第129話 聖人司教と催眠
避難民どものせいで、目的地であるドミニク大橋へたどり着くには普段の三倍の時間がかかった。何をするにしても、この避難民共が邪魔だ。大人しく家でジッとしていればいいものを……。
グーディメル侯爵はドミニク大橋に陣を敷き、王都各地から部隊を集めて(自称)鎮圧軍の編成にかかっているらしい。当然、大橋は一般人立ち入り禁止になっている。ワタシたちの馬車も、途中で止められてしまった。
「申し訳ありませんが、聖職者と言えどここを通すわけには参りません。どうぞ、お引き取りください」
そんなことを言っている警備兵の声が聞こえたので、ワタシは馬車から降りた。周囲を見回すと、大橋の周りには大勢の兵士が忙しそうに働いていた。路上には木製の馬防柵や天幕がいくつも建てられ、簡易拠点化が進んでいるようだ。
……結構、たくさんの兵隊が集まってるみたいねぇ。パパは、昨日の段階で王都防衛隊に出撃準備命令を出していた。侯爵は、あの老いぼれ国王の名前を使うことでそれらの部隊を横から掻っ攫っていったわけ。ちょっと許しがたいなぁ。
「司教様……!」
こちらの御者と問答していた警備兵が、ワタシの顔を見て表情を引きつらせる。
『フィオレンツァ司教とは……面倒なヤツが来た』
ふーむ、心を読む限りあんまり歓迎されてないみたいねぇ。まあ、そりゃそうか。ワタシは意識してにこやかにわらい、警備兵に歩み寄る。
「初めまして。パレア教区を任されております、フィオレンツァ・キルアージです。グーディメル侯爵殿にお目通り願いたく、参上いたしました」
まずは正攻法だ。司教ってのは、えらいからね。王侯だって、粗末には扱えない。
「それが……申し訳ありません。グーディメル様はご多忙でして……」
『フィオレンツァ司教は宰相派閥に肩入れしているから、面会を求められても門前払いしろ……という命令だったな。まさか本当に来るとは』
なるほど、向こうはワタシと宰相(まあ、ワタシが味方してるのはパパ個人なんだけど)たちとの関係を知ってるみたいね。名前だけの没落貴族かと思っていたけど、案外しっかりとした情報網を持ってるのかしら? 一応、この事件が始まるまでは表立って宰相派の貴族たちと関わるような真似はしてなかったんだけどなぁ。なにしろ、オレアン公陣営とも付き合う必要があったからね。
いや、単純にパパたちと一緒に戦場に出ている姿を見られただけかもしれない。教会がパパたちの陣営を支援しているというところを周囲にアピールするために、わざわざ目立つ形で参戦したわけだしね。これは仕方ない。
ワタシが参戦したところで戦力的には役立たずだってことは理解してたけど、それはそれとして司教というネームバリュー自体がパパを守る盾になるのよ。教会相手に剣を向けたい奴なんて、あんまりいないしね。まあ、それでも危ない状況がちょくちょくあったから、かなり肝が冷えちゃったけど……。
「それは……困りましたね。王都にこれ以上の混乱が広がることは、司教として容認できません。できることなら、侯爵殿の本意をお聞きしたかったのですが」
「しかし、これも命令ですから……大変申し訳ありません」
顔は申し訳なさそうな警備兵だけど、本音では『早く帰ってくれないかなあ』とか思ってる。嫌ねぇ、まったく。まあ、素直に通してくれるなんて、最初から思ってないけどさぁ。宰相派として動いている姿を見られていた以上、むこうはこっちを警戒するだろうしね。うーん、ここはあきらめた方が良さげ?
