第72話 くっころ男騎士と終戦

 逃げる近衛隊の背中を追い回し、僕たちは攻勢を続けた。アレクシアは途中で反転攻勢を仕掛けてきたが、すでに期は逸していた。攻勢に次ぐ攻勢、双方の兵士の命を石臼に投げ込んですり潰すような悲惨な戦闘の末、僕たちは伯爵軍の本営直前まで迫っていた。気づけば日も暮れ、真夜中と言っていい時間になっている。


「いったい、敵はどう出てくるかね」


 かがり火一つ焚かれていない敵陣の様子を見ながら、僕は呟いた。今夜は満月、明かりがなくとも敵の様子は丸わかりだ。敵兵たちは身を寄せ合い、戦斧や槍を構えながらこちらを睨みつけている。

 ライフルで一斉射撃すれば一網打尽に出来そうな密集陣だが、こちらにはもうほとんど弾薬が残っていない。それどころか、戦闘可能な兵員自体が五十名を割り込む始末だった。危険な攻勢を続けた結果がこれだ。

 こうなることは、プランCの実行を決心した時点でわかっていた。当たり前だが、守るより攻める方が被害が大きくなるものだ。だからこそ、守勢中心の立ち回りが出来るよう作戦を立てていたのだが……アレクシアの参戦によって、その目論見は完全に崩れた。


「降伏か、徹底抗戦か……それが問題だな」


 そう言ったのはヴァレリー隊長だ。土や血にまみれ、生傷だらけで軍装もボロボロになった彼女の姿はほとんど敗残兵のような有様だった。もっとも、それは僕を含めて全員同じことだ。しかし、皆一様に目だけはギラギラと輝いている。物資が尽き兵員も大幅に減少した以上、この機を逃せば敗北は必至だ。勝利を望むなら、相打ち覚悟でも突っ込む他ない。


「相手は夜目の利きにくい牛獣人。突撃をかければ、敵将を討ち取ることは可能だろう。もっとも、こちらも反撃でどれだけ死ぬやら分かったもんじゃないが」


「今さらですぜ、代官様」


 兵士の一人が蓮っ葉な口調で吐き捨てた。


「あとひと踏ん張りってところでイモ引くようなヤツはうちには居ません。あのお高く留まった帝国の騎士どもに一泡吹かせないことには、死ぬに死ねませんからね」


「一泡どころか十泡くらい吹いてそうだけどな、すでに」


「ハハッ、違いねえ」


 くぐもった笑い声が、部隊中に広がった。こんな状況なのに、士気は落ちていない。頼もしい限りだ。しかし、突撃はかけたくない。この攻撃を最後に、我が部隊は戦闘能力を完全に喪失するだろう。本当に相打ちになってしまう。

 一番の問題は、アレクシアの部隊だ。彼女らは完全に敗走し、数十の首が討ち取られている。それでも、まだ戦闘力は残しているはずだ。現在はどこかに潜んでいるようだが、戦闘中に漁夫の利目当てにまた前に出てくる可能性も十分にある。そうなったら僕たちはもうおしまいだ。


「しかし、一応礼儀として降伏勧告はしておこうじゃないか。むこうも、開戦前に淑女的な降伏勧告をしてくれたわけだからな」


「ああ、ありゃあ傑作だった! ハハハ……」


 笑う兵士たちに手を振ってから、僕は兜の面頬を降ろした。月明かりが照らす山道をゆっくりと歩き、敵陣の前に出る。


「これ以上の戦闘は無意味である! 武器を置き、白旗を揚げよ! 我々は投降者をむげには扱わない」


「ふざけるなー! 王国の魔男が!」


「そんな小勢で何が出来る! 降伏するべきなのは貴様らだ!」


 当然、敵陣からは猛烈なブーイングが返ってきた。しかし、その声は震えていた。彼女らも、自身がのっぴきならない状況に追い込まれていることは理解しているだろう。まあ、やせ我慢だ。もっとも、やせ我慢をしているのはこちらも同じことだが。


「一週間以内に、本国からの増援が到着する。まずは、一個連隊。さらに後詰で三個中隊。奇跡的に我々を打ち破ったとして、諸君らにこれだけの戦力を相手に戦闘を続行できるだけの戦力が残されていると思うのか?」


 僕はそう言い返した。もっとも、発言の半分は嘘だ。増援が到着するには二週間近くかかる。しかし、戦場にいる彼女らにそれを確かめるすべはない。案の定、敵の間でざわめきが広がった。

 こちらの増援のことは、考えないようにしていたのだろう。危機的状況に陥った人間は、つい目の前の問題に対処することだけに集中してしまいがちになる。一種の現実逃避だ。


「次の戦場はリースベン領ではない、ズューデンベルグ領だ。想像してみるんだ、諸君らの故郷や領地の田畑が王国兵の軍靴で踏みつけられている様を。この期に及んで戦いを続けるのは、無益を通り越して有害である!」


 しばらくの間、これといって反応はなかった。ただ、ざわめきだけが増えていく。しかしそのうち、敵陣の一角で松明が点火された。やがて、数名の女たちが前に出てくる。シーツか何かの切れ端で作ったと思わしき急造品の白旗が、松明のぼんやりとした明かりに照らされていた。


「武装はしていないようですね」


 僕の傍らに控えるソニアが、小さな声で報告した。たしかにその一団は誰一人として剣も斧も携えていない。軍使としての体裁は整っている。


「とはいえ、油断は禁物です。ご注意を」


「もちろん」


 窮鼠猫を噛む、というのはよくある話だからな。油断させて短剣で一突き、なんてことも考えられる。


「こちらはズューデンベルグ伯爵名代、ルネ・フォン・ディーゼルである。降伏の条件に付いて話し合いたい!」


「承知しました。ゆっくりとこちらに歩いて来てください」


 口調がぞんざいにならないよう気を付けながら、僕は言い返した。僕自身、ずいぶんと疲労困憊しているからな。気を抜いたらボロを出しかねない。しかし、相手は伯爵名代。僕より貴族としての格は高い。敗者と言えど、丁重に扱う必要がある。

 白旗を掲げたまま、伯爵名代たちは指示通りゆっくりこちらへ近寄ってきた。たしか、彼女はディーゼル伯爵……ロスヴィータの妹だったか。姉妹だけあって、巨躯なのは同じだ。しかし面頬を上げて露わになったその顔には、隠し切れない疲労と不安の色がある。


「リースベン代官のアルベール・ブロンダン男女爵です」


 名乗っておいてなんだが、よくわからん称号だよな、男女爵。いや、前世の世界にも女男爵とかいたけどさ。

 まあ、それはさておき伯爵名代と握手を交わす。体格通りの大きな手だったが、微かな震えがあった。


「単刀直入に聞きますが、降伏の条件は?」


「無条件降伏とは言いません。しかし兵員に関しては、すべて領地へ帰していただきたい。こちらは寡勢、軍がにらみ合ったままでは安心して眠ることもできませんから」


「……武装解除を求められなかったこと、感謝いたします。他には?」


 そりゃあ、僕の手勢はもう五十人ばかりしかいないからな。まだ数百人は残っているであろう伯爵軍の武装解除を監督するのは並大抵のことじゃない。それならば、いっそ帰ってもらったほうがマシだ。

 ……アレクシアの一味に関しては、そうもいかないだろうが。本当にどうするかね、あいつら。さすがに名目上の雇い主が降伏した以上、戦闘を継続するのは名目が立たないだろう。しかしあの先代皇帝のマッドっぷりを見るに、あまり安心はできない。


「あの傭兵団に関しても、幹部級以外はいったんズューデンベルグ領で預かっていただきたい。連中が何かをしでかしたら、降伏を反故にしたと判断させていただくので、ご注意を」


「ずいぶんと警戒されていますね。たしかに、尋常の傭兵ではないようですが……」


 伯爵名代は不思議そうに小首をかしげた。彼女はあの傭兵団の正体を知らないのだろうか? シラを切っている可能性もあるが……今はまあいい。話を本題に戻そう。


「連中には、随分苦労させられましたので……それはさておき、です。和平交渉のため、ルネ伯爵名代殿にはリースベン領に来ていただきたい。もちろん、護衛の同行も許可しましょう」


「承知いたしました」


 無念そうに、伯爵名代は頷く。まあ、この辺りが落としどころだろう。あまり多くの要求をして、やっぱり降伏やーめた! とか言われたら困る。


「実際の和平交渉については、自分ではなくガレア本国から担当者が来る予定です。……現状、こちらからお伝えできる情報はこの程度です。いかがされますか?」


「……致し方ないでしょう。ここまでくれば、もはや我らに選択肢はありません。どうぞ、寛大な処置をお願いしたく」


 口を一文字に結んでから、伯爵名代は深く頭を下げる。それを見た僕は、一瞬意識が遠のくほどの安堵感を覚えた。これでやっと戦いが終わる……。

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