第97話 くっころ男騎士と聖人司教

 どんな身分にあっても分け隔てなく親身になって相談に乗り、貧民には私財を投げうってでも施しを与える。そんな評判を持つフィオレンツァ司教は、庶民から絶大な支持を得ている。告解やミサをやってくれという依頼は引きも切らず、本来ならば面会なら困難な相手だった。


「……」


 アデライド宰相と別れた僕は、パレア大聖堂の告解室で待機していた。ジョゼットや宰相につけてもらった護衛の方々は、隣の控室にいる。聖職者と信徒が一対一で罪の告白を行う告解室は非常に狭いので(とはいっても、キリスト教式の告解室ほどではないが)、大人数が詰めかけられるようにはできていない。護衛の意味があるのか、と思わなくもないが、まあ相手は戦闘訓練など受けたこともない素人だ。万一があっても助けを求めることくらいはできる。

 ボンヤリとしながら、星導教について思いを巡らせる。この宗教は我らがガレア王国の国教で、中央大陸の文明国の住人はほとんどこれを信仰している。元は占星術や星を用いた測位などを行っていた技術者の集まりだったらしいが、今となっては前世の中近世カトリック教会のような権威集団と化している。もっとも、崇めているのは神ではなく北極星だが。


「お待たせしました、アルベールさん」


 ドアの開く音がして、一人の女性が告解室に入ってくる。青白の司教服と、右目の黒い眼帯。なんともアンマッチな服装だが、何よりも目立つのは背中に生えた純白の羽だ。彼女の種族は翼人族。天使の末裔を自称する胡散臭い連中だ。同じ翼をもった種族である鳥人ハーピィと比べると、確かに天使のように見えはするのだが……。


「ああ、フィオレンツァ様。お忙しい中、ありがとうございます」


 相手は司教様だ。末端の下級貴族でしかない僕よりも圧倒的に偉い。椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。


「いいえ、とんでもない。わたくしも久しぶりに幼馴染と歓談できると思って、楽しみにしていたんですよ」


 僕みたいなのがなぜこんな大物と簡単にコンタクトが取れるのかというと、まあ簡単な話で昔からの付き合いだからだ。出会ったのは僕が幼年騎士団でシゴかれていたころだから、もう十年来以上の友人ということになる。

 フィオレンツァ司教は僕より三歳年下で、たしかにアデライド宰相言う通り司教としては異例を通り越して異様に若い。不思議と言えば不思議なのだが、宗教組織の例にもれず星導教内部には複雑極まりない権力機構が潜んでいる。何かあったんだろうな、とは思う。しかし藪をつついて蛇を出すわけにもいかないから、『どうやって出世したんだ?』なんてことは聞いたことがなかった。


「……できれば、思い出話に花を咲かせたいところではありますが。しかし、残念なことに時間がありません」


 司教服のポケットから出した銀時計をチラリとみて、フィオレンツァ司教はため息をついた。天使じみた翼と膝まで届く超ロングのプラチナブロンドを持つ可憐な少女が憂いの表情を浮かべている姿は、まるで宗教画のような荘厳さを感じる。


「ふふっ、そう褒めないでくださいな」


 少し顔を赤らめて、フィオレンツァ司教が言った。……バレてる! 細かな動作や雰囲気から読み取っているのか、彼女は昔から人の考えを言い当てるのが得意だった。信徒の悩みに寄り添うカウンセラーのような仕事も聖職者の役割の一つだから、この技術はさぞ役に立っていることだろう。


「アルベールさんは、分かりやすいですから」


 少し苦笑しながら、フィオレンツァ司教は言う。そのヒスイ色の左目がこちらに向けられると、まるで本当に心の奥底を覗かれているような気分になる。不思議な感覚だった。


「そうでしょうか?」


「ええ、わたくしからすれば……ですが。子供のころから、アルベールさんのことはずっと見てきましたから。他の方ではこううまくはいきませんよ」


「なるほど……」


 ずっと見てきた、なんて言われると照れるよなあ。まあリップサービスだろうけどさ。……フィオレンツァ司教の貴重な時間を浪費するわけにもいかないから、そろそろ本題に入るか。多忙極まる中で無理やり時間を作って会ってくれてるわけだものな。


「ところで、フィオレンツァ様。オレアン公の件なのですが」


「ええ、ええ。わかっております」


 フィオレンツァ司教はニッコリと笑って、僕の対面に置いてあった翼人用の背もたれのない椅子へ腰を下ろした。僕がリースベンに出立する直前に、彼女にはオレアン公の調査を依頼していた。あれからしばらくたつので、情報収集もそれなりに終わっているだろう。


