第31話 一旦
今私は王都の端に小さな一軒家を借り、エルタとマリー、通いの使用人たちと慎ましく暮らしている。
神殿を飛び出すと、参拝に来ていたアリーゼ様とフェンリー様にかち合った。そうして動揺する私にフェンリー様は何やら訳知り顔で、フォー子爵を通し私を匿ってくれたのだ。
『ぶふっ、叔父上……自信満々だったくせに……安心しきって詰めを誤るとか、まだまだだな……』
フェンリー様は何やら独り言を呟いていたが、口元を覆い言いにくそうにしていたから、追求はしなかった。
『あの、でもやっぱりちゃんとお話した方がいいのでは……?』
不安そうにするアリーゼ様の肩を撫で、フェンリー様は優しく諭す。
『アリーゼは優しいね。でもレキシー様にも落ち着く時間が必要ですよ、ねえ?』
私はその言葉に頷いた。今はとてもイーライ神官の顔をまともに見られる気がしない。
そうして彼は心配するアリーゼ様を宥め、密かに借家も用意してくれたのだ。
生計を立てる為には絶対に働かないとならないし、それにはやはり王都は都合が良かった。かと言って喧騒で過ごすにはまだ心が回復していなかったから、フェンリー様はとても理想的な場所を提供して下さったと思う。
王都中心部から馬車で片道二時間の小ぶりな一軒家。私は喜んでその提案を受け、エルタとマリーと共にささやかな暮らしに興じていた。けれど、
「──離して下さい、イーライ様……」
結局私は彼に見つかった。
◇
一年前、私はイーライ神官のしでかした事をとても怒った。
子供を亡くしたと言われた喪失感と悲しみは、他に言いようが無かったのだ。
ただ、一方であれがなければ、私はウィリアムとの記憶に苛まれ、打ちひしがれ、或いは自棄になっていたかもしれない。
そしていずれ産まれた子供を愛せず、虐げていた可能性もあったかもしれないと、そう思うようになっていった。
だから「イーライ神官は、私が嘆く様を素知らぬ顔で聞いていたのだ」と湧き上がる怒りと共に、「本当にそうだったろうか」という疑念も込み上げた。
そもそも彼が嬉々としてそんな事を行うようには思えない。
彼はいつも一緒に祈ってくれていた。
亡くなった子が天に召され、女神の元に迎えられ安らかに眠る事を。
私の気が済むまで、ずっと……
そんな考えが頭を掠めれば、私は彼を憎む事も、恨む事も出来なくなってしまったのだ。
私はイーライ神官の好意を知らず、ずっと婚家や実家の話をしてきた。そんな私の悩む姿を見て、イーライ神官にも葛藤があったのではないだろうか。
そう考えると益々居た堪れなくなってしまい。彼ばかりが悪い訳ではなかったのだと、そう思うようになった。
「──レキシー様って本当にお人好しですよね」
そうマリーに呆れられて。
「私はお嬢様が幸せになれるのなら良いのですが……」
物言いたげなエルタに申し訳ない気持ちにもなった。
エルタとマリーには散々謝られた。
特にマリーはイーライ神官に命じられてドリート家に入ったそうで。私の事を報告する日々に罪悪感を感じていたらしい。
だから一緒に来て欲しいと誘った時は随分泣かれてしまい、宥めるのが大変だった。
そんな事までしてたのかと、イーライ神官への呆れ半分の気持ちの中には、微かな感謝が確かにあって。
私は実に半年ぶりにイーライ神官に手紙を書いた。
お腹にいなかったのだと知っていても、子供を失くしたあの時の喪失感は消えない。だからとてもそれを許せる気持ちは無いのだけれど──
私の事を考えて行動してくれた事には感謝していると、その旨を書いた。
「……これ以上は、書けないわね……」
そっと羽ペンを机に戻す。
彼の厚意に憤慨し、あの時私は二度と会いたくないと神殿を飛び出してしまったのだから。
今更もう呆れられているかもしれないし。だからせめて感謝だけでも……そう思いマリーに託したところ、彼女は片道二時間の道程を往復三時間で戻ってきた。
具合でも悪くなり引き返して来たのだろうかと馬車に駆け寄れば、切羽詰まったイーライ神官が馬車から飛び降りてきて目を丸くした。
「レキシー!」
「イ、イーライ神官様? お久しぶりです……その、お元気でしたか?」
ぎょっと後退る私に構わずイーライ神官はのしのしと歩み寄る。
「全く元気じゃなかった! 君がいなかったから! もう嫌われてしまったと……このまま会ってくれかったらどうしようかと……!」
イーライ神官の顔色は悪く、やつれたように見える。細くなった面立ちにぎょろっと目が浮いている様子は申し訳ないが些か怖い。
「わ、分かりました。私もお話出来たらと思っておりましたから、その、どうしましょう、お茶を淹れましょうか──?」
逃げるように視線を彷徨わせれば、ぐったりとしたマリーが馬車から降りてきたところを見て閉口してしまう。
……相当無理してきたらしい。
ちらりとイーライ神官に視線を向ければ、今度は捨てられた犬のような顔でこちらを凝視している。
視線が痛い。
こんな顔をされると、私が悪いみたいに思うのは何故だろうか。
「イーライ神官様」
意を決してそっとイーライ神官の手に触れると、彼は驚きに身体を強張せた後、直ぐにその場に傅いた。その手を額に押し付け請い願うように口にする。
「レキシー……結婚してくれ」
「はいい?」
まずは挨拶とか謝罪とかでなく?
「えっ、結婚ですか?」
そう問えばイーライ神官は激しく首肯した。
「……私は私のした事に罪悪感を持っているけれど、それはあなたを手放す理由にはならない。大人しく身を引いて他の誰かに譲るなんて無理だ、考えられない」
誰かなんて、まだそんな事を言っているのか……呆れたような懐かしいような、そんな忘れられない情が込み上げるけれど。
「──離して下さい、イーライ様……」
「嫌だ」
……自分で呼んだようなものかもしれないが。
いつの間にかしっかりと握り込まれた手に戸惑っていると、イーライ神官はじっと私の目を見つめてきた。切実さを含むその眼差しに躊躇いがちに口を開いた。
「……その、あなたは……まだ私が好きなんですか?」
「はい、ずっと」
間髪入れない返事に言葉が詰まる。
なんて物好きな、と笑い飛ばせたら良かったのに。
「……馬鹿ですね」
私の心は頑なになる事なく、柔らかく解れ絆されてしまった。
「レキシー」
そんな子供じみた減らず口くらいでしか抵抗出来ないくらい、嬉しい。
だからもう観念しようと思う。
「私も、ずっとあなたが好きだったんですよ」
「……っ!」
そう言って跪くイーライ神官に被さるように、私は彼を抱きしめた。
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