第212話 51日目⑪ケサランパサラン

 ケサランパサラン──それはフワフワの白い毛玉のような見た目で風に乗って宙を漂い、捕まえることができたら幸せになれると言い伝えられている未確認生物UMAの一種。日本では江戸時代以降の民間伝承で多くの目撃例があるがその正体は謎に包まれている。だからこそ──


「ケサランパサランだよ」


 周囲に漂う匂いの正体がケサランパサランだと言えば、案の定、ガクちゃんがジトッと胡乱うろんげな目をする。


「ふーん、ケサランパサランね。……捕まえたら幸せになれるっていう謎生物か。…………おい、さすがにからかわれてると分かるぞ」


「いやいやからかってないデスヨ。ここには伝説の生き物のネッシーまで生存してるんだからケサランパサランがいてもおかしくないっすよ?」


「目が泳いでるぞ。同じUMAでも過去に実在した古生物と空想上の幻獣はそもそもカテゴリー違うだろ。この島にそんなファンタジー要素はないぞ」


「あう。さすがにガクちゃんには通用しなかったか」


 ペロッと舌を出してみせればガクちゃんが呆れたように肩を竦める。


「それで? 本当は?」


「ケサランパサランの正体かもって言われてる植物があると思うんだよね」




 一度仮拠点に戻って、2人で両手いっぱいに持っていたミツカドネギの球根を食材ストック用の篭に下ろし、改めて採集の準備を調えてから林道に戻り匂いを頼りにその植物を探す。

 ほどなくして、周辺の木々に蔓を絡めながら繁茂し、小さい花をアジサイみたいな感じでたくさん咲かせているその植物を見つけた。この林の中は風がほとんど吹かないから花の匂いがかなり濃く充満している。甘い……というか甘ったるい匂い。車の芳香剤でありそうな感じ。


「あは。見ぃつけた! やっぱりあったね」


「あ、こいつかー。山でもちょくちょく見かけてたからずっと正体が気になってたんだよ。ヤマイモと特徴は似てるけど違うよな?」


 確かに木に巻きついて成長する蔓植物で、ハート型の葉っぱが二枚一組の対生になっているという特徴はヤマイモと同じだ。でも、ヤマイモの葉っぱは細長いハート型なのに対し、この植物の葉っぱはサトイモの葉っぱみたいなやや丸みのあるハート型で、葉脈の模様がはっきり浮き出ているという特徴がある。


「これはね、ガガイモっていう芋の仲間なんだけど、芋には毒があるから食べれないからね」


「へぇー、これガガイモっていうのか。やっと名前が分かってスッキリしたよ。芋が食べられないのは残念だが、有用植物だって言ってたよな」


「うん。なかなかの有用植物だよ。根には毒があるけどそれ以外の部分は食用になるし、葉や蔓を千切ると白い乳液っぽい汁が出てくるんだけど、これに解毒効果があるから、毒虫なんかに刺されて腫れてるところとか、できものの膿の吸出しにも使えるよ」


 そう説明するとガクちゃんが嬉しそうに笑う。


「毒消しか! そりゃあいい! 確かに探す価値がある有用植物だな!」


「でしょ! でもね、それだけじゃなくてガガイモからは綿わたが採れるんだよ。だから集めれば有効活用できるんじゃないかなって」


「マジか! それができるなら本当にありがたいな。その綿はどうやって採るんだ?」


「ちょっと待ってね。この時期ならもうあるはず……あ、あった」


 ガガイモの花期は長く、8月頃から咲き始めて早い順に結実していく。受粉に成功した花は奥にある子房が膨らんで、表面がでこぼこのゴーヤーに似た実へと成長して最大20㌢ぐらいに達する。今はもう10月だから実もある程度できてるはず、と探してみれば、思った通り10㌢ぐらいまで育っている青いゴーヤーに似た実が見つかった。


「これがガガイモの実ね。これはまだ若い実だから青くて柔らかいけど、成長した実は外側が豆のさやみたいに硬質化して茶色くなるの。この中にタンポポの綿毛を大きくしたような種子が大量に詰まってて、時期が来たら莢が割れて中から真っ白いフワフワの綿毛が飛び出して風に乗って飛んでいくんだけど、それがケサランパサランの正体だって説もあるの」


「なるほど。その綿毛を回収すれば綿として使えるってことか」


「そういうこと。日本では昔から朱肉とか裁縫用の針山なんかに利用してたらしいよ」


「……あまり多くの実は採れなさそうだもんな。小物に使うぐらいが精一杯か」


 ガクちゃんが辺りを見回して、花がたくさん咲いている割に実が少ないことに気づいたみたい。そうなんだよね。たしかにガガイモは受粉に昆虫の媒介が必要なんだけど、花の構造上、媒介できるのが口が長いストロー状になっている一部の虫に限られちゃうから結実率が低い。今も花の周りにはカナブンやハチやスズメガが飛び回っているけど、この中で受粉を媒介できるのはスズメガだけだ。


「結実率が低い植物だからね。でもそこはそれ、人間が手入れすることで生産量を上げれるかなって。花の時期はそろそろ終わりだと思うけど、今咲いてる花だけでも受粉を手伝えばこれから結実する量は増やせるからやっておこうと思って、今日探そうと思ったんだよね」


「あーなるほど。人工受粉か。農業高生らしい発想だな。でもそれで綿がたくさん採れるなら賛成だ」


「ガガイモの人工受粉はサークルの先輩が専門的に研究しててさ、あたしが研究してたスズメウリと育つ環境が近いからって、ついでとばかりに人工受粉の手伝いに駆り出されてたからたぶんできるはず。……といっても夏休み前に人工受粉の手伝いだけやってその結果を見届けてないから微妙なんだけどね。上手くいけば儲けものって感じで」


「おう。期待値はそれぐらいでちょうどいいだろうな。で、どうやるんだ?」


「そのへんの生の小枝をナイフで削って、細長くて弾力のある楊枝ようじにして、それを使って雄花から花粉を採取して、その花粉を雌花に受粉させるって感じ」


「……ふむ。まあ、やるだけやってみるか」


 そんなわけでそのへんの立木から生きている小枝を取り、ナイフで削って極細の楊枝を作る。普通の爪楊枝よりもっと細くして、尖端は縫い針ぐらいまで細くする。


「これぐらいまで細くすればいいね」


「これを使って雄花おばなから花粉を採るんだよな。ちなみに雄花と雌花めばなの見分け方はどうやるんだ?」


 ガガイモの花はアジサイのように房状ふさじょうに小さい花がひとまとまりになって咲いている。


「花のサイズで見分けるんだけど、小さい方は雄花で、大きい方は雌雄両性花。もしかすると小さい花は未熟な花で、大きい花が成熟した花なのかもしれないね」


「なるほど、そういう系か。ちなみに両性花の雄花から花粉を採って、それをそのまま同じ花の雌花に受粉させるのはありなのか?」


「それはまあありだけど……うーん、とりあえず口だけで説明するより、作業しながら説明する方が分かりやすいからやってみるね」


 あたしは房状に咲いている花に近づき、受粉させるためのいくつかの大きな両性花だけを残して残りの花をちぎって摘花てきかしていく。


「さっきも見てもらったけど、ガガイモの実って大きいんだよね。あれはまだ未熟果だけど育つと20㌢ぐらいになるし。実が多すぎると蔓に負担がかかるからあらかじめ数を減らしておくの」


「なるほど。たしかにこの時点ですでに俺が想像していた方法からはかけ離れてるから百聞ひゃくぶん一見いっけんかずだな」


 取り除いた両性花の一つの花びらをむしって花の中心部──花蕊かずい全体をむき出しにする。


「見て。この花蕊の一番下に隙間があるでしょ? この隙間の奥にしべ本体があるから、楊枝の先に付けた花粉をこの奥に届ければいいってわけ」


「ふむふむ。なるほど。で、肝心の花粉はどこだ?」


「雌しべの隙間から花蕊の上に向かって細いみぞがあるから、この溝をなぞるように楊枝の先端を下から上になぞると……ほら、採れた」


 本来なら蜜を吸う虫のストロー状の口がこの溝を通り、溝の一番上にある花粉塊に触れることで口の先端に花粉が付着し、そのまま別の花の蜜を吸う過程で口の先端が花蕊の隙間に入り込み、その奥の雌しべに花粉を届けることで受粉となる。


 あたしは房に残してある両性花の花びらをめくり、花蕊の隙間に花粉の付いた楊枝の先端を差し込んでその奥の雌しべに花粉を届けた。


「これで人工受粉完了。あとは同じ作業の繰り返しで残した花を受粉させて結果を見届けるだけだね」


「おっけ。理解した。じゃあ俺もやってみるから間違ってたら教えてくれ」


「あいあい」


 ガクちゃんはさっそくあたしと同じ手順で摘花した花から花粉を採取し、房に残してある花に受粉させた。見ている限り問題はなさそうだったので、そこからは手分けして、あたしたちはこの辺一帯の手の届く高さに咲いているガガイモの花の摘花と人工受粉を進めていったのだった。

 





【作者コメント】

 ガガイモについては近況ノートに写真と情報アップしているのでよかったらご覧ください。

 今回のお話はいかがでしたか? 楽しんでいただけましたら引き続き応援よろしくお願いします。

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船が沈没して大海原に取り残されたオッサンと女子高生の漂流サバイバル&スローライフ ─絶体絶命のピンチのはずなのに当事者たちは普通にエンジョイしている件─ 海凪ととかる@沈没ライフ @karuche

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