第210話 くっころ男騎士とサシ飲み(1)

 結局、第二回交渉は夕方まで続いた。お互いの主張は平行線で、進展と呼べるものはほとんどない。せいぜい、連絡員の交換が正式決定されたくらいだ。まあ、根回しをしていない会議が長引くのは当然のことだし、そもそも僕の第一目標は時間稼ぎである。今のところ、事態は僕が引いたレールの上からはそれほど逸脱していない。


「ブロンダン殿、貴殿はなかなかの酒好きときいておる。エルフェニア特産の酒を持ってきたのじゃが、一杯付き合わんか? 無論、二人っきりでな」


 交渉が終わった後、スススと近寄ってきたダライヤ氏が、陶器製のビンを見せながらそんなことを言ってきた。幼女が酒瓶を持っていると少しギョッとするが、まあ彼女は千歳オーバーの合法ロリだからな。酒くらい飲むだろ。


「ああ、それはうれしいな。有難くいただかせてもらおう」


 僕は即座に頷いて見せた。エルフの酒にはもちろん興味があったし、サシ飲みというのも魅力的だ。お互い、部下たちの目がないところでしか語れないような内容の話もあるだろう。

 夕食時ということもあり、酒は食事をしながら飲むことにした。僕はダライヤ氏を領主屋敷内の小さな応接室に案内し、自らもソファに腰を下ろした。召使たちの手により、すでにテーブルの上には最低限のツマミとグラスが乗っている。


「エルフの酒というと、もしや材料はサツマエルフ芋かな」


「もちろんじゃ。サツマエルフ芋とエルフの食生活は、もはや不可分のものじゃからな」


 そんなことを言いながら、ダライヤ氏は僕のグラスに透明な液体を注ぎ入れた。どうやら、醸造酒ではなく蒸留酒のようだ。鼻を近づけてみると、案の定芋焼酎の香りがした。うわあ、すごく懐かしい。前世では、ほとんど毎日飲んでたんだよな。


「イモが材料というと……この酒、かなり貴重なものでは?」


 食料不足の折である。エルフにとって重要なカロリー源であるイモを、酒のために浪費するような真似はできないだろう。


「うむ……材料も足りなければ、生産できる場所もないというのが実情じゃな。ラナ火山が噴火するまでは、エルフェニアの各地に蒸留所があったんじゃが……今となっては、一つも残っておらん。今使われておるのは、手製の簡単な蒸留器じゃ……」


 ため息交じりに、ダライヤ氏はそう語った。ううーん、残念なことだな。安定供給ができるなら、輸入してもいいと思ってるんだが。この様子では、それも難しそうだ。

 何はともあれ、貴重な酒を貰うだけもらっておいて、こちらは何も出さないというわけにはいかない。僕は給仕を呼んで、一本の酒瓶を持ってきてもらった。


「南ハルベル産ブランデー、エクストラ・オールド追熟等級。お気に入りの一本だ。お贈りしよう」


「ぶらんでー、というとブドウの蒸留酒じゃったな。こりゃあ嬉しいのぅ」


 ダライヤ氏はニコニコ笑いながらビンを受け取り、代わりにエルフ酒芋焼酎を渡してきた。交換というわけだな。


「せっかくじゃから、ワシはこちらを頂こう」


「どうぞどうぞ」


 ブランデー瓶の栓を抜き、ダライヤ氏にお酌する。ガレア貴族の流儀ではこう言った場合、酒を注ぐのは給仕の役割だ。とはいえ、相手にお酌してもらっておきながら、こっちは使用人任せというのはあまりに失礼である。


「それでは、乾杯」


「かんぱーい」


 グラスを打ち付け合い、芋焼酎を口に運ぶ。ああ、この鼻孔に滞留するような芋の香り、ほのかな甘み! まさに芋焼酎だ。前世の故郷を思い出して、少し泣きそうになる。


「ぷぇっ」


 などと感動していると、ダライヤ氏が奇妙な声を上げた。そちらを見ると、彼女は真っ赤な顔をして目尻に涙をためている。……アルコールが濃すぎたか! あわてて水入りのコップチェイサーを差し出すと、彼女はあっという間にそれを飲み干してしまった。


「ほぇぇ、おどろいた。ガレア国では、このような強い酒が流行っておるのか?」


 涙を拭きながら、ダライヤ氏が大きく息を吐く。僕が渡したブランデーは無加水の樽出しカスクストレングス仕様で、アルコール度数は五〇から六〇パーセントもある。よく考えてみれば、慣れない人間がいきなりストレートで飲むような代物ではなかった。

 エルフ酒芋焼酎も蒸留酒ではあるのだが、口当たりからみて度数は前世の焼酎と大差ないかやや低いくらいだろう。エルフたちにとっては、これくらいの濃度がちょうどいいのかもしれない。