でも、もうちょっと頑張ってみようかな。うまく行けば、国王が監禁されている場所が判明する可能性もある。侯爵の戦略は、国王の身柄を確保してることが前提だからねぇ。それが奪い返されたら、もう王軍兵士たちに命令する方法はなくなる。手勢の少ない侯爵は、その時点でデッドエンドってコト。
「まあ、そう言わず……確認だけでも取っていただけませんでしょうか?」
困ったような顔をして、わたしは懐から銀貨入れの袋をチラリと覗かせた。それを見た衛兵は、ニヤリと笑う。
「……こちらへ」
『なんだよ、カタブツって話だったが……結構話がわかるじゃないか。まあ、そりゃそうだよな。この若さで司教になったんだ、裏じゃそうとうあくどい事もやってるだろうし……』
小さく頷いた警備兵は、ワタシの手を取って裏路地へ向かった。そりゃ、表通りでワイロのやり取りなんかできないもんねぇ? ……しかしこの警備兵、なかなか失礼ねぇ。
「グーディメル様にお取次ぎすればよろしいのですね?」
裏路地に入った警備兵は、周囲に人がいないことを確認してから銀貨入れを受け取った。その重さと感触を確かめると、彼女の顔に下卑た笑みが滲みだす。
『取り次ぐフリだけして、駄目でしたって報告すりゃあいい。カネは一度ポケットにいれちまえば、こっちのモンだ』
あらあら、悪いことを考えてるわねぇ? でも、こういうクズが信頼に値しないなんてことは、最初から理解している。このワイロは、あくまでこいつを人気のない場所に誘い出すための罠でしかないのよ。ワタシは無言で、自らの眼帯をはぎ取った。
「……ッ!?」
露わになったワタシの魔眼を見てしまった警備兵は、半分眠っているような表情になって動きを止める。これが、ワタシのもう一つの能力だった。
「侯爵がワタシを通すなって命令を出したのは、ほんとぉ?」
「え……? あ、ああ……確かに、司教は通すなと言っていた……」
泥酔したような様子で、警備兵は答える。目つきは不確かで、表情は茫洋としていた。
「ふうん……でもそれって、表向きのことなのよねぇ」
「表向き……?」
「貴族や聖職者ってやつは、あくどいものだからねぇ? 敵対しているフリをして、裏では繋がっている……そんなことは、日常茶飯事なの」
「なるほど……」
「実はワタシも、侯爵のスパイでねぇ? 宰相のところに潜り込んでいたの。いろいろ情報を奪ってきたから、侯爵に伝えなきゃいけないのよぉ。だから、ワタシを侯爵のところに連れて行ってほしいなぁ?」
この警備兵は、ワタシのことを躊躇なくワイロを渡してくる生臭坊主だと思っている。それを利用して、デタラメを吹き込もうという作戦だった。ワタシの魔眼を見た人間は、著しく判断力が落ちる。こうなれば、口先三寸で丸め込むのは簡単だ。無茶な話であっても、強引に納得させることも可能だった。
「……ん? いや……それなら手紙か伝令でいいのでは……?」
が、今回は催眠のかかりようが浅かった。疑問を取っかかりにして、警備兵の目にだんだんと理性の光が戻ってくる。……やっぱり駄目か!
うまく催眠をかけるには、相手がワタシを信頼している必要があった。本来ならある程度相手と付き合い続け、信頼関係を構築してから催眠にかけるのが常道だった。今回は非常時だから、一か八か初対面の相手に使ってみたんだけど……駄目みたいね。長い付き合いのあるパパやイザベルのようにはうまく行かない。
「魔眼を見るまでの記憶は忘れてね。はい、さん、にー、いち」
こうなってはもうどうしようもない。警備兵が完全に理性を取り戻す前に、記憶のリセットをかけることにした。ワタシが手を叩くと、警備兵は一瞬白目を剥く。それと同時に右目にひどい痛みが走った。まともに信頼関係を結んでいない相手の記憶を消すのは、負担が大きい。パパなら丸一日分の記憶を飛ばしたところで、ほとんど痛みなんてないのに……。
「……あれ、私はいったい何を」
ハッとなった様子で、警備兵が周囲を見回した。彼女が気を失っているうちに、ワタシも眼帯は再装着しておいた。痛みをこらえつつ、心配をしているような表情を顔に張り付ける。
「大丈夫ですか?」
「え? ああっ、申し訳ありません。ちょっとめまいが……ハハ」
自分の手の中にある革袋を見て、警備兵は慌てて頭を下げた。なくなった記憶は、催眠時のものだけ。ワイロについては覚えているから、彼女はすぐにそれをポケットにしまった。
「では、少々お待ちください。すぐにグーディメル様にお聞きしてきますので」
そう言って、警備兵は本営のほうへ戻っていった。侯爵に取り次ぐ気なんて、さらさらないのにね。……はあ、銀貨はどうでもいいにしても、貴重な時間を無駄にしちゃった。
まあ……侯爵の方は最初から駄目でもともとくらいの気分だったし、仕方ないか。次は、日和見をしている部隊の所に行こうかな。最初から敵対する気満々の侯爵と違って、こっちは比較的簡単に丸め込めるはずだから……パパの味方に付くよう
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