来ならば、大領邦ノール辺境領を継ぐはずだった女。そんなソニアが、従者のように一人の男に侍っている。にもかかわらず、見ているこちらは一切の違和感を覚えない。そういうものだと納得してしまう。……確かに、よく考えてみればこれは凄まじい事だ。


「今さらだから言えることだが、リースベンとの戦争をおっぱじめる前にあの男と会っておきたかったよ。そうすりゃ、どんな手を使ってでもお袋を止めたものを」


 憎々しげな様子で、アガーテ姉さまはため息をついた。私は何も言えなくなって、豆茶をチビチビと飲む。


「アレと喧嘩したのが運の尽きさ。……戦争ではなく、同盟を選べていたらなぁ。私の代で、ミュリンの一族を滅ぼすことだってできてたはずだ。ところが現実はどうだ? ディーゼル家自慢の重装騎兵隊は、私が継承する前にほぼ壊滅。ミュリンの奴らが調子に乗ってるてぇのに、私はブロンダン卿に頭を下げて何とかしてもらうよう頼むことしかできないんだ。クソッタレめ……」


 アガーテ姉さまは酒杯のワインを一気に飲み干し、そして今度は手酌すらせずにワインボトルを直接ラッパ飲みした。


「おい、カリーナ。一つだけ気に留めておけ。私はディーゼルで、お前はブロンダンだ。きっと、私の娘よりお前の娘の方が立場が上になる。本家の奴らは死ぬほどやっかむぜ。私がディーゼル家のうるさい連中を押さえておくから、その間にお前はブロンダン家の方で立場を固めるんだ」


 予想もしていなかったその言葉に、私は絶句するしかない。そんな私を見ながら、アガーテ姉さまはまたワインをラッパ飲みした。そして、酒精で濁った眼で私を見据えるのだ……。


「そうすりゃ、きっとお前は歴代のズューデンベルグ伯よりも余程偉大な女になれるはずだぜ? なにしろ、あのブロンダン卿の嫁だからな。チャンスを逃すな、カリーナ。私を踏み台にしたって構わない、成功を掴むんだ。お前にはその権利がある……!」

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