「い、いや、その、申し訳ない。決して、そちらに嫌がらせをしてやろうとか、そういうつもりで渡したのではなく……」


「わかっとるわかっとる。香りを嗅げば、この酒が非常に良いものであるというのは理解できる。ワシの口がお子様だっただけじゃ。……まあ、実際のワシは子供どころかババアじゃがな!」


 ころころと笑って、ダライヤ氏は冗談めかしてそういう。僕はほっと胸をなでおろした。些細な誤解が原因で交渉が決裂するなど、良くある話だからな。エルフどもの要求を聞くかどうかはさておき、交渉自体は今後も続けるつもりでいる。こんなところで打ち切りになっちゃ困るんだよ。


「しかし、そのまま飲むのはワシには少々辛いのぅ。少しばかり、薄めさせてもらっても良いかの?」


 赤い舌をチロリと出しながらそんなことを言うダライヤ氏は、外見年齢に似合わぬ艶めかしさがある。生唾を飲むのをこらえつつ、僕は少し思案した。


「そうだな……」


 暦の上ではすでに秋だというのに、今夜も相変わらずひどく暑い。こういう時は、涼しげな飲み方が良かろう。……意識したら余計に暑くなってきたな。思わずシャツのボタンをはずし、襟元を楽にする。ダライヤ氏の目が、一瞬僕の胸元に向けられた。本人は意識していない、反射的な動作なのだろう。彼女は慌てたように目を逸らした。


「こんな夜は、ハイボールがいいだろう」


 この手の視線には慣れている。僕は気にせず、給仕に炭酸水と氷、そしてガラス製のタンブラーを持ってきてもらった。タンブラーに氷をたっぷり入れ、良く冷やす。ブランデーを指一本半ぶん注ぎ、マドラーでグルグルとかき回す。あとは炭酸水を注げば完成だ。

 ハイボールというとウィスキーで作るのが普通だが、ブランデー・ハイボール(フレンチハイボールともいう)もなかなかウマイ。まあ、爽やかな果実香がブランデーの持ち味だからな。炭酸水とは、案外相性がいいんだよ。


「ほう、これまた豪勢な飲み方じゃの」


 差し出されたグラスを見て、ダライヤ氏が感嘆の声をあげた。炭酸水はともかく(カルレラ市の近くには炭酸泉が湧いているのだ)、氷とガラス製のグラスはかなり貴重な代物だ。特に、夏場に氷を楽しむjことが出来るのは上流階級の特権といっていい。

 ファンタジー世界なんだから、氷くらい魔法でバンバン作ることが出来りゃいいんだけどな。温度を下げる魔法はひどく魔力を浪費するし、なにより魔法で製造した氷は真っ白で見栄えが悪いのだ。結局、透明な氷を楽しみたければ冬場に作ったヤツを氷室で保管しておくしかない。


「僕もめったにやらない飲み方だけどね。なかなかイケるよ。さあさ、どうぞ」


「では、お言葉に甘えて」


 ダライヤ氏は大ぶりなタンブラーを両手で持ち、口元に運んだ。容姿が容姿なので、子供に酒を飲ませているような罪悪感がある。実際は子供どころか、僕の何十倍も長く生きてるわけだけど……。


「ほう! ほうほうほう! これはいいのぅ。炭酸のおかげか、ブドウの香りが鼻の中を抜けていく。ふむーん、気に入った」


「それは良かった」


 ニッコリ笑ってから、僕の方もエルフ酒芋焼酎をあおる。本当に懐かしい味だ。自然にぐいぐいと飲み進めてしまう。それに釣られるようにして、ダライヤ氏も乾燥豆などをつまみながらハイボールをあっという間に飲み干し、お代わりまで要求してきた。なかなかいける口である。

 結局、給仕が夕食をもってやってくる頃には、二人ともかなり出来上がってしまっていた。酒が進めば、話も進む。あの蛮族エルフどもの長老とは思えないほど、彼女の話は軽妙洒脱で面白かった。


「そういえば……」


 夕食を食べ終わってしばらくたってから、顔をほんのり赤く染めたダライヤ氏がそう切り出した。彼女はすでにハイボールを五杯も飲み干していたが、正体を無くしている様子はない。童女めいた外見とは裏腹に、アルコール耐性はかなり高い様子である。


「今日の会議のことなんじゃが……オヌシは、我らエルフのことをさぞ野蛮な種族だと思ったことじゃろうな」


「……それは」


 なんとも返事をしづらい話題である。僕は芋焼酎の入った陶器カップをくるくると手の中で弄びつつ、小さく唸った。


「誤魔化さんでも良い。正直、ワシもヤツらのことは野蛮じゃと思っておる……」


「ええ……」


 いきなりのカミングアウトに、僕は困惑した。

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