第92話 重鎮辺境伯と寂しい帰路

「それでは、辺境伯様。ありがとうございました」


「ああ。万が一ということもある、くれぐれも身辺には注意しておくんだぞ」


「はい、もちろん」


 アルは笑いながら、私……カステヘルミ・スオラハティの馬車から出ていった。予想通り、王都へはスムーズに入ることが出来た。いかなオレアン公とはいえ、辺境伯たるこの私と正面からコトを構える覚悟はないだろう。今のところ、妨害らしい妨害もない。

 城壁の内側へ入ってすぐ、アルとは別れることになってしまった。いろいろと用事があるらしい。国王陛下も忙しいお立場だから、王都に帰ってきてすぐ謁見というわけにはいかない。それまではゆっくり休んでもらいたいところだが、そうもいかないようだな。まったく、彼はいつ見ても忙しそうにしている。


「はあ……」


 せっかくの一年ぶりの再会だというのに、話す内容は面白みのない政治やら陰謀やらのことばかり。本当に嫌になる。お互いの近況やとりとめのない雑談なんかの、面白い話題は全く出てこなかった。それが妙に寂しい。晩餐会の誘いも断られてしまった。彼と一緒にとる食事ほど楽しいものはないのに、とても残念だ。

 それ以上の下心がないと言えば、嘘になる。夫と死に別れてからすでに十数年、ご無沙汰なんてレベルじゃない。もちろんセックスはしたいし、それがムリなら添い寝でもいい。彼を屋敷に招くと必ずそんな考えが沸いてくるが、そのたびにソニアの顔が脳裏にちらついて毎回何もせずに帰してしまう。

 去っていくアルの背中を、馬車の窓から眺め続ける。彼が見えなくなった辺りで、馬車は再び動き始めた。ああ、寂しい。別れたくない。アルについていきたい。


「……」


 自分以外誰も居ない馬車の客室で、私は天を仰いでもう一度ため息をついた。気持ちを持て余しているような感覚が、ずっと私の心を苛んでいた。

 彼……アルベールと出会ったのは、彼が五歳、私が二十歳の時だった。当時、ソニアはひどく荒れていた。一年前に父親、つまりは私の夫が流行り病で亡くなったせいかもしれないし、同年代はおろか年上の少女騎士たちですら相手にならないような天性の剣の才能に慢心していたせいかもしれない。

 とにかく、あの時のソニアは私の手に負える状態ではなかった。『中央の気風を学ばせる』などという建前で、本領であるノール辺境領から遠く離れた王都の幼年騎士団に入団させたほどだ。幼年騎士団というのは、騎士志望の子供たちとベテランの教導騎士たちが集団で訓練し、騎士としての所作や戦技を数年かけて学ぶガレア貴族特有の風習のことだ。


「あの頃はひどかった……」


 ソニアの荒れようは尋常ではなかったし、私自身夫の死を乗り越えられず鬱々とした日々を送っていた。思い出すだけで寒気がする。

 そんな日々を送る中、幼年騎士団にソニアを預けるために王都を訪れた私は妙な話を聞いた。やたらと剣が強い男の子が居るというのだ。興味を引かれた私は、娘とともにその男の子……つまりはアルに会いに行った。ソニアと立ち会わせてみると、なんと娘は一撃で負けたのだ。私はひどくショックを受けた。一目ぼれだった。


「……」


 思えば、私は子供のころからちょっとおかしい所のある女だった。ガレアに伝わるおとぎ話に、『赤の聖騎士』というものがある。悪い魔法使いに攫われた王子様を騎士が助けに行く、たわいのない童話だ。私はこの『赤の聖騎士』が大好きだった。

 しかし、私が感情移入していたのは騎士などではなく、王子様のほうだった。騎士を待つ王子様の気分になって、いつもドキドキしながら絵本を読み進めたものだ。

 それに気づいた母(つまりソニアの祖母)は私を殴りつけ、それでも次期辺境伯かとひどくなじった。あれほど傷ついた出来事は他にない。


「今からしてみれば、母も悩んでいたのかもしれないが……」


 とにかく、その事件を機に私は自分の性癖を隠しはじめた。私は一人っ子で、辺境伯を継げるものは他に居なかった。マトモな女のフリをする必要があった。成長していくにしたがって、『守るより守られたい』『手を引くより手を引かれたい』なんて思っている女では貴族家の当主は務まらないことに気付いてしまったからだ。

