第143話 ギャンブラー侯爵と大博打
わたし、バベット・ドゥ・グーディメルは困惑していた。辺境伯・宰相派閥の者たちは、驚くことに軍楽隊を引き連れて街中を行進している。報告を受けた時は見張りか伝令が泥酔しているのかとすら思ったが、どうやら事実らしい。
イライラしながら、わたしはぬるくなった豆茶を一気に飲み干した。視線は、指揮用天幕の外に向けられている。わたしたちの陣幕のすぐ隣には、第二連隊の連隊指揮所が設営されていた。しかし、味方に付いているのはこの連隊のみ。現状では、戦力が足りない。
「第四連隊はまだ参陣しないのか?」
「はい、催促の連絡は出しているのですが……兵たちの準備がまだ終わらないとのことで」
「昨日の時点で戦闘準備命令が出ていたのは知っているのよ……! 一兵たりとも動かせないなんて、そんなハズないでしょうが……!」
血がにじむほど強く拳を握りながら、わたしはなんとか叫びだしそうになるのを堪える。予想以上に、戦力が集まっていない。第二連隊にグーディメル侯爵家の私兵や陪臣などを加えた千数百名が、わたしの掌握している全戦力だ。
それに対し、敵方には第一・第五連隊が参陣している。未確認情報だが、降伏したはずの第三連隊も加わっているのではないかという話もあった。これほどの戦力差……とても勝てるとは思えない。
「相手方には王太子殿下がいらっしゃいます。おそらく、殿下に剣を向けたくないのではないかと……」
「なぁにが王太子殿下よ! こっちには国王陛下がいるのよ!」
もちろん、王太子殿下が敵方につく事態はわたしも想定していた。でも、こちらは国王陛下の身柄を確保しているんだからね。王太子より国王の方が、コマとしては強いハズじゃないの。普通に考えればそうでしょ?
「相手にはあのアルベール・ブロンダンがおりますからな……」
わたしのとなりで香草茶をすすっていた老参謀が、ぼそりと呟く。アルベール・ブロンダン。スオラハティ辺境伯とアデライド宰相の寵愛を受ける、男騎士……その名前は、もちろんわたしも聞いたことがある。彼は、いまやガレア王国で一番有名な下級貴族だろう。
「王都に住まう軍人で、第三連隊の精強さを知らぬ者などおりませぬ。それを僅か数時間で制圧してみせる手腕……どうやら、今までの報告書は虚偽のものではなかったようですな」
宰相や辺境伯と敵対することを決断した時点で、当然アルベールの資料も最大限取り寄せていた。しかし、彼の上げた戦果報告書の内容は、非現実的なものばかりだった。リースベンでの戦闘など、四倍か五倍の数の敵を相手に圧倒している。
いくらなんでも、これは
しかし……残念なことに、今回の件でアルベールの報告書は虚偽ではないことがハッキリしてしまった。たしかに、わたしだってあんな化け物と正面からぶつかり合いたくはない。こちらが戦力的に圧倒している状況ならまだしも、現状では相手の方が優勢なのだからなおさらだ。
「……そんなこと、わかってるわよ。当然、手は打ってるわ」
アルベールが居る限り、こちらに勝ち目はない。それは戦術指揮能力云々だけの話ではなく、彼我の士気の問題でもある。アルベールにビビって味方が集まらないのなら、そのアルベールを排除してしまえばいい。
現在、彼はフランセット殿下と共にパレードの先頭で行進しているという話だ。パレードなどと言っても、実際は単に移動隊形で街中を行軍しているだけ。戦闘隊形でないなら、ちょっとした攻撃でも大きなダメージを狙えるハズだ。そう思って、わたしは先ほど遊撃隊に攻撃命令を出していた。
「しかし、斬首作戦には失敗したのでしょう?」
「……まあね」
だが、結果は惨敗。どうやら、アルベールたちは周囲に護衛部隊を潜ませていたようだ。まあ、王太子殿下が矢面に立ってるワケだから、そりゃあ無防備なはずがない。やはり、軽武装・少人数の遊撃部隊などでは話にならないようだ。
「斬首作戦自体は、第三連隊も実施したようですしな。同じような作戦の焼き直しが通用するはずもない……」
「……そうね」
まともに戦おうと思えば、やはりフル武装の正規兵を使い他ない。幸い、数では圧倒的に劣勢とはいえ相手は移動隊形だ。まともにぶつかり合えば、一時的でも優勢を取れる。
「相手が体勢を整えて戦闘隊形になるまでは、こちらが有利よ。短期決戦を狙うべきね」
「だとすると、作戦目標は絞る必要がありますな」
老参謀が唸った。偵察の結果、敵は四千人を超える戦力を保有していることがわかってる。ゆっくり戦っていたら、別動隊に回り込まれて包囲殲滅されてしまうでしょうね。一撃を加えて、そのまま離脱。おそらくは、それが私たちの限界……。
「第一目標は、アルベールの殺害ないし確保、第二目標はフランセット殿下の
「そんなもんでしょうね。そして目標を達成し次第、そのまま撤退。相手の混乱に乗じて態勢を立て直す……そういう作戦で行きましょう」
本来、時間をかければかけるほどこちらは不利になるわけだけど……そのままでは勝ち目がないのだから仕方がない。アルベールやフランセット殿下を確保すれば、明らかに時間稼ぎを狙っている第四連隊もこちらにつかざるを得ないだろう。そうして戦力を増やし、再度決戦を挑む。こちらの勝ち筋はそれしかないわね。
しかし、フィオレンツァ司教を取り逃がしたのが残念だったわね。第一・第四連隊がこちらにつかなかったのは、あの生臭坊主の工作によるものである可能性が高い。こちらに接触を図ってきた時点で殺しておけば、状況はもっとマシになっていた可能性が高いのに……。
「ええ、妥当な作戦かと」
頷く老参謀に第二連隊の連隊長を呼ぶよう指示してから、わたしは密かにため息をついた。従者が持ってきたアツアツの豆茶を口に含みつつ、我ながら分の悪い賭けだなと自嘲する。
しかし分の悪い賭けだろうが何だろうが、乗らなくてはならない理由がわたしにはあった。このままでは、グーディメル侯爵家はもう二度と政治の表舞台に立つことなく朽ち果ててしまう。そんなのはご免だ。
「ま、もし負けても歴史書にはわたしと侯爵家の名前が刻まれることになるのは確実。無名のまま消えていくよりは、愚かな反逆者としてでも歴史に名を遺すほうが余程マシでしょ」
ニヤリと笑ってから、わたしはそう呟いた。半分は強がりだが、もう半分は本音だ。乗るか反るかの大博打……悪くない。燃えてくるね。
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