「詳細な調査結果は、後ほどご自宅にお届けします。読後は必ず償却するようにお願いします」


「ええ、もちろん」


 オレアン公を嗅ぎまわっていることがバレたら、僕もフィオレンツァ司教もマズイ立場に置かれるからな。司教の厚意を無駄にしないためにも、情報漏洩の可能性は可能な限り下げておく必要がある。


「ここでは概要だけ話しますが……どうやら、教会内部にオレアン公に取り入り、私腹を肥やそうとしている一派が居るのは確かなようです」


「よくある話ではありますが、嘆かわしいものですね」


「ええ。教会は利益追求のための団体ではありません。極星様のお導きを民草に伝え、より良い未来へ進むための一助となるのが我々の責務。それを忘れてしまった者は、もはや聖職者とは呼べません」


 厳しい表情で、フィオレンツァ司教は頷く。


「奴らから見れば、僕は金の卵を産むガチョウを盗んでいった憎い男ということになります。そうとう恨まれているでしょうね」


「その通りです。……しかし、あの恥知らずたちはそれだけでは飽き足らず、さらなる恐ろしい計画を立てているようです」


「……というと?」


「ありていに言えば、クーデター。王を弑逆しいぎゃくし、その血塗られた手で王冠を奪おうというのです」


「……まさか! そんな大それた真似を……?」


 思わず、椅子から立ち上がりかけた。クーデターとなると、不穏どころの話じゃない。オレアン公は陰謀屋だが、だからこそそんな強硬手段に出るというのは意外だった。相当追い詰められない限り、そんな直接的な手は使ってこないイメージがあったのだが……。


「オレアン公爵家は、もともと王家の分家。にも拘わらず現国王は外様であるスオラハティ辺境伯や成り上がり者であるカスタニエ宮中伯家をばかりを優遇し、自分たちを顧みていない。そういう不安があるようです」


「……」


 たしかに、現国王はかなり開明的な人物で、実力があればどんな人間であれ重用する。そうでなければ、例え辺境伯や宰相の後押しがあったところで、男である僕がこうもスムーズに出世できるはずもない。保守派のオレアン公からすれば、面白くはないだろうが……。


「辺境伯軍は強力ですが、現在スオラハティ辺境伯はわずかな手勢のみを連れて王都に滞在中。おまけに宰相閣下の懐刀であるアルベールさんも、主力をリースベン領に残して帰還中。コトを起こすにはベストのタイミングでしょう」


「辺境伯、宰相、ついでに僕……三人の首をまとめて取るには、たしかに今が好機でしょうね」


 理屈だけ考えれば、その通り。確かにここ数年、宰相・辺境伯派閥が力を増していて、オレアン公派閥が相対的に弱体化しているのも事実だ。彼女からすれば、面白くはないだろう。しかしだからと言って、いきなりクーデターを仕掛けるか?

 ……いや、あり得ないと頭から否定してかかるのは危険か。万が一を想定して動くのも軍人の仕事だ。何があっても対処できるよう、準備だけはしておくべきか。


「先ほども申しました通り、詳細については紙面にまとめてあります。詳しいご判断は、それをお読みになってからでも遅くはないでしょう」


「そうですね……しかし、本当にありがとうございます。何とお礼を言っていいやら」


 もしも本当にクーデターが起きた場合、この情報がなければこちらの対処が遅れていたことは確実だからな。場合によっては、本当に国王陛下が弑される可能性もある。

 オレアン公爵家は王家の親戚ということで、大量の護衛を連れて王都に入ることを許されている。 その戦力を利用して電撃的な作戦を実行すれば……王の暗殺、および王女たちの確保は十分に可能だろう。たとえそれに失敗しても、オレアン公爵家の領地オレアン公国は王都から三日ほどの距離にある。すでに軍の動員が終わっているとすれば、即座にパレア市を包囲することだってできるはずだ。

 ……いかんな。悪い想像ばかりが頭に浮かんでくる。まだ本当にクーデターが起きると決まったわけでのないのにな。


「お気になさらず。他でもない、アルベールさんの頼みですから」


 そんな僕の内心を理解しているであろうフィオレンツァ司教は、愛らしい笑みを浮かべて頷いた。彼女が何を考えているのかは、僕にはいまいち想像ができない。


「裏が取れ次第、謝礼を送りますので」


「いえいえ、そんなものは必要ありません。だって……」


 花のような可憐な笑顔のまま、彼女は自らの右目の眼帯をはぎ取る。


「ワタシが欲しいのはぁ……あなたのココロとカラダだからねぇ?」


 その金色の瞳を目にしたとたん、僕の意識は遠のき始め――


「隣のお邪魔虫たちは眠らせてあるからぁ、たぁーっぷり愛し合って大丈夫だよぉ? 楽しもうねぇ、パパ・・ぁ」

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