 それでも未練がましく夫(当時は許嫁だったが)に甲冑を与えて剣を振らせたりしてみたが、最終的に夫には「もう許してほしい」と泣きながら懇願されてしまった。只人ヒュームは、男は……心も体も戦うようにはできていないのだ。流石に申し訳なくなって、それ以降私は自分の性癖を完全に封印した。


「……」


 その封印を完膚なきまでに破壊してしまったのが、アルだった。彼は強く、優しく、そして賢明だった。私は極星に感謝した。ああ、彼こそが私の騎士様だったのだと、そう思った。

 しかし当時の彼はまだ五歳、ソニアと同い年だ。まさか手を出すわけにもいかない。私は彼の母に頼み込み、彼を自ら教育することにした。自分好みの男に育てるためだ。結果的に、アルは私の好みど真ん中の青年に育ってくれた。

 アルが十五歳になった日、私は彼の寝床に突撃しようとした。アルはどんどん魅力的になっていくというのに、自分はそれに反比例するように年老いていく。それが恐ろしかったからだ。私はアルを抱きたいのではなく、アルに抱いてもらいたかったのだ。出会った時には気にも留めなかった年齢の差が、私にとっての最大の問題になっていた。


「……あれは悪いことをした」


 アル用の女性用礼服と自分用の男性用ドレスまで用意して実行した夜這いだが、あえなく失敗した。なぜかアルの隣の部屋に潜んでいたソニアに迎撃され、窓から投げ落とされてしまったからだ。あとはもうひどいものだ。マウントを取られ、ボコボコになるまで殴られた。相手は王都の剣術大会で優勝するような天才だ、自身の衰えを自覚し始めた私が勝てるはずがない。

 私は、ソニアもアルのことが好きだったという事実にそれまで気づいていなかったのだ。私は自身の不明を恥じたが、事態はすでに手遅れになっていた。ソニアのほうは、私がアルに向ける熱っぽい視線に気づいていたらしい。夜這い事件を機に、ソニアは家を出ていった。


「ソニア……」


 ソニアは優秀な娘だ。政治・軍事ともに突出した才能を持つ、百年に一度の天才。彼女の下にも双子の娘がいるが、どちらも『それなりに優秀』以上の存在ではない。次の辺境伯は、絶対にソニアに任せたい。私は妥協することにした。本当ならアルには私の後夫になってもらうつもりだったが、正式な結婚相手はソニアとする。そして裏では私の愛人にもなって貰う。ベストではないが、ベターな未来だった。

 辺境伯の夫として相応しい地位をアルに与えるべく、私は彼の出世を強力に後押しした。そのことはソニアにも伝えている。にも関わらず、彼女は私の元に帰ってこない。次期辺境伯よりもアルの副官としての立場の方が魅力的だと感じているのだろうか? それとも、まだ私に対する怒りが収まっていないのか……。そう考えると、私は胃にジリジリとした痛みを覚えた。


「はあ……」


 何にせよ、時間はない。ソニア、早くアルと結婚してくれ。アルが抱きたくなるような女で居続けるべく、美容には金も時間もつぎ込んでいる。しかしそれにも限界があるだろう。手遅れになる前に、どうか私に機会をくれ。もう一人寝はいやなんだ。寂しいんだ。

 ソニア、我が娘よ。あまりノロノロするんじゃない。私はお前が「なんだあのナマイキな男は」と地団太を踏んでいたころから、アルに恋をしていたんだ。私の方が先に好きだったんだから、優先権は私にあるはずだ。違うか? いよいよもう限界だ。もう一年待つくらいなら、私はお前と決定的に決裂してでもアルに抱かれに行く。後は野となれ山となれ、だ。

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