九月に入り、学校が
九月に入り、学校がはじまった。
晩夏とはいえ日中の気温はまだ高く、秋の気配は遠い。
放課後、れのんは教室の窓際にある自分の席から外を眺めていた。本日も晴天。開け放した窓からはそよそよと風が吹き込み、クリーム色のカーテンを揺らしている。
れのんが二階から見下ろす円島女子商の中庭には、レンガを畳んだ通路と、季節ごとの草花を楽しめる花壇があった。いまそこでは体操着の園芸部員たちが、冬に咲く花の植え替えに忙しい。どこか遠くから金管楽器の音色が流れてくる。吹奏楽部の合奏練習。ホルストの組曲だ。その旋律に眠気を誘われたのか、れのんは大きなあくびをひとつ。
「あーん、れのんちゃん動かないで」
言ったのは浮谷早苗だった。
「いやだって、この体勢でずっといるの、けっこうきついんだけど」
不満げなれのんが首を後ろに回し、背後の早苗を見る。
「自然にしてて、自然に。ほら横を向いて」
れのんの後ろの席でクロッキー帳に向かっていた早苗は、鉛筆の先を振ってそう指示する。れのんは机に頬杖をつき、ふたたび窓の外を眺めるポーズを取った。
あの夜から一週間足らずが経過していた。霊子ガンで早苗を撃った翌日、れのんは彼女の家を訪ねてみた。早苗はすべて憶えていた。とはいえ、彼女はあれを夢のなかの出来事だと思っているようだ。れのんも、敢えて真実を明かすことはしなかった。夢と現実が半分ずつの、不思議な体験。それでよかった。
景吾という男の子もあれ以来、元気を取り戻しつつある。日を改めてれのんと早苗が会いにいったとき、もう心配しなくてよいと話したふたりに彼は懐疑的だったが、実際に身辺でおかしなことが起こらなくなって精神が安定してきたようだ。早苗のほうも自分と向き合い、胸のつかえが下りたのだろう。以前の彼女とは見違えるほどに明るくなった。
で、今日である。
早苗は急に思い立ったように、れのんへ絵のモデルとなるのを頼んできたのだった。自分とれのんが友達となった記念らしい。ふたりはもう下の名前で呼び合い、軽口をたたく間柄になっている。
「でも、こんなんでいいの? せっかく描くんなら、もっとちゃんとした構図にすればいいのに」
と、じっとしているのが退屈なれのんが言った。
「たとえば?」
早苗が訊き返す。急に振られたれのんは口ごもった。すると早苗はにやりとして、
「大胆ヌードとか?」
「う、それはちょっと……」
「わたしはかまわないよ、れのんちゃんが脱ぎたいんなら。そうだ、いつかやろうよ。わたしも人物のデッサン勉強したいし」
やぶ蛇だった。割と本気な様子の早苗に、れのんは尻込みしつつ、
「モデル料、高いからね!」
「ふふ。そこはお友達価格で」
笑いながら早苗。
着信音が鳴った。早苗のスマホだ。早苗は机に置いてあったそれを手に取り、ディスプレイを見る。
「あっ」
メールかなにかのメッセージを読んだ早苗が、小さな声をあげた。
「なに、どしたの?」
「れのんちゃん、ごめん。わたし、急用ができちゃったみたい」
「急用って?」
「うん。ちょっと、人に会う約束」
「えー、いまから? 誰と?」
れのんが訊ねると、早苗はすっと視線を外して頬を赤らめた。
「えっと、景吾くん。彼、最近はもう外を出歩けるほどに回復してるの。それでね、いま学校の近くにきてるから、いっしょに画材屋さんにいかないかって。絵画教室にもまた通うことにしたんだって。わたし、できるだけ彼の力になってあげたいから──ね?」
あーはいはい、さようでらっしゃるわけですね。
事情をのみ込んだれのんは、さすがにそれ以上とやかく言うのをやめた。
「ほんとにごめんね。このつづきは、また今度」
速やかに帰り支度を調えた早苗は、とっとと教室を出ていった。
友情と恋愛感情を天秤にかけたなら、こうなるのも無理はない。
ひとり残されたれのんは、軽い孤独感から逃れるように廊下へ出た。窓から外を覗くと、学校の正門に学生服姿の男の子が立っているのが見えた。
景吾だ。女子高に他校の男子生徒が誰かを迎えにきたとなれば、興味を引いて当然だったろう。下校する円商の生徒からじろじろと遠慮のない視線を浴びて、彼はまさに見世物状態。遠目にも居心地が悪そうだ。
そのうち昇降口から早苗が出てきて、ふたりは並んで歩きはじめた。青春である。
と、また着信音。今度はれのんのスマホだ。
れのんがスカートのポケットからスマホを取り出してみると、かけてきた通話相手は針村孝士だった。なんの用事かは予想がつく。またどこかで、厄介な幽霊が現れたのだろう。
早苗は彼氏とデートで、あたしは幽霊とか。
れのんは小さく息を吐いて、通話ボタンをタップした